シアターXゆかりの芸術家

シアターXで創出されてきた多くの舞台。その中でシアターXと深く関わってこられた芸術家たちを、その作品とともに紹介します。
「劇場は芸術家がつくるもの」との思いを体現された方々です。

郡司正勝(ぐんじ・まさかつ:1913年〜1998年)

■歌舞伎研究家、演劇評論家と同時に自ら舞台の作・演出も行った。シアターXでは1995年『青森のキリスト』、1997年『歩く』(東京、ポーランドのワルシャワとクラクフ)、1998年『歩く』(札幌)の作・演出、同年「大野慶人」のために構想していた舞踏作品『ドリアン・グレイ最後の肖像』が遺作となる。1999年シアターX特別企画(郡司正勝一周忌追悼)で『ドリアン・グレイ最後の肖像』再演。主な著作として1954年『かぶき・様式と伝承』、1990年〜1992年『郡司正勝柵定集』(全6巻)、1995年『郡司正勝劇評集』など多数。


1996年〜1998年シアターX情報誌ニューズレター連載記事より

故・郡司正勝氏の
“グンジのびっくり桶”シリーズ

郡司正勝氏による珠玉の演劇論
 

グンジのびっくり桶@ シアターX情報誌ニューズレター19号より抜粋
1996年4月10日
 

舞台は

 舞台は行動を探し求めること、身体を捜す旅に出ること、舞台は、その踏み台、飛び箱台でありたい。
 少なくとも舞台とは、出来上がったものを上演するところ、陳列台にはしたくないというのが念いである。
 行動をする者も観る者も、しばらくは生命を、魂を預からせてもらう。身体(からだ)を空(から)にしてしまう空間。そういう仕掛け箱でありたい。
 能舞台には、現実という俗界の自分を脱ぎ捨て、劇的人間像に乗り移る鏡の間という空間が仕掛けられている。すぐれた設計だとおもう。
 そういう仕掛けを失ったわれわれは、現代という舞台のなかで、なにを仕掛けとして、現実を超克していったらよいのか。
 飛び立つ空間を見つけたい。現実に光りの穴を明けたい。清らかな息(呼吸)をしたい。
 翌日(あす)のない朝に飛び立つのは嫌だ。舞台は墓場ではない筈だ。舞台を墓場にはしたくない。飛び立つことを忘れた舞台は舞台ではなかろう。

故・郡司正勝氏

グンジのびっくり桶A シアターX情報誌ニューズレター20号より抜粋
1996年7月1日
 

俳 優

 刻々に死んでゆくこと、これしか人間には残された徑(みち)はない。
 人体といい、肉体といい、身体といい換えても、みなボディという物体にすぎない。
 そうなりたくないから、装う、餝る(かざる)包む、着る、付ける。
 そして夢見る。それを生きている証據(しょうこ)とする。
 ただし夢は一夜のもの、一夜の幻にすぎない。また、すべての夢が素晴らしいとは限らない。そこで、一夜の価値ある夢のために、俳優というものが存在するということになろう。俳優のボディは一夜のよい夢のために用意されねばならない。
 よい夢を売りつけるのが、本当の意味の死の商人ということができよう。
 人々がよい俳優を待っているのは、生きるための死の商人をつねに待っているということなのである。
 そうでなければ、芸術売買の山師の輩というしかあるまい。
 危ういかな、俳優の道。


1995年9月20日〜26日 
『青森のキリスト』 作・演出:郡司正勝
出演:和栗由紀夫、中村京蔵、坂東みの虫 他

グンジのびっくり桶B シアターX情報誌ニューズレター21号より抜粋
1996年10月1日
 

演 劇

 演劇の起源が呪術だとすれば、いちおうの解決はするが、呪術がなぜ肉体を撰んだかということには問題が残る。
 原始人に聴いてみればなんでもないことでも、現代の教養人には、学問が邪魔して迷路になる。

 日本語の「からだ」は九穴をもった魂の入れものとしての肉袋だとすれば、神も悪魔もいろいろな霊が出入りするから、演劇の起こりに魂のうごめきを感じることができるが、どうして人間だけが演劇するのだろうかというと、あるいは必ずしも演戯は人間だけでないかも知れない。

 人間の勝手な理論は、間違いを犯すために永久に続くのだろうとおもう。
 とにかく身体にゆさぶりをかけてみるしかないのではないか。
 演劇は罠なのだ。


グンジのびっくり桶C シアターX情報誌ニューズレター22号より抜粋
1997年1月1日
 

再び俳優について

 人世は殘酷か。ならば演劇も惨酷であろう。演劇とは、惨酷を楽しみに変える方法か。
 その純粋な形は人形芝居であろう。俳優とは生身(いきみ)の人形になること。腸(わた)もちの人形ということであろう。
 惨酷を滑稽化するのは、悲劇人にしてピエロ。俳優とはそのこと。さすがに中国は老大国である。「俳優」という字を創り出した。
 日本で俳諧という楽しみごとは、もと、滑稽、たわむれごとの意。滑稽なたわごととして発し、俳句を育てた。芭蕉は、そのなかで悲劇性を知覚して、寂(さ)びの世界へ導いた。俳句を演じたのである。彼も一箇の俳優であったといえる。
 「俳」は「人にあらず」という字でもある。人は、天使か悪魔か区別したがるが、俳優にとってはどちらでも同じことなのである。
 日本では「道化」という。禅家でいう「道外」で、道を外れたものの意が元で、外れた者が、はじめて道を認識することが出来る。ただし、その時はもう遅い。人世はその繰り返しであろう。
 俳優は「道外師」であらねばならない。
 心優しき惨酷人のことである。


1995年9月20日〜26日 
『青森のキリスト』 作・演出:郡司正勝
出演:和栗由紀夫、中村京蔵、坂東みの虫 他

グンジのびっくり桶D シアターX情報誌ニューズレター23号より抜粋
1997年4月1日
 

セリフについて

 セリフは台本を読むのではないのだ。
 「セリフ」の語源は「競り合う」にはじまるというのが『言海』の説だが、おそらく、少なくとも日本のセリフは、三河の花祭の「セリ歌」のごとく、一種の神楽の問答形式が初元なのであろう。神と人、邪悪と人とが、この境界を犯すか通すか、押し戻し、競り合う言葉にはじまるということであろうか。
 葛城に一言主という神がある。一言しかいわぬが絶大なる威力を発揮する。能に「べしみ」(面)がある。黙することもまた言葉の力なのだ。
 大野一雄さんの舞踏は魂の、優しい語りかけで動き出すので、音声ではないが、肉体のセリフである。
 何もかもに触れて、気に感じて発するのがセリフで、肉体の響きなのである。
 意味がないセリフがあってもいい。肉体が聞きとればよいのである。ただしストーリィが展開するためには意味が必要であるが、意味がわかったから、事件が解決し、あるいは展開するわけではないことは肝に銘じておいていい。
 セリフは魂が肉体から飛び出すために必要なのだ。


グンジのびっくり桶E シアターX情報誌ニューズレター24号より抜粋
1997年7月1日
 

表現について

 表現するということは捨てることである。
 捨てる瞬間に、舞台の表現は立ち上がる。
 表現するものを、何を捨てるか、どう捨てるかが、その精神と行動である。
 それは、日常のリアリティのことではない。舞台という空間、次元の世界のことである。空間というと、あまりにも用語的概念語となってしまったから、「空」と置き換えた方がいいのかも知れない。あるいは「気」でも「無」でも「間」でもよい。やはり同じことか。
 とにかく、その空間を生きること、生まれることである。
 それは、その瞬間にみせる「生きること」の幻影であろう。「生死一如」と仏教ではいうが、生と死は、別々の存在でなくて、生と死が、一瞬、一つであることの証明を舞台の上で、表現というかたちで実現させることで、表現ということは、生きたまま死に、その瞬間に生まれるものの一瞬のキラメキをいうのではないか。
 テーマは、その仕掛けにすぎない。


グンジのびっくり桶F シアターX情報誌ニューズレター25号より抜粋
1997年10月1日
 

変身の価値

 「役者」という語は、芸能の役目を勤める者の中世語である。
 神にもっとも近い存在で、変身を遂げる能力をもつ者の謂で、これは訓練だけで到達することができるものではなく、神によって選ばれた者のみが、資格を有するのである。もっとも修業と訓練によってその能力が発掘されることはあり得る。

 その媒体としての肉体は、外から風化されるものと、内面から変化を遂げるものと二面性がある。俳優は外からの訓練と、より深く魂の深淵に関与して変身を遂げるものである。
 われわれは、その内面を外容の変身を覗くことのできる穴を眼窩の光によって確かめることができる。名優か凡優かは、その眼の生きているか死んでいるかできまる。聴覚も触覚もそれを離れては存在することを得ない。
 それはきわめて動物的な感覚と神聖な啓示をキャッチする能力を必要とするということである。
 俳優は「聖」と「俗」、「貴」と「賎」に通じ、しばしば冥界とも往来することができるのだから、社会人ということはできない。活社会を写すときは社会人になりきらねばならぬが、舞台芸術を売買するのは興行師の分野で、俳優の仕事ではない。
 俳優が社会人に組み入れられると、人間国宝とか一般俳優とかになるが、これは芸術家放れを意味する。舞台芸術の衰える徴候というべきか。


グンジのびっくり桶G シアターX情報誌ニューズレター26号より掲載
1998年1月1日
 

初心ということ

 想は高く、眼は低くというのが、わがモットーである。想は高すぎるということはなく、眼は低くすぎるということはない。
 天使は高いところほど、低い地上がみえてくる。
 舞台は、その象徴的空間といえよう。すべて演出の仕事は、幕が下りたところからはじまる。つまり人世の裏側をめくるところからはじまるのである。
 芸は初心に戻れと世阿弥がいったが、戻るほど遠く、高く揚らなければ、戻るという行為の意味はあり得ない。
 初心に問題があるのではない。いつまでも初心に止まっていては困るのである。戻るほど来てみて、はじめて初心に戻る意味があるのである。いつまでも初心ばかりでは戻るところがない。戻るという行為に深い意味が生じるのである。
 肉体は盲目だから、初心が必要なのである。肉体を訓練するのは心なのである。
 「才能のない者は芸術の世界では辛抱されるわけにはいかないのです」(アンデルセン)


1997年6月16日〜18日
(シアターΧ5周年記念プロデュース公演)
『歩く』 作・演出:郡司正勝
(シアターΧ初演)
1997年6月20日〜7月1日
(ポーランド公演)
1997年11月25日・26日

グンジのびっくり桶H シアターX情報誌ニューズレター27号
1998年4月10日
 

「切れ」と「立ち上がり」

 いま、舞台芸術は、肉体と表現という概念に捕らわれすぎる。
 肉体はもう一度 土方巽に帰って、死体が立ち上る想念からはじめるべきではないか。
 肉体は表現のためにあるのではなく、「立ち上る」ためにあるのだ、ということである。
 肉体はほんとうに「表現」ということをすることができるのかどうか。
 ただカルシュームの固形と靱帯を繋いでいるだけではないのか。「表現」などできるはずがない。
 「表現」というのは、肉体がたんに生活の説明をするためにあるのではないか。
 「舞台芸術」とは、その嘘をはぎとってみせることではなかったのか。

 本音を表現するためには、われわれは死体から「立ち上る間」の、時間空間の「切れ」めを与えられているだけではないのか。
 表現の「切れ」によって、われわれは立ち、「切れ」があることを発見してわれわれは「立ち上がる」ことができるのではないか。
 舞台とは、その立ち上る姿をみることではないか。

 「セリフ」と「言葉」とはちがうのと同じことである。「表現」と「肉体」もちがうのである。


原始かぶき『青森のキリスト』のプログラムより抜粋
1998年4月10日
作・演出:郡司正勝 出演:和栗由紀夫、中村京蔵、坂東みの虫 他
(1995年9月20日〜26日)

「青森のキリスト」断想

 青森という本州の最果ての地、恐山や賽の河原に吹雪くイタコの祭文や瞽女坊さまのジャンガラが聞こえてくるという風土のなかに、キリスト昇天という伝統を育んだ北の人の願望に引かれて、ヘライ村に旅したのは一昨年の雪解けのころであった。
 北海道生まれで、東京で学んだわたしは、帰省のときには、毎年、青森から連絡船に乗った。「野辺地、野辺地」と駅員の呼ぶ声をきくと、いち時に北国の憂色が襲ってくるのを感じたものだった。
 エゾの地を終の住処とする者にとっては、奇跡は遠い夢ではない。一つの情熱である。昨年百歳過ぎて没した母は幼いころは、リボンヌという洗礼名をもったギリシャ正教の信者であった。先祖の地を捨て、あるいは追われて北海道へ渡った者たちが、北の荒野の果てにみたものはなんであったろうか。「みた」ということは思い知らされたということである。
 一戸、二戸、三戸、四戸、五戸、六戸、八戸と戸来村へ向かう道行は、さながら昇天への一里塚を数える思いだった。十三の砂山に辿りついたキリストの日本名は八戸太郎天空といった。村に残るダビデの星の紋所は、京の晴明神社のものと同じである。北国落ちをした義経のように陰陽道の系統を引く修験の天狗や山伏たちが、これを助けたのであろうか。
 キリストを乗せたさんた丸は、幾世紀も海上を漂い、青森に上陸したのは、いつの世であっただろうか。
 ヘライ村の丘の二基の十字架のうち、他の一基は、その弟とマリヤの墓だと村人はいう。いまでもカソリックの信者たちが外国から訪れるという。残雪の疎林の丘は荒涼たる墓場であった。果たしてゴルゴダの丘に似ているというのか。
 そのまだ見ぬゴルゴダの丘を青森のキリストの里、ヘライ村(ヘライはヘブライだという)の丘へ移してみたいと思ったのが、この作である。
 今回は、ヘライ村へ同行して下さった上田美佐子さんがプロデューサーを務めるシアターXで、初めて公演できることになった。その信頼を裏切ることがいちばん恐いが、その懐の深さに任せて企画を進行することにした。
 劇団があれば意志が通じて危げなかろうが、わたしの性分として、そのつど可能性を試みたいところがあり、つねに冒険してみたいという思いがあって、今回も、特異な才能を撰ぶことができたのは嬉しい。
 無難な成功よりも、危険な、妖しい、いかがわしい火花が散ったなら、以って冥すべしということである。
 見物も受難の人であることを覚悟されたい。
(作・演出:郡司正勝)


1995年9月20日〜26日
『青森のキリスト』 作・演出:郡司正勝
出演:和栗由紀夫、中村京蔵、坂東みの虫 他

東京新聞夕刊記事より抜粋 1997年6月11日

来る日も「歩く」

演劇の前途のために『かぶき』と対面

 いったい人は、ほんとうにちゃんと歩いているのかどうか。そういった疑問が、足が不自由になってから、ふっと湧いた。
 人間はどこに向かって、なんのために、一生を歩きつづけなければならないのか、そして立ち止まったときが死期であることに気づくはずである。ただひとり逆行しようとしても、その時代の流れから、当然ながら、逃げ出すことはできない。東京の劇場シアターXの上田美佐子さんから、ポーランド公演を委嘱されたとき、悩んだ末に、こうした人間の「歩く」という行動を劇化してみることができないものだろうかと思いついた。その背景には、暗かったポーランドの国情の歩みと、日本の敗戦の疵痕の歩みが両者で疼いているのが重なっているはずである。台本もなく、筋立てもなく、主人公もなく、まずは歩いてみることから稽古が始まった。
 ポーランドは上田女史が勲章をもらったほど深く関わってきた国であり、私も1980年にはグロトフスキー氏の主催する国際演劇学会に招かれて民族演劇の報告をしているので、まんざら初めての国ではない。
 ポーランドへ行く若人たちは、この秋、ヤン・ペシェク氏の演出による「王女イヴォナ」出演のためにオーディションで選抜された男女17人の現代演劇人なのであるが、劇団を成しているわけではない。いわば寄せ集めだから、お互いの間のプレッシャーはかなりなものといえる。
 私が初めて稽古に立ち会ったときの驚きは、これが今日の日本の若人たちか、ということであった。そこには戦前のわれわれの青春時代とはまるっきり違った人種がいた。これが今日の地球人なのか。なるほど彼らにとっては、戦前の日本は見も知らぬ国だったのである。当然ながら、このショックは劇的ですらあった。常に現実が想像以上に劇的なものであるとは、息あるうちに何度か見てきてしまったではないか。
 この若い演劇人たちは、古い日本演劇の伝統があるのに、「かぶき」をはじめ何ひとつ見たり聞いたりしようとしていないどころか、第一、演劇として認めていないようなのである。
 日本には日本の演劇技術の伝統の力があることを、この若人たちの肉体を通して知ってもらわないと日本人は恥ずかしいことになるのではないか。私は、とたんに右翼的になってしまった。
 
 その日から、私たちは「かぶき」をはじめ、人形浄瑠璃、民謡、舞踊、演歌にも立ち向かい、歩き始める。セリフは掛け声らしきもののほかには一切用いない。外国公演にセリフの障害を除くということもあるが、まずは肉体よりも気骨を知ってもらいたい。
 10年も20年も修業しなくてはものにならなぬ伝統技術を、一夜漬けで地球人の彼らにたたき込む無謀さが、劇的喜びとなって返ってくる日が来るのだろうか。
 はじめ、舞踊的表現ともいえる技術を強いられた演劇人としての彼らは、反発を感じたらしい。その心情を逆撫でするような技術を重ねていくうちに、今日、新しい生命を生み出す力をすでに失ってしまった新劇ではない、「かぶき」という演劇を生んだ、その発生の原動力と対面することによって、彼らが信奉する新劇の真似ではなく、俳優としての本来の仕事の自覚と誇りを取り戻せたら、演劇の前途のために日本の伝統の力が無駄ではなくなるだろう。
 果たして彼らに、未来の演劇人として、日本の前衛劇を開く日がくるだろうか。その悩みは不可欠のものだといってよい。      
(郡司正勝 早大名誉教授、歌舞伎研究家)


(シアターX5周年記念講演)
『歩く』 作・演出:郡司正勝
1997年6月16日〜18日
(シアターΧ初演)
1997年6月20日〜7月1日
(ポーランド公演)
1997年11月25日・26日

「歩く」イメージ・スクリプト
 

シアターX5周年記念プロデュース「歩く」 作・演出:郡司正勝
(シアターX公演:1997年6月16日〜18日/ポーランド公演:1997年6月20日〜7月1日/シアターX5周年記念プロデュース公演:1997年11月25日・26日)

もし人類が歩くことができない生物だとしたらを、念願において構成した。この人生にとって「歩く」とはなにを意味するのか。

第一景  元禄花見踊

人間は平和を望む。しかし平和の世界というものが本当にあったのだろうか。人類の永久の夢幻の世界、妄想ではないのか。
太平というものの身振、表現、を太平を讃えた元禄時代の花見踊に托してみた。目の前を通り過ぎてゆく平和の幻。青春とは、天国か、地獄か。

第二景  予告(御注進)

われわれの平和は、常に不安に襲われずには成立し得ない。
平和の花は、現実にはいつも確実に眼の前で散っていった。
そのキザシ、前触れは、いつやってくるかも知れない。
「御注進 御注進」
「ナント ナント」
告知する天使の夢は、いつもおびえている。暗い影はつねに忍びよってくる。
それが平和というものであろう。


第三景  花魁道中

平和はもろく、誇り高き偽りの形。花魁道中に、つかの間の夢を托してみる。憧れと驕りと色欲に、文化に、酔いしれる平和が生み出す、差別、軽蔑等々。


第四景  凧の戯れ

男たちは、平和という馴れにいつも剽軽に時代の風に乗って浮かれ、金蔓の糸に繋がれては右往左往して、人生に踊らされる。


第5景  元禄花見踊(乱)

平和には疲れが出る。精神の荒廃。世紀末の爛熟と乱れを、再び花見踊の変相として表現する。


第六景  暴れ六方

世は暴力の衝動にうごめき。征服欲と乗っ取り、暴走族の殴り込みなどが、日常となる世の中がやってくる。

第七景  だんまり

闇によって表現される時代。人と人の不通となった疑惑と陰謀が手さぐり、足さぐりに表象される。


第八景  人形の動きで象徴される社会相

われわれは、何者かによって操られてゆくのを感じる。それを人は運命といい宿命と呼んだりする。

(A)  櫓のお七
恋愛は、出会い、ゆきずり、相手を乞うという輪違いの宿命で、それは愛という救いでもあれば愛という地獄でもある。一抹の光明でもあるが、また執着という闇でもあり、永遠の幻でもある。

(B) 
誰にでも一度はおとずれ消えてゆく「無情の夢」というやさしさ。


第九景  盆踊という行事

人間は老いも若きも死を隣り合わせに生きている。人間の社会が生んだ盆行事は、この世とあの世を橋渡しする道であり、季節である。(女性たちによる白石島の盆踊りで表現する)


第十景  男の歴史

男には歴史がある。
落人の武士たちが百姓となって隠れ住んだ歴史を。(男性群によって五箇山の麦屋節によって代表する)その誇りと現実。


第十一景  戦場の人

人々は国家という巨大な魔物によってしばしば犠牲にされ戦場に引出される。それにはお互いの殺人が待っている。


第十二景  葬式の行列

人生最後の儀式である葬式の行列がつづく。

人間悲劇とは視点を変えれば人生喜劇でもある。
泣き笑い。劇は人生の表象として芸術になる。


郡司正勝先生:ある秋の日の対話 1997年10月7日

今の人は
「食えなくなる楽しみ」なんてものを
考えられもしないのねえ……
 

 郡司正勝先生の最後の作・演出となった「歩く」の初演、ポーランド公演を終え、5周年記念公演『帰って来た歩く』を控えたある秋の日、郡司先生にその「歩く」のプラン、今日の演劇について率直に語ってもらった。生涯、演劇に深い情熱を注いでこられた先生の姿が偲ばれる。

「歩く」はとにかく歩かせてみようとはじまった

─── 今回の「歩く」をおやりになってお感じになったことをうかがいたいのですが。
●郡司  今までとは違う芝居のつくり方をしてみたいことがはじめにありました。私も最初は五里霧中でわからないんだけど、稽古しながらやってみたいということが一つあったわけです。それには一応、歌舞伎の人たちが基礎訓練でするような六方(ろっぽう)なり丹前(たんぜん)なりを教えているうちに、それがどうふくらんで、どういう方向にいくのか、見てみたかった。シアターXでちゃんと十分な稽古日数を取ってくれるというから、じゃあ、やってみようかという気になったわけです。だから、ストーリーも何もない。
─── この「歩く」公演を私のまわりで「面白い」と言っている人は、プログラムに載っていた先生の台本を読んで、あのスクリプトが、こういう舞台の形象になるのかというのが非常に面白くショックみたいでした……。
●郡司  あの台本も最初からできていたわけじゃない。稽古の段階で動きのほうから出てきたわけです。動きから出発した。とにかく歩かせてみようという動きのほうが先で、そこから何かが出てくれば…、科白(セリフ)が出てきたって何が出てきたって構わない。そうなればいいことで、稽古して動いているうちに、おれはこういう科白を言いたいと役者が言ってくれれば、面白いんだと思うんですよね、本当は。科白はすでに作ってあったものを覚えてから言うのではなく、本来、動きから生まれてくる叫びなんだから。
 私が今度この芝居で一番面白かったのは、全然歌舞伎も文楽も知らない連中に遭ったということ。そのこと自体がショックだったし、新しい局面だったんですよ。楽しかったですよ。歌舞伎なんて見たこともない連中があれだけになっていくということが不思議な気がしました。私としてはたいへん新鮮な経験だった。この年になってそういう経験させてもらった。

危機を感ずる人間が本来、役者だと思う

─── このごろ芝居は観に行かれなくなったとか。
●郡司  私がだんだん芝居に行かなくなってきたのは、幕が開いた瞬間わかっちゃう芝居ばかりでしょう。
─── 今の芝居は見だしたらすぐ裏まで見通せちゃうような芝居が多いですね、テレビドラマみたいな。
●郡司  それはつまらないし、私も先がないから時間がありませんから、そんなものに付き合っていられないという気持ちがある。とにかく楽しく時間をつぶせば面白い、よかった、及第の芝居……。これではやっぱりねえ、単なる消耗品で、つまらないと思いますよ。どこかで発火点を仕掛けておかないと。
─── 世の中がよくなっているかというと、だんだん悪くなって、非常に危機感が高まっているはずなのに、なぜかみんな、それに目をつぶる方向で、芝居までが時間つぶしとか、現実を見ないで済むような時間に持っていってしまうんですね。
●郡司  そうなんだよね。そういう繁栄している中の危機感というものを感じとってくれる感覚が、舞台にも見物客にもなくなっているでしょう。せめてそういう不安感だけでも起こすような芝居がほしいね。
─── 先生が以前に、「危機感のないところに演劇は生まれない」とおっしゃったんですけど。
●郡司  演劇は危機感から生まれてくると考えている。世の中のバランスを外したところから、芝居というものは生まれてくるんじゃないか、戯曲というものは生まれてくるんではないかという気がするんですね。そのバランスは正しいものなのか、いまみたいに単なる盲目的に妥協の、流されていくだけがバランスなのか、ということに目覚めた狂気の人間がいて、そのバランスに危機を感ずる人間が本来、役者だと思うんですよ。バランスをとれる社会人から見れば狂った人間。だけど、狂っていないほうが正しい人なのだとは本当はいえなくて、よほど贋物であって、狂っているほうがよほど本物だということがいえる。
 それにしても、ちょっと狂った人間がいなさすぎるんだよ、いまの世の中。
─── ここまで巨大な枠の中にはめられると臆病になってしまうんですね。
●郡司  無意識なんでしょうね。きっと。臆病になること自体が無意識である。それでないとやっていけないという意識があるから、強いてそれを平和として受け取ってしまう。危機感を感ずるのは、一種の直感だと思いますよね。俳優としての、芝居を業とする人の直感だと思いますよね。いま、そういう直感を持つ人が非常に少なくなった。
 動乱期だとわりあいにそういう人が出てくる。だから、動乱期のほうが優れた作品が生まれてくるわけです。
─── いまも本当はすごい動乱期なんでしょうけど、現象的には泰平……。
●郡司  そうなんですね。下ではヘドロがウンとたまっているんだけど、上は澄んでいるというか、甘い水があるということだと思います。しかし、そういう現象自体に何も感じないということが……。
─── 考えないことにしている。
●郡司  そう。だが、気が付いて考えないことにしているんじゃなくて、自然と考えないで済む世の中になっているから、そのほうがいいというか、楽ですもの。

食えないということも大事な、生きていく道の根本的原理

─── 危機感を感ずる人が本来、芝居をやるものなんでしょうけど、いま芝居やっている人たちの多くは、ビジネス、職業として考えている。
●郡司  そうだね、職業として考えているわけです。
─── どうやったら「ウケる役者になれるか」のためのノウハウを身に付けるとか。
●郡司  いかに収入が多くて、世の中の絶賛を博すような人間になれるかということだけになってしまって。
 学問だって、無償の学問があっていいと思うんだけど、いまは全部職業として、職業の技術としての学問になっちゃっているんです。だから、無償の学問をやったら食えなくなるんだという。食えなくなる楽しみなんてものを考えられもしない、いまの人は。
─── 食えなくなる楽しみというものがあったんですか。
●郡司  ハハハハ……、いえ、貧乏の楽しみはあったと思う。貧乏だからこそ毅然として人間はやっていけたという精神があったと思いますよ、昔は。「清貧」という言葉があるけれども、怖いものはない、清貧の場合は。金をだんだん持ってくると怖いものだらけですよ。失ってしまうことに戦々恐々として。
 食えないということも大事な、生きていく道の根本的原理です。食えないことを出発にしなければ、動物なんて一人前になれない。親が保護ばかりしていたらね。だから親は、狐でも狸でもみんな、年になると外へ出そうとする。子どもを蹴散らして、追い出してしまう。そして無一物から自分から物を獲ることを教えていく。それは善悪とは関係ないのです。そういう生きていくという事象をいまの若い人はなくしてしまっているんだから、結局は。
─── 芝居を観てどうしようというんじゃなくて、ひまつぶしに観ている人にウケるとしたら、わかりやすくて、おもしろおかしいものということになるわけですよね。
●郡司  そうですね。批評家も、欠点がない、うまくまとまっていれば、「よくできました」というマルをつけるわけです。本来、警鐘を鳴らすことが批評家の役目なんですが、いまの批評家の水準が一番落ちている時代だと思いますよ。もう少し批評家がちゃんと第一線で役目をまっとうしていれば……。昔は批評家であり、演出家であり、作家であるという人がかなりいたけれども、もうそれもいない。

演劇が総合芸術というのは 私は嘘だと思う

●郡司  演劇が総合芸術というのは私は嘘だと思う。商業ベースからみたらそういうことであって、演劇の本質とは関係ない。
 結局突き詰めていけば、俳優だけいれば演劇は成り立つと思うんです。俳優は同時に演出家でもあり、作家でもある。それがだんだん大きくなって分業していくと、大劇場になっていき、総合芸術になってくるわけです。そうなれば、それぞれの担当がけんかすることなくうまくやっていこうとなるだけ。絶対妥協できない点がたくさんあるんだけれども、目をつむり妥協することによって芝居が成立していくようになってしまう。だから大劇場主義というのは間違いだと思う。
─── そうなってくると、ますます役者の俳優修業が重要になってくるのですが、いま俳優修業はいわゆる演劇大学がないからだめなんだとかいわれていますが……。
●郡司  そう、大学がないからだめとか。もちろん比較してみれば、それはあったほうがいいということにもなるし、そういう場があると羨ましいということにもなるでしょう。だが、根本的には俳優の革命、俳優個人の革命しかない。

寺子屋で、その人の方式で最高の教育をする

─── それにしても、俳優のための基礎を勉強するところができないと……。
●郡司  やるとしたら、寺子屋が一番だと思いますよ。学校方式でいろんな先生を呼んできてやらせるなんて、あまり成果がない。やっぱりワンマンというか、独占で、その人の方式で最高の教育をする。俳優もその人と合わないと思ったらどんどん辞めていけばいいわけだし、理想だ…と思いますけどね。
─── じゃ、先生の寺子屋をつくろうかな。
●郡司  フフフ。
─── 寺子屋って、別に毎日じゃなくていいんでしょう?
●郡司  合宿みたいなものだね。ときどきの。
─── その寺子屋の先生は、一人ということなんですね。
●郡司  一人でなくたっていいと思いますけど。仲間が二〜三人いたって構わない。だけど、お互いに、あいつのことはよくわかっているという連中でないと具合が悪いです。有名な人ばかり集まってきたってダメだと思います。



日本経済新聞「交遊抄」より抜粋 1998年4月24日

最後の作品
 

 さる15日に逝ってしまわれた郡司正勝先生から、つぶさに学んだことは旺盛な創造意欲と批判精神であった。先生の作・演出『青森のキリスト』を四年前に私の劇場、シアターX(カイ)で上演するに当たり、取材旅行に同行して以来、様々な指導をいただいた。ただ、お互いに“人見知り”の性格だったゆえか、インパーソナルで理想的な距離を保っての共同作業を、多く続けてこられたのかなと思う。
 昨年、劇場の5周年記念企画として先生にお願いし、制作した『歩く』をポーランドで公演した際、現地の新聞評で「高名な古典芸能や歌舞伎研究の権威でありながら、日本独特の伝統様式をあくまで媒介とした、ポスト工業化社会の現代を模索している今日的演劇……」と高く評価された。無理を押して同地を訪れた先生は「日本ではわたしを学問の範疇(はんちゅう)での探求者に押し込めておこうとし、創作については余技に過ぎないと考えられているようだが、さすがポーランドだね」と言われた。
 しかしこの一月札幌で、今夏シアターXで踊る大野慶人さん(舞踏家)のために台本を考えてくださるよう無謀を承知で懇願した私に、郡司先生は「今度ばかりは駄目ですよ。もう生きてはおりませんから」と答えられた。
 にもかかわらず、その三週間後、慶人さんと私は病床に伏されたままの先生から「題は『ドリアン・グレイ最後の肖像』──イメージは聖徳太子像、仏から鬼へと変身する」と内容について聞かされた。郡司正勝最後の作品をこの八月、慶人さんが踊る。
(上田美佐子 演劇プロデューサー)

◆郡司正勝 著「歩く」シアターX発行/港の人 発売中 お問い合わせ:シアターX

1998年8月14日〜16日
第3回インターナショナル・ダンスフェスティバル98
『ドリアン・グレイの最後の肖像』
構想:郡司正勝 出演:大野慶人
(撮影:宮内勝)

つかこうへい(1948年〜2010年)

■1974年、劇団『つかこうへい事務所』を設立。1974年、『熱海殺人事件』で岸田國士戯曲賞受賞。1980年、第15回紀伊國屋演劇賞団体賞受賞。1981年、『蒲田行進曲』で直木賞受賞。1994年、東京都北区と協力し、北区つかこうへい劇団を創設。日本で初めて行政のバックアップを受けた劇団として多くの関心を集めた。シアターXでは『熱海殺人事件・エンドレス』(1993年)、『熱海殺人事件・モンテカルロイリュージョン』(1994年)、『蒲田行進曲完結編 銀ちゃんが逝く』(1995年・1996年)など。

1993年
つかこうへい作・演出『熱海殺人事件』の当日券を求め並ぶ若者ら

『熱海殺人事件・エンドレス』勝ち抜き演劇合戦のカタログより抜粋
作・演出:つかこうへい 出演:池田成志、春田純一、山崎銀之丞、阿部寛、平栗あつみ、山本亨、鈴木聖子、及川以造、鈴木鉄馬 他
(1993年4月1日〜11月14日)

インタビュー・つかこうへい

─── 今日は、その『熱海殺人事件』は73年に初演されて以来、代表作として何度も上演され、僕ら観客にとっても一番親しみがある傑作なんですが、この作品は、上演されるたびにいつも違うサブタイトルがついていますよね。たしか今回は“勝ち抜き演劇合戦”となってると思うんですが、これにはどいう意味があるんですか?
●つか  意味はない。ただ面白そうだからつけたんだ。それに、役者を8ヵ月も一つの芝居に縛りつけとくのもかわいそうだし。
─── でも結局、4月から7月までは、池田成志、春田純一、平栗あつみ、山崎銀之丞の4人、つまり、昨年と同じキャストで上演するわけなんですね?
 えーと、えーと…で、でも今回の公演に向けて広く出演者を募集して、かなり多くの応募者があったと聞きましたが…。しかも応募者みんなに前にも『熱海殺人事件』の舞台ビデオと台本を送った上で、希望者全員をオーディションなさったそうですね。
●つか  1000人以上はいたな。あんまり多いもんだから、最初は、一次試験てことで書類審査をやって足切りをしようと思ったんだけど、写真うつりの悪い人もいるだろうしね(笑い)。それじゃ不公平になってしまうから、こうなったら全員やろうってことでな。
 昨年の7月から9月までかかったからな。3ヵ月間もオーディションをやって、こりゃ疲れるわ。
 だが応募者の中には、ほんと変わったヤツがいてな。アイ子殺しの場面でパッと本物のヒモを出したりするんだよ。そんなあぶないヤツも来てたしな。
 でも、人が人を選んで、そして切り捨てていくってのは、本当に辛いもんだなっていうのを、今回のオーディションでつくづく感じたよでもね、日本のどこかにきっとオレみたいな奴とでも出逢いたいと願ってる人がいると思うんだ。
─── 実際にオーディションをやってみて、応募してきた若手の役者さんたちから受けた印象はどうでしたか?
●つか  はじめのころは、ナメて来てたね。台本覚えて来なかったりするんだよ。ファッションショーと勘違いしているんじゃないのか、あいつらは。いまの時代って、女の子が生まれつき可愛いというだけで、タレントになったりするじゃないか。そんなもんじゃねえって。絶えず精進なんだよ、芝居ってのは。そういう気持ちがないんだよね。
   ──中略──
─── それから今回の『熱海殺人事件』の上演でスゴイのが、8ヵ月のロングランという点ですね。ただし、各月1日から15日までの公演で、実質は4ヵ月間の上演期間ということになりますが…。それにしたって、小劇場界としては快挙ですよね。なぜロングランなどという暴挙に出たんですか?
●つか  オレらは無名のころから長期間の公演をやってたんだよ。マスコミに取り上げられる前だがな。そのころは、そうした中でいっぱい失敗したりしたもんだ。でもそれが修練になるんだよ。同じ作品を5回とか10回くらいやったって、芝居はうまくなんないぞ。1つの作品を年間200回くらいやらせたほうが、身についていくんだよね。いまの役者ってかわいそうだよね。すぐマスコミに晒されるから。オレだって、岸田賞もらった時、アパートに電話がなくて、電報で知らせて来たよ。風呂つきアパートに入れたのは29歳くらいのときだったかな。
─── ただ毎月1日から15日まで舞台をやるというと単純そうだけど、よーく考えてみると、1日に仕込んで、15日にバラシ…という作業を8ヵ月間繰り返すわけですからね。スタッフの方たちがとても大変でしょう。
●つか  そうなんだよなあ。それに気づいたときは、こりゃ失敗したな、と思ったよ(笑い)。それから、公演と公演のあいだが15日間空いちゃうだろう?
 これもけっこう辛くてな。気持ちを維持させるのが大変なんだよな。
─── いままで『熱海殺人事件』の上演をして来た紀伊國屋ホールが長期間確保できないせいもあるんですか?
●つか  ん、それもあるけどな。だがやっぱり、オレ自身細かい芝居をやらなきゃという感じになっちゃってな。いま世の中全体が、芝居を商業ベースにしようとしているじゃないか。スポンサーも、商業ベースになるなら投資するみたいな感じになってるだろ。だがオレは、それとは全然違う志向をもって芝居を始めた人間だからな、その初心は貫いていこうと思っているんだよね。
─── 小さいけど新しいシアターXなら、いい無名の役者もどんどん使っていけますからね。勝ち抜き演劇合戦にも最適というわけですか。
●つか  うん、オレは役者ってのは、嫁にも行けない、仕事にもつけない、踊りもできない、歌もできない、そんな奴が役者だと思っているから。オレは、こいつは別に役者なんかやんなくても、ファッションモデルでもやっていけそうだなっていう奴は、わざわざ芝居やる必要ないんだからね。
 でも新人使うって、けっこう体力がいるんだ。女子プロレスラーの長与千種にしても、『熱海殺人事件』の犯人役で初めて山崎銀之丞を使った時でも、お客さんは信用してくれ、大勢来てくれたからね。最初は“大丈夫かな?”って感じだったけど、観客たちはみんな“イイよ、彼!”って感じだったもんな。ホッとしたよ。でもオレもそろそろ歳だから、人間に対しての執念深さがなくなっていくよね。だから新人を抜擢するのも今年ぐらいまでかなあと思ってるよ。
─── 料金がまたまた2000円と低価格ですね。はっきり言って、いまの日本の演劇界でも一番と言っていいほどの安さだと思うんですが、やっぱりこのあたりが適正だと思われますか?
●つか  うん、でもたいしたことやってないと思うね。
 今回の『熱海殺人事件』では高校生以下や、お年寄りの方、身体の悪い方たちには、料金を1000円に設定してる。それだって、やっぱり芝居にかける金って、それぐらいが普通だろうし、そういう人たちこそ、ぜひ観にきてほしいって思っているからなんだよな。
 

1993年4月1日〜11月14日
つかこうへい作・演出『熱海殺人事件エンドレス』
劇場で演出中のつかこうへい氏
(撮影:斎藤一男)

1993年
『熱海殺人事件エンドレス・モンテカルロイリュージョン』
作・演出:つかこうへい
出演:阿部寛、山本亨、山崎銀之丞、平栗あつみ  歌:若林ケン
(撮影:斎藤一男)

ヤン・ペシェク(1944年〜)

■1944年生まれ。ポーランド、クラクフ演劇アカデミー卒。由緒あるスターリ劇場の俳優として古典から近代、前衛まで演じている。映画でもアンジェイ・ワイダをはじめ多くの作品に出演。1988年『スワン・ソング』の主役でグダニスク映画祭グランプリ受賞。演出家としても活躍。
シアターXでは『狂人と尼僧』(1992年)、『砂時計のサナトリウム』(1994年)、『存在しないが存在可能な楽器俳優のためのシナリオ』(1996年)、ヤン・ペシェク演出で日本人俳優による『王女イヴォナ』(1997年)。1992年と1994年に「ヤン・ペシェクの俳優修業」ワークショップ。

月刊誌「SWITCH」の記事より抜粋  97年1月号
ヤン・ペシェク一人芝居『存在しないが存在可能な楽器俳優のためのシナリオ』
作:ボグスワフ・シャフェル 演出・出演:ヤン・ペシェク
(1996年10月23日〜27日)
楽器俳優による愉快な“講義”

“笑わないでいるヒマがない”と絶賛の風刺劇を20年も演じ続けている俳優ヤン・ペシェク。彼の“俳優講座”から知る芝居の可能性 

 通訳なし、すべてポーランド語での上演という芝居をどう楽しめばいいのだろう。そんな先入観を愉快なほど裏切ってくれたのが、俳優ヤン・ペシェクによる一人芝居『存在しないが存在可能な楽器俳優のためのシナリオ』である。
 この芝居は、商業主義に流されてゆく現代芸術を批判する大学教授の“講義”である。彼は分厚い論文のような紙束を手にし、滔々と論説を振り回す。芝居前に日本語訳を読むことができるのだが、それが眠気をもよおすほど難しい内容。例えば「今日では芸術家は世間に向けて語ることはおろか、自らに語ることさえ許されない。彼の言葉は、巷に溢れ返る贋造物と虚言の洪水の中に、呑み込まれていくのである。我々は、理想主義が物質主義の誘惑に負けて道を譲るのを見ても、衝撃を感じなくなっていくのだ」「云々……。ではいったい何が面白いのかと言うと、その難解な論旨とは裏腹に、教授は突然リンゴにかぶりついたり、脚立によじ登ったり、風船を割ったり、パン粉をこねたりする。その講義と行動のコントラスト、絶妙な間合いに笑わずにはいられないのである。
 シナリオを書いたのはポーランドの現代音楽作曲家として著名なボグスワフ・シャフェル。彼は1963年にクラクフ演劇アカデミーの2年生だったペシェクと出会い、長年温めてきた芝居を演じられる俳優をついに見つけたと思ったらしい。
 「だが、そのシナリオを渡してくれたのは74年のことなんだ」とペシェクは笑う。「その間彼はずっと僕を観察していて、11年目にして実際にそれをできるくらい僕が成長したと判断したようだ。最初に読んだ時? まずイヤだなって。僕はその若い役者で、こんな芝居はちっとも面白いと思えなかった。内容にはもちろん共鳴したが、大学で講義するならともかく劇場で公演するのには向いていないと思ったんだ。だが彼は忍耐強く、もう1年待ってくれた。そして僕は思い直した。この作品は非常に演劇的可能性にあふれていると」。そう言いながら頷く様子がとても茶目っ気にあふれている。
 さて、当然シャフェルのシナリオは真面目な講義そのものだった。これをまともに演じたのではつまらない。ペシェクが考えたのは、これと対極の“不真面目な行為”だった。
 「やはり両極端な行為がなければ芝居として成り立たないからね。何が面白くできるか、思いついたのが“対話”なんだ。相手はすべてリンゴや布やチェロという物体。こんな単純なアイデアを見つけるまではとても苦労したよ。わりと皮肉たっぷりで笑えるだろう? 笑いを誘うというのが僕のお芝居における最も重要な要素だ。それが人間が生きる中で一番健康的な行為だからね」
 初演は2年後の76年。以後20年、国内はもとよりヨーロッパやアメリカ、カナダ、そして日本と世界各国で上演されている。言語の壁はこの芝居においては存在しない。ペシェクはこれについて「言葉の内容に反応できなくても、演劇的言語とその様式について理解があれば楽しめる」と言っている。
 タイトルに『楽器俳優』という言葉がある。ペシェクが言うには、シャフェルはポーランドにおいて初めて『楽器的演劇』を作り出した人物だ。楽譜、つまり台詞と、それを奏でる楽器、つまり俳優という関係性。別の観点から言えば、この芝居は、“音の芝居”ということが言えるだろう。彼が行う物体との対話──リンゴや脚立やパン粉以外に、シーツのはためく音、床を拭く音、カンに水が注がれる音、そして彼のささやき声から喚き声まで、すべての音が芝居の起伏を創り出す。そう、これは物語ではない。行動から発せられる音、台詞までが奏でられる音であって、眼と耳で楽しむ芝居なのである。
 一人芝居は、役者本人が自分の演出家でもある。芝居が面白いかそうでないかを決めるのは、この“客観的視点”がいかに持てるかにかかっている。だが“自分”対“自分”という、ある種の孤独感はないのだろうか。
 「カントルという演出家は『演出家ほど不条理な職業は存在しない』と言い、事実、芝居を演出する時に彼は俳優として参加していた。僕もそう思っている。孤独は……人生において孤独は日常的なもの、常にそれとの闘いのために人間は行動しているのではないかな」
 戦時中ポーランドには偉大な3人の作家が生まれた。ペシェクは彼らの作品を次々日本に紹介している。ヴィトカッツイ作『狂人と尼僧』、ブルーノ・シュルツ作『砂時計のサナトリウム』、そして来秋には残りのひとり、ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ作『王女イヴォナ』を日本の俳優を使って演出する予定だ。その配役オーディションのためのワークショップが20分後に迫っているというのに、彼の饒舌ぶりは止まることを知らない。
 「若い俳優の中には自分がなぜ俳優を選んだかまったく理解していない者がいる。第三者的に見て芝居は面白そうだし、だから選んだのだと思いがちだ。だが僕は、俳優というのはとても情熱を持って生きている人、ある意味エロティックにまで人生を昇華していく人なんだと思う。職業というより生きる手段だね。演じることは自分をよりよく認識させてくれるし、相手をよりよく理解させてくれる」
 つまり、彼にとって演じることは「世界を知ること」なのだろう。すると彼の芝居における信念「演技は日常から切り取ってきたものではない」という意味も容易に理解できる気がする。
 彼は急いで階段を駈け降りた。だが振り返って「俳優は、牧師と道化、聖なるものと俗なるものの両面をよく見る眼を持つべきだ」と言い、納得したように笑いながら姿を消した。


1992年10月3日〜11日
シアターΧオープニング特別企画
『狂人と尼僧』 ヴィトカッツイ作
演出・主演:ヤン・ペシェク
出演:スターリ劇場メンバー(ポーランド)

1996年10月23日〜27日
ヤン・ペシェク一人芝居『存在しないが存在可能な楽器俳優のためのシナリオ』
作:ボグスワフ・シャフェル
演出・出演:ヤン・ペシェク

シアターX5周年記念プロデュース公演 『王女イヴォナ』のプログラムより抜粋
作:ゴンブロヴィッチ 演出:ヤン・ペシェク
(1997年10月24日〜11月3日)
演出のヤン・ペシェクが語るゴンブロヴィッチの世界

●『イヴォナ』のなかで何が、どこが一番日本の観客に伝わるだろうかと考えるとき、恐らくそれは『イヴォナ』メイン・テーマでもある、周囲の人間とは異なった非常に個性の強い一人の人間を徹底的にいじめて殺してしまうという行為、型にはまらない人間、異分子はすべて抹殺してしまうということだと思います。
 多くの人々は、人間は自由であらねばならないし、また自由である権利があると思っているけれど、その自由の権利というのは非常に相対的なもの。人間とは本来自由ではいられないもの。だからそれを獲得しようとする闘いは究極的には無駄な闘いなのかもしれないけれど、やはり闘わざるを得ない。闘うことに意味があるということです。

●ゴンブロヴィッチが多くの作品で語っているのは人間とは純粋に自分自身でいる時など一瞬たりともないということ、そして二人の人間がいるだけで既にそこに依存関係が生まれ、そうした人工的依存関係が成立すると、そこには必ず様々な形式といったものが出来上がってくる。それが極端なところまで行くと狂気の世界にまでつながり、果たして悪夢なのか現実なのか、もうその境界線が見えなくなってしまうのです。この狂気の世界とは各々の人間の中にではなく、人間と人間の間に生まれてくるもの。ゴンブロヴィッチはこうした人間同士の依存関係のメカニズムを見せてくれるのです。

●『イヴォナ』を演じる上でもっとも重要なポイントは「野性的」であること。演出家にとっても役者にとっても恐らく一番難しいのはこの点でしょう。そしてこの「野生的」であるというのがどういうことなのかについてもかなり誤解が多いように思います。人が会ったり、目を合わせたり、触れたりする内に段々感情が高まって狂気の世界にまで突入する。そして最後には錯乱状態にまで陥るという過程を「野性的」に表現すること。ゴンブロヴィッチは単純明快な状態は嫌いで、いつも何か引き裂かれているような感じでなければいけないのです。これはどんな役者にとっても極めて困難なことです。結果は全く保証されていない挑戦なのです。

◆「生涯・青二才」の挑発的作家 ゴンブロヴィッチ:あまりにもポーランド的作家といえるゴンブロヴィッチ。だけど皮肉にも1939年(35歳)、アルゼンチンへ旅行中にナチスドイツのポーランド侵攻を知り、そのままアルゼンチンに亡命、戦後もついに祖国へ帰ることなく南仏にて64歳で没する。しかし、ポーランドの先達、ヴィトカッツイとシュルツと自分とを「ポーランド前衛作家三銃士」と命名したのはゴンブロヴィッチ自身である。『王女イヴォナ』は1935年(30歳)に書かれた処女戯曲。《極限の感情表現》を俳優の演技に期した、今日なお斬新で挑発的なコメディー。世界中で数多く上演されている作品。

1997年10月24日〜11月3日
シアターΧ5周年記念プロデュース公演
『王女イヴォナ』
作:ゴンブロヴィッチ 演出:ヤン・ペシェク
(撮影:宮内勝)

渡邊守章(わたなべ・もりあき:1933年〜)

■京都造形芸術大学教授・舞台芸術センター所長。東京大学名誉教授。専攻フランス文学・表象文化論。演出家。演劇企画「空中庭園」主宰。著書に『ポール・クローデル──劇的想像力の世界』『虚構の身体』『踊ること、劇』『演劇的欲望について──こえ・ことば・すがた』他多数。訳・注解にラシーヌ『フェードル アンドロマック』、フーコー『性の歴史 ── 知への意志』他多数。演出作品にラシーヌ『悲劇フェードル』、クローデル『真昼に分かつ』、泉鏡花『天守物語』、シアターXではハイナー・ミュラー作『カルテット』(1993年)、マルグリット・デュラス作『アガタ』(1994年)、ジャン・ジュネ作『女中たち』(1995年)。

渡邊守章氏

「快楽と欲望」〜舞台の幻想について〜 (渡邊守章著)より抜粋
テクスト・ゲーム──ハイナー・ミュラー『四重奏』を演じて

  今年(1993年)の9月19日から29日にかけて、両国のシアターX(カイ)で、日本、ロシア、ドイツの3ヵ国の4つのグループが、ハイナー・ミュラーの『四重奏』を、それぞれの演出によって上演した。日本は、岩淵達治訳・演出版と私の訳・演出による版、ロシアは、タガンカ劇場の名女優アーラ・デミドワが主宰するシアターAのテルゾプーロス演出版、ドイツは旧東独のロストック民衆劇場のトリステン・ピトル演出版である。日本初演と言ってもよい前衛劇が、同時に複数の言語と複数の演出で上演される、刺激的な実験であった。
 シアターX(カイ)の上田美佐子さんから、岩淵版の役者として出てくれないかという交渉を受けたのは、7月に銀座セゾン劇場で演出したミュッセ『ロレンザッチョ』の初日が開いた直後だった。なにしろ役者として舞台に立っていたのは大学の3年までだし、いわんや女形などというものは17歳の時以来していない。しかし『四重奏』という作品は、パリでシェローの演出で見て以来、一度は演出してみたいと思っていたものだし、結局は口説き上手の上田さんの誘惑に負けて、この賭けをお引き受けしたのだ。8月になって、当初予定されていたギリシャ版(ロシアと同じテルゾプーロス演出)の来日が取り止めになったため、私の台本・演出というヴァージョンが独立することとなったのである。
 ハイナー・ミュラーは1929年生まれ。旧東独の劇作家で、ベケット亡き後、最も刺激的な劇作家として注目されている。東独崩壊が進む以前は、国内で上演されることは少なく、むしろ西独やフランス、オランダなどで熱狂的な支持を受けて来た。日本でも紹介された『ハムレット・マシーン』が典型的に示すように、古典のテクストを「脱構築」して、現代の最も先鋭な問題に劇的・演劇的な照明を当てようとする。

1993年9月22日・23日
『カルテット』
作:ハイナー・ミュラー
日本・渡邊守章版
(撮影:太田威重)

シアターXプロデュース公演『アガタ』プログラムより抜粋
演出:渡邊守章 出演:范文雀、渕野一生 (1994年8月17日〜22日)
座談会 『アガタ』あるいは余白の強度

渡邊── 今度の舞台は、通常の額縁舞台でやらないで、四方正面にしたのは、以前「ラシーヌ・シリーズ」でやってみて分かったように、舞台に観客の視線を集中させる、というか捉えこむには、額縁舞台とは別の仕掛けが要る。これは舞台ですよという安全地帯があって、演じ・見せているのでは駄目じゃないかと、役者のほうも見られていることで、見返しているとか。この作品では、禁じられたものを見てしまうという視線が共有されることが必要だと思うからです。

渡邊── 従来の前衛には色・恋は欠如していたが、今や色・恋のある前衛が出現した、というのが、20年くらい前のデュラスの売り方であったわけだし、僕もそれでいいと思っています。何しろ、「面白くないのが前衛だ」式の貧相な観念過剰は嫌いですから。舞台表現としては極めて禁欲的だけれど、うんとセクシーで官能的な舞台にしたいと思っています。

1994年8月17日〜22日
『アガタ』 作:マルグリット・デュラス
演出:渡辺守章
出演:范文雀、渕野一生
(撮影:宮内勝)

シアターXプロデュース公演『女中たち』のプログラムより抜粋
作:ジャン・ジュネ 演出:渡邊守章 出演:本木雅弘、大浦みずき、青山良吉
(1995年10月14日〜31日)

今回の演出だが、企画の出発点は本木雅弘のクレールにあった。映像の世界ではすでにトップ・スターである若い才能を、舞台の事件とすること。健康で美しい若者の身体に宿る、それでいて蔭のある不思議な色気。映画などですでに証明済みの卓抜な集中力と演技の鋭い感覚。特に『涙をたたえて微笑みを』の島田清次郎は、作品を生きる表現者としての本木雅弘の狂気の力を見る想いがした。しかし、映画と舞台は別である。とくにジュネの作品のように、近代劇のリアリズムを真っ向から否定しようとする作品では尚更である。その点、彼は日本の舞台に瀰漫するまがい物のリアリズムに穢されていないという、貴重な純粋さを保っている。
それに配するソランジュは青山良吉であり、旧早稲田小劇場の出身である。実は15年前に『女中たち』の企画を実現した薄井幸雄である。私の演出では、「宴の会」のセネカ作『メデア』など、4本の仕事で、その身体と言葉に対するそのセンスの鋭さを示した。
そして「奥様」は、元宝塚も男役のトップであり、歌と踊りに関しては宝塚史上に残る名手であり、今なお熱狂的なファンを持つ大浦みずき、いずれも音楽的感覚を身体化できる人々だから、始めに書いた「演技の譜面としてのテクスト」という基本は了解されやすい。「女中」二人を男優が、「奥様」を女優が、という配役の原理は15年前と同じだが、その意味は一層鮮明になるだろう。

1995年10月14日〜31日
『女中たち』作:ジャン・ジュネ
訳・演出:渡邊守章
出演:本木雅弘(左)、青山良吉
(撮影:宮内勝)

范 文雀(はん・ぶんじゃく:1948年〜2002年)

■台湾人音楽家を父親に持ち東京に生まれる。1968年、NETの『特別機動捜査隊』に端役で出演しデビューする。主な舞台歴として『二人でシーソー』(1979年・サンシャイン劇場)に始まり、『炎の女』(1982年・俳優座劇場)、『カッコーの巣の上で』(1991年)、『サド侯爵夫人』(1995年・彩の国さいたま芸術劇場)、他多数。シアターXでは1994年『アガタ』(演出:渡辺守章 共演:渕野一生)、2000年『砂世御前』(共演:張春祥 他)。2002年『野ねずみエイモス』(演出:ルティ・カネル)ではナレーション出演、最後の舞台出演に。

シアターX情報誌ニューズレター11号より抜粋 1994年11月15日
范文雀 M・デュラス『アガタ』を

─── 『アガタ』は彼女(マルグリット・デュラス)の1981年の作品。日本でも翻訳は出版されている。パリ初演は1983年エッサイヨン劇場にて。
 シアターXでは1994年8月、この作品を渡辺守章が新訳・演出、范文雀主演で上演する。
●范  『アガタ』は、十年前に本が出版されたときからとても興味を持ちました。女性が性愛を描くと、えてしてベタついて甘ったるくなるのですが、デュラスの文体は、とても硬質で、読者を拒否しているようにさえ思える。ほんとに目を凝らしていないと、見逃してしまうものを眼前に突きだし、淡々としかも奥深く……。とても惹かれました。
 すでに日本でもデュラスの作品の愛好者は多く、私自身、『アガタ』をどこかでやれるといいなあと思いました。でも舞台化を試みようとする演出家はいなかったように思います。
 その後二、三の劇団が上演を試みていますが、とても成立しにくいものだと。男と女のゲームのような感じもする。好きで、いつかやりたいなと思っていた『モデラート・カンタービレ』と似通った感じ。でもこれは実年齢よりもだいぶ上の世界なので、やるならその前に『アガタ』を、と心ひそかに思ったりしたのですが、そのうち忘れてしまって……。
 ところが去年、渡辺守章さんが、ある雑誌に『アガタ』をいつかやってみたいと一行書いておられるのを読んで、そういえば、私もやりたかった作品だったんだ、って。その後お会いする機会をつくっていただき、やろう! ということになったんです
─── 舞台は、大西洋に面した海辺の空き家となっている別荘のサロン。男と女。女が別れる決心をし、男をこの別荘に呼ぶ。女の名はアガタ。別荘の名もアガタ、ヴィラ・アガタ。
●范  よく似た男と女。そう、ふたりは兄と妹なんです。
 つまり『アガタ』は、近親相姦の兄と妹の愛を描いたものです。禁じられるが故に高められる愛、苦痛を伴った愛、それが最終的に浄化されていく時間……。愛は、障害があるほど燃え上がるとよくいうけれど、確かにフラットな愛ではない。さらにそれをつきつめていって……、旅立つ、つまり別れることで完全な愛にしていく。それは観念なんだけど。
   ──中略──
 禁を犯すということにおいては、東洋人はジメジメした、四畳半的な匂いに陥りやすいのですが、そんな感じがまったくない。むしろキリリと乾いてて。そこにデュラスのむきだしのすごさがある。言葉が喚起するイメージが鮮烈で深い。人と人とのたたかいがあるんです。
 役者はプロデュースの段階で選ばれ、ある出来上がったものに参加するのがふつうです。作る側と役者がじっくり語り合いながらすすめていく舞台づくりは本来は必要なことですが、時間的にもシステム的にもむずかしいのが現実です。それを可能にしたきわめて珍しいケースですね。 


1994年8月17日〜22日
『アガタ』 作:マルグリット・デュラス
演出:渡辺守章
出演:范文雀、渕野一生
(撮影:宮内勝)

2000年11月22日〜12月2日
『砂世御前』 脚本:ウェン・シャオファン
出演:范文雀、張春祥 他

シアターX批評通信14号より抜粋 2003年3月24日
范文雀さんを想う会
【トーク】渡辺守章/高須賀優/山本健翔(司会)
【リーディング シアター】原作:尾崎翠「第七官界彷徨」 脚本:范文雀 演出:山本健翔
(2003年3月9日)

昨年(2002年)11月5日に逝去された故范文雀さんを偲び、親交のあった方々のお話を伺うとともに、范文雀さんの遺作となった脚本『さまよえる蘚(こけ)の恋情』(原作:尾崎翠「第七官界彷徨」)の朗読を生前の范さんと共にこの脚本の舞台上演を試みていた有志がおこなった。

●「范文雀さんを想う会」に参加されたT・Nさん(書店員)の方より寄せられた感想
 
 参加しようと思った動機は、本日も渡辺守章氏の話題になっていた『アガタ』(1994年・シアターX上演)の舞台を観ていたからです。
 M・デュラス作『アガタ』については私も好きな作品であり、また渡辺守章氏の演出とあって観に行くことにしたのですが、言葉や役者の肉体を際立たせる演出と、その中で凜とした美しさを放つ范文雀さんの演技に魅了されたことを覚えています。
 今回は尾崎翠の「第七官界彷徨」を戯曲とした『さまよえる蘚(こけ)の恋情』(范文雀脚色)を読むという催し。尾崎翠の作品、とりわけ「第七官界彷徨」にはそのユーモアとペーソスのある文章に、病んでいた心持ちを慰められた経験のある私自身にとって、特別な思い入れのある作品です。范文雀さんはずっと以前から『アガタ』を演じたいと思い続けていたとのこと。その范文雀さんがこの「第七官界彷徨」を脚色し、尾崎翠の世界をどう描いたのか大変興味を抱きました。
 実際に朗読された作品は、おはぎを届けに行くくだりなどが省略されていたことなど、公演後にうっすらと思い出すほどで、作品世界を簡潔にかつそのエッセンスを表現していました。そして、范文雀さんが独自に切り取ったさまよえる人間の恋情が放つ光の様なものをありありと感じ入りました。
 テキストを読まれた役者さんたちは、それは脚本上のことなのか演出上のことなのか、はじめは少々固い感じの声でした。でもその後、話が進んでいくうち何もない舞台に何かが芽生える様に、自然なる感情の高まりの中にある種独特の世界が浮かびあがってきて、大変感銘を受けました。
 普段は小説を読み、映画は観ていても舞台の演劇世界には馴染みの薄い私も、改めて戯曲のそして生身の人間の声の肉迫感の様なものに思いをはせ、今日の会に参加して良かったと感じる次第です。
P.S. この『さまよえる蘚(こけ)の恋情』が実際に演じられたらどういうものになるのだろうという興味があります。そして、現在ユーロスペースで上演されているデュラス自身の手による映画『アガタ』(古田加南子翻訳監修)を観て、あの夏の范文雀さんの『アガタ』の舞台を思い起こしています。 


1994年8月17日〜22日
『アガタ』 作:マルグリット・デュラス
演出:渡辺守章
出演:范文雀、渕野一生
(撮影:宮内勝)

故・范文雀さんへの追悼詩 2003年
絹の魂
ルドルフ・ジョーウォ(ポーランド・演出家)より

人生や死について
一度も話し合った
ことがない

盲目の味覚と
無言の感触だけが
仕事に埋もれている
私たちのあいだを
いったりきたり
互いに信頼のなかで
より近い存在に
なっていた

この人の内面を見なければ
なかに
なにが潜んでいるのだろうか
覗いてみたものは
絹の魂
幸せで書き尽くされてはなかった

好奇心
希望
献身で
いっぱいだった
あとで
役のなかによみとれたものは
ヒポリタの自由
大勢のなかに孤独な異邦人
タイタニアの不達成感
騙された無力な
自分の情熱によって侮辱をうけた
気の狂ったキャリアウーマンの皮肉

女優

壁にノックすれば
カッコウが飛び出す
木を一本二本抜き取る
林ができるまで。
まぶたを閉じれば、雪が降る。
口笛をそっと吹けば、川が流れ出し
山や谷を結ぶ
こうして想像力が変身の魔術で
我が人生の不足をうめる。
死は逃げ出す。

我々の死者は何をしているか。

知らない。
希望は
私たちの記憶を看病して
最も美しい思いで咲いた花に
水をやり
われわれの人生の
値うちをあげて
われわれの優れたところを
鍛えて
最悪のことをゆるし
そして
普段のわれわれよりも
よい人間を演じるための
力添えがほしい
(翻訳:石川グラジナ)

ルドルフ・ジョーウォ(Rudolf Ziolo):ポーランド・ポフシェフヌイ劇場芸術監督。1999年、シアターコクーンで『夏の夜の夢』を演出。范文雀さんはこの公演に出演した。

1994年6月
シアターΧ情報誌ニューズレター11号の表紙をかざる范文雀さん

多和田葉子(たわだ・ようこ)

■作家。1993年「犬婿入り」で芥川賞受賞。現在ベルリン在住。ドイツ語、日本語両方の言語で、それぞれ違う作品を発表しつづける。シアターXでは『TILL(ティル)』(1998年・劇団らせん舘+ハノーバー演劇工房)、『サンチョ・パンサ』(2000年・劇団らせん舘)、『犬婿入り』(2008年・シアターXプロデュース)、2001年から高瀬アキ(ピアニスト)とともに毎年「晩秋のカバレットシリーズ」のパフォーマンスを続けている。

シアターX情報誌ニューズレター30号より抜粋  1999年1月1日
さまざまな罠…

 日本の若い男の子は一見、無口で柔らかい感じがするが、突然、刃物のような言葉を突き出すことがある。昔、わたしが学生だった頃も、そういうことが時々あった。文学や旅の話など男の子にすると、ずっと黙っているので、耳を傾けているのだろうと思っていると、一時間くらいしてから突然、「そんなこと面白がっているようじゃあ、まだ大したことないな」とか「そんな甘い考えで外国にいけると思っているわけ?」などと言うのである。それで、こちらは裏切られた気になる。そう思っているなら早く何か言えばいいのに、ずっと黙っていて、急に傷つけるだけで内容のない言葉を口にするのはひどすぎる。でもこれは、エネルギーと教養を持て余した母親の口から自分を守るために彼らが磨いた自己防衛の技なのかもしれない。突然の暴力と言えば、言葉ではなく身体の暴力が問題になり始めたのも、もう随分前のことだ。おとなしかった子供が突然、家族に暴力を振るう。家族というのは、すごく良いものだと考えられているので、それを傷つけるのは特に悪いことだということになる。でも、家族は本当に良いものなのか。たとえば、家族は助け合うもの、とよく言うが、別にそういう美しい美徳が自然と存在するわけではなく、国が保障できないから家族に助けてもらえ、というだけのことになってしまう。そのくらいなら、家族は絶対に助け合ってはいけないという法律を作った方がずっと自殺者が減るのではないか。また、「そんなことしてたら、自分はいいかもしれないけれど家族が可哀そうだから」というブレーキのかけ方がある。「そんなこと」の中には、変な芝居にうつつを抜かすとか、社会を真っ向から批判するとか、そういうことも入っている。これは家族という弱みを持たせてラディカルなことをやめさせる罠なのかもしれないが、実際にはだからと言って家族がすぐに飢え死にするケースは少なく、むしろ「家族のために」が単なる言い訳として横行しているような気もする。

2001年チェーホフ演劇祭40日間番外編
9月1日
多和田葉子+高瀬アキ
『ピアノのかもめ/声のかもめ』
(毎年、晩秋のカバレットシリーズとして継続上演中)

シアターX創立10周年記念冊子
「日本の演劇芸術創造活動のこれから」についての“提言”より抜粋
まだ解説書のない演劇

 シアターXのような勇気ある劇場を応援したい。初めて何かを試みることこそ大切であるのに、日本には、アメリカやヨーロッパでやり尽くされて認められ成功が約束されている作品を輸入することの方が価値があると思っている人間が多い。誰かがすでに作ってくれた価値を輸入販売するだけで、自分で新しい価値を作り上げることができない。演劇というのは文学以上に、今現在の先端を見ることが大切だと思う。なぜなら、十年後にはその芝居は舞台から消えてしまっているからだ。もう演劇史に載ってしまったら、舞台の先端ではないということになる。そういうものを再生して、丁寧な解説を付けて、これはちょっと変わっているけれど専門家も認めている立派な前衛なんですよ、と恐る恐る客に差し出すような興業はつまらない。客は量ではなく質で計ってほしい。演劇の観衆は消費者ではなく、生産する側の一部なのだから、自分の目で観劇することによって演劇史を作っていくべきだし、そのためには、これからもシアターXは、そういう観客の好奇心に満ちた視線に答えて、まだ解説書の作れないような劇を舞台にのせていってほしい。

ルティ・カネル

■テルアビブ大学舞台芸術学部、ニューヨーク大学、ニューヨークHBスタジオにて演技と演出を学ぶ。1990年からテルアビブ大学舞台芸術学部演技科主任教員。シアターXでは『野ねずみエイモス』(2002年)、『母アンナ・フィアリングとその子供たち』(2005年)、『新 母アンナ・フィアリングとその子供たち』(2007年)、『エウメニデス』(2007年)、「俳優のためのマスタークラス」を毎夏続けている。

第5回シアターX国際舞台芸術祭『野ねずみエイモス』のプログラムより抜粋
原作:モシェ・イズラエリ 脚色・演出:ルティ・カネル
出演:シルリ・ガル、タリ・カルク 日本語ナレーション:范文雀
(2002年9月10日〜11日:東京両国シアターX/9月14日・15日:京都府立・アルティ)
日本、そのすべてが私にとって新しい

  天ぷらを
    ささやくように揚げる音聞きおり
             三時半のそば屋に


 俵万智によるこの魅力的なポエムを、私はこの数年絶賛してきたが、この地に来て私にとって、また新たなる意味を持つものとなる。
 東京。音、色、味の万華鏡の街、すべてが私にとって新しい。呪文のような日本語の響き、寿司の味、お辞儀の習慣、神社の造形。
 初めてシアターXに着いた際、その美しさと完ぺきなテクノロジーに心を打たれる。上田さん率いる劇場の方々は、私を暖かく迎え入れてくれる。プロフェッショナルとして、私たちの共同制作は自由闊達に行われる。このなかで知ったことで興味を覚えたのは、東京でもエルサレムでも共通する懸念を抱えていることだ、すなわち質の高い演劇にどうやって観客を惹き寄せるかである。そして発見したのは、舞台と客席の間に生き生きとしたコミュニケーションをもたらすことを、私たちが共に信奉していることだ。こうして私たちは舞台「エイモス」を日本人の観客に伝えるにあたって、ひとつの結論に達する。舞台上に日本人のナレーションを出そう。
 
 歌舞伎を観に行くことになる…愉楽と娯楽の五時間だ。興味深く感じたのは、これほど古くからの芸術が、今日的な生命力を脈動し続けているのを認識したことだ。
 そして翌日…能を観る。この芸術に演者達は精密に細密な演技で自らを捧げる、その様子が深く心に刻まれる。自分の理解力に限界があるのは承知しているが、今後も更に能を観て学びたいと思う。
 ジャーナリスト達との会見。興味深い質問が出される、私に舞台「エイモス」をより深い地層まで探求し説明してくれと挑む。面白く思ったのは、ジャーナリスト達の質問の多くが、この舞台と現在の社会上政治上ジレンマとの関係性を問うものだったことだ。そのため「エイモス」で使われる演劇的技術とイデオロギー的メッセージとの関連性を、私が次のように説明する運びとなる。すなわち(ストーリーテリング的演劇で表されるような)互いに矛盾し合う多様な観点から物事を見る才智、この才智が他者への共感を導き出し、新たなる、調和した解決をもたらし得るのだ。
 
 日本人の役者達とのワークショップ。発見した、彼らは心を開いている、彼らのユーモアのセンス、印象的な身のこなし方、相手役への気遣い。素晴らしい!
 ワークショップを行うなか、ひとの肉体がテキストの隠れた一面を露わにする可能性を、私は一段と感じる。イスラエルの詩人、アギ・ミショールの詩は私にとって創作の指針となるモットーである。

 肉体の造作は
 内面から彫られた
 魂の姿勢である

 京都の府民ホール・アルティに移動。ここには完ぺきなテクノロジーと細密な美意識との魅力的な結合がある。
 劇場の方々による暖かい歓待。ステージやホールの設定について、様々な可能性を検討する。
 この素晴らしい状況で「エイモス」を上演できるのが待ち遠しい。この作品のプロットや詩情はきっと日本の観客達にも届くだろう、そんな想いが大きくなり、期待が強まるのを、いま私は感じている。

ルティ・カネルさん(イスラエル)

『新 母アンナ・フィアリングとその子供たち』のプログラムより抜粋 
原作:B・ブレヒト 構成・演出:ルティ・カネル 出演:大浦みずき、三谷昇、ケイタケイ 他
(2007年6月21日〜7月1日)
「人間は人間である」が大前提の共同創造活動

●上田  ルティさんとは、2002年にイスラエルの現代劇『野ねずみエイモス』をシアターXで上演して以来、2005年に『母アンナ・フィアリングとその子供たち』、今回はその再演と、今秋にはギリシア劇の公演を予定しています。
文化や言語が違う者同士が世界に向けて創造活動をしているわけですが、芸術の共同創造や製作について、ルティさんはどう思っていますか?
●ルティ  文化や言語が違う者同士が共同で仕事をしているといえばたしかにそうですが、最近は、言葉や文化の違いをしばしば忘れていることに気づきます。上田さんのものの考え方に、言語を超えて近いものを感じるからです。
 稽古場では「人間は人間である」を大前提にして仕事をしています。人間の機構は文化や言語を超えて共通しています。1930年代にドイツ人のブレヒトがドイツ語で書いた人間の機構について、21世紀の日本人とイスラエル人が一緒に検討をして演じる。ブレヒトが問いかける「人間」がこちらに働きかけてこないと芝居にはなりません。それには「人間は人間である」という大前提がなければ、何年も前の作品を上演する意義はないでしょう。
●上田  ところで、いま、いちばん問題にしていることは?
●ルティ  ブレヒトが強調しているように、経済、すなわち金銭の力が人間の関係を支配していることでしょうか。世の中は視聴率だ支持率だ販売率だ、と数字に支配されすぎています。
●上田  そう、世界中が経済的価値観に左右されすぎ、その思想が貫徹しているのですよね。
●ルティ  「観客に受ける台詞で人気を得よう」と、成功するために芝居の質まで落とすケースさえ見受けられる世の中ですが、私が仕事に関して守っていることは二つ。きちんと観衆にとどくような発声や明瞭な言葉づかい、そして正しい表現の追求。それを俳優に要求します。 
 芝居の成功とか観客動員率はあまり気にしません。俳優、ときには観客からもですが、本物の何かを引きだすような仕事をしたいのです。俳優が大げさで表面的な演技をするのは恐怖から、深みまで到達していないからなのです。
●母袋  イスラエルでそういう演出をなさるときは、言葉が通じるから分かり合えますが、日本語で、通訳を通してとなると、たとえばあるパロールを要求しても、そこで微妙なニュアンスが抜け落ちてしまうという不安を感じることはありませんか?
●ルティ  たしかに言語を理解し把握しているか不安です。でも、「真贋」はすぐ感知できるもの、言葉以上のものなんですね。
──以下略

◆対談:ルティ・カネル(演出)+上田美佐子(シアターX)+母袋夏生(ヘブライ文学)

2007年6月21日〜7月1日
『新・母アンナ フィアリングとその子供たち』
演出:ルティ・カネル
出演:大浦みずき 他
(撮影:コスガデスガ)

2005年4月1日〜7日
『母アンナ・フィアリングとその子供たち』
原作:ベルトルト・ブレヒト
構成・演出:ルティ・カネル
出演:吉田日出子 他
(撮影:コスガデスガ)

桃山晴衣(ももやま・はるえ: 〜2008年)

■1963年、人間国宝4世宮薗千寿の唯一の内弟子となる。1974年家元をやめ、日本の音楽のうまれた状況、生きている状況をさがすため、日本各地の子守唄、古謡、わらべうたを訪ねる。1980年に12世紀の流行歌謡集「梁塵秘抄」を作曲、伝統と民族音楽のエッセンスを美しく融合させた音楽世界を確立。1995年より語り物の地平を拓いた今様浄瑠璃『夜叉姫』『照手姫』『浄瑠璃姫』を発表。ピーター・ブルック演出『テンペスト』で、2ヵ月にわたる歌唱指導。太陽劇団(フランス)の俳優養成所にてワークショップ1ヵ月。1999年より毎年シアターXで「桃山晴衣との俳優修業」1ヵ月を2003年まで継続。

シアターX批評通信18号より抜粋 2003年9月23日
「桃山晴衣との俳優修業」1ヵ月
(1999年から毎夏開催、5回目を迎えた)
「俳優修業」1ヵ月の成果
─君はこの世界にすっくと立てるか


 舞台に浴衣姿の「俳優修業生」たちが現れ、自然の流れで円陣を作り、大きく深い呼・吸とともに「ビンキー、ダブダ、ビンキバリンバ、ダ、ダ、ダ」と唱える。これは、アフリカ・セネガルの歌に想を得て、息が弱く浅く短くなってしまった日本人のためにと桃山晴衣が呼吸・発声法のワークに取り入れたものだ。これで全員の「気」が合い、指導者もなく、明治の「演歌」・ダイナマイト節が始まった。ことばを大切にしたストレートな発声は、自由民権運動から生まれた「演歌」の心をつぎつぎと観客の心に響かせた。
 断っておくが、これは批評ではない。1ヵ月のワークショップの成果発表会は批評の対象としてなじまない。しかも私は批評する立場にいない。というのは、私はこのワークショップに興味を持ち、1ヵ月間のトレーニングの間ときどきワークの独自性と厳しさがどのように参加者一人ひとりを、肉体的にも精神的にも変えてゆくのか観察していたが、最後の一週間は、その熱気の渦の中に私自身巻き込まれて若干の手助けをすることになったからである。
 興味を持った、何故。「梁塵秘抄」を作曲し謡い、また今様浄瑠璃の物語を作詞作曲し謡う、桃山晴衣が「うた修業」を主催するのは当然だが、ピーター・ブルック劇団や太陽劇団との深い交流があるとはいえ、演劇人による俳優養成ワークショップが数ある中で、自ら「俳優修業」を指導するとは、現在の日本の演劇状況のみではなく、文化状況に大きな疑問・批判をもち、それに対する提案をもっているに違いない。また、ヨーロッパのみではなく広くアジアのアーティストたちと交流・コラボレーションで得たものと、日本文化の奥底に流れるものの探求とから、彼女自身で編み出した「修業」とは。さらには、彼女がかねがね拓いて来た日本語の多様な表現と劇との出会いはどのように結実するのか。
 彼女が行うワークをすべて書きつくすことはできないが、私が理解したその一部を紹介する。まず、身体と心を整え開放し「気」を取り込む「香功(シャンゴン)」「大雁功」を基礎におき、開脚屈伸前方飛びで腰を強化し丹田に気を漲らせる。腰の据わった歩み、伸びた背筋で長時間の正座ができるようになるのは表面的なことである。彼女は一人ひとりの体と心の中に眠っている生命力を自発的に発見させ、個性と表現の多様性に結び付けようとしている。またそのことによって現代社会で息絶え絶えとなってしまった生身のコミュニケーション力を再生させようとしている。そのためにも、パターン・ルーティンは厳しく拒否し続ける。一方、古代からの日本芸能史を説き、食事のあり方に言及し、大自然の循環の中ではぐくまれた日本人の感性を取り戻させようとする。
 こうしたワークの成果が泉鏡花の『化鳥』の連続と『天守物語』にも現れた。世間の常識に抗して生きる母子の愛を描いた『化鳥』では、朗読パターンを排した一人ひとりの自然な声と、それから生まれる微妙な音色から、鏡花の母恋いの情念が静かに浮かびあがった。
 『天守物語』では、桃山晴衣による適切なテキスト編集と簡潔だが力強いセットに支えられて、「修業生」たちは若さ未熟さを超え、天守に住みつき地上の権力に抗う妖妃富姫と妖怪たちのエロスを、滑稽を、グロテスクを、そして不条理で一途な愛を、「気」の漲る緊張感の中で、表現するにいたった。
 とはいえ、これを豊穣なものにするには遙かな道のりが必要だ。しかし「修業生」たちは、一ヵ月のワークの中で、原初に帰り心と体と感性を自発的に発展させる手がかりを得、生き生きとコレスポンデンスしながらで、舞台に、いやこの世界にすっくと立てる人間に変貌しはじめている。
 この桃山晴衣と「修業生」たちとの真摯な関わりあいの総体が、日本の演劇・文化状況への彼女の鋭い批判なのである。
(遠藤利男:演出家)

2004年8月桃山晴衣との創造塾
(撮影:コスガデスガ)

故・桃山晴衣さん

岸田今日子(きしだ・きょうこ:1930年〜2006年)

■女優。「演劇集団 円」所属。シアターXでは、ピエール・ルイス作『ビリチスの歌』(1993年)、ヴィトキエヴィッチ(ヴィトカッツイ)作で演出:大橋也寸による『母』(1995年)、チェーホフの書簡を構成した牧原純作で斎明寺以玖子演出による『はぐらかされた わが幸せ』(2001年)などに出演。年末恒例の「円・こどもステージ」はシアターX開場以来続いている。

日本経済新聞夕刊の記事より抜粋  2007年2月2日
追想録 岸田今日子さん
舞台へ情念 独特の存在感

 「どこかで裏返しになったような気がするの」
 昨年(2006年)一月、急きょ入院した岸田今日子さんは、見舞いに来た東京・両国のシアターX(カイ)劇場の支配人、上田美佐子さんに言った。例年なら一月、上田さんら気の合った仲間と旅行に出かけるはずだった。
 旅の断りの電話では、「頭の中に腫瘍(しゅよう)ができたみたい」と言ったが、それまで本人は、時々、目まいがするくらいで自覚症状はなかった。ただ、この時期、家の中で柱に頭を思い切りぶつけたらしい。
 前年末、中上健次の小説「千年の愉楽」を原作とした「オリュウノオバ」で、生と死の次元を超えた大地の母性を持つオバを演じた。中上の故郷、熊野が舞台になった話しだ。
 「何か魔の力があると思う。すべてを許し、すべてを肯定する女そのものとして役に入り込めればいい」
 一昨年「オリュウノオバ物語」のけいこ場で取材したテープを聞き直しても、言葉を選ぶようにゆったりと話す声はいつもの岸田調で異変を感じさせない。
 その舞台の後、体調を崩したので、オバ役が体の中でとって代わり“裏返った”ように感じたのだろう。病名は神経膠腫(こうしゅ)。病巣が広がり、手の施しようのない状態だった。
 岸田さんを一躍有名にしたのは、安部公房原作、勅使河原宏監督の映画「砂の女」(1964年)だが、本領はあくまで舞台女優で、全体から神秘的なオーラを漂わせる女優だった。
 劇作家で文学座の創立者の一人、岸田国士の二女に生まれた。60年、三島由紀夫演出の「サロメ」で主役に抜てきされ注目された。63年、芥川比呂志らと文学座を脱退した後、劇団雲を経て75年に演劇集団円を設立した。別役実さんの不条理劇の大半に出たが、演技しているのでもない自然な存在感は岸田さんならではの資質だった。
 昨年11月に亡くなった仲谷昇さんとは離婚したが、一女を設けた。「なぜ、ふつうの女の子をやらないの」と言う娘に本を読み聞かせたのがきっかけで、アニメ「ムーミン」でムーミンの声を担当、ハスキーな声はナレーションで得難い存在として重宝された。
 永六輔さんらの句会に参加した俳句も作った。眠る時間が長いからと「眠女」が俳号。けいこ場で詠んだ句「風吹けば月飛ぶごとし吾も飛ぶ」には、舞台への激しい情念が感じられる。
 商業演劇にも古典劇にも興味を示さなかった。身近で接した上田さんは「芯は過激な人」と思った。「デカダン大好き人間」で「今までやられたことのないものをやりたい。世の中のひんしゅくを買ってでも」とよく言っていたとか。
 病床で思うように言えないもどかしさはあっても、悲壮感はなかったという。「見たい夢を見られる」のが特技と言っていた岸田さん。別の世界に好奇心がわき、そのまま行ってしまったのかもしれない。
(編集委員 河野孝)

1993年6月26日 『ビリチスの歌』
出演:岸田今日子

1995年4月17日〜26日
『母』 作:ヴィトカッツイ
訳・演出:大橋也寸
出演:岸田今日子 他

吉田日出子(よしだ・ひでこ)

■俳優座養成所出身。1966年に劇団文学座退団後、斉藤憐、佐藤信、串田和美らと共に自由劇場を設立。『上海バンスキング』『もっと泣いてよフラッパー』等で主演。シアターXでは『母アンナ・フィアリングとその子供たち』のアンナ役など。

演劇情報誌「シアターガイド」の掲載記事より抜粋 2005年4月号
「母アンナ・フィアリングとその子供たち」の吉田日出子

 「まだよくわからないんです」と、おっとりとした口調。この人の“わからない”は、現在進行形で湧いてくるイメージが言葉にならない、の“わからない”なんだろう。食い下がって「どんな作品になるの?」なんて尋ねるのは、大切な物を握る人の手を無理やりこじ開けるような、なんだかひどくデリカシーのない行為みたいな気がして、継ぐ言葉を失ってしまった。 
 吉田日出子、4年半ぶりの舞台作品は、戦禍にしたたかに生きる庶民を描いたブレヒトの『母アンナ・フィアリングとその子供たち』。演出家ルティ・カネルはじめ、美術家、音楽家にいたるまでを、戦争を知る国イスラエルから招いての意欲作だ。「東京で上演しているお芝居は観に行く気も、やる気もあんまりしなくて、のぺーっと生きてたんですけど(笑)。イスラエルの演出家の方がやるっていうのをチラシで見て、お会いしたこともないのに『この人とやりたい』って思って」。で即、電話。なんと立候補で出演が決まったという。
 「“戦争とは”なんてことも私には到底わかりっこない。それよりも願わくは、舞台上で、観客の皆さんが懐かしくなるような佇まいでありたい。いうなれば夕日のような雰囲気。それにせりふがついてるだけっていうか。それになれたらいいな」。哀しくて温かく、懐かしく力強い。舞台の上には人種も国境もなく、人間のありようだけが据えられる。
(取材・文 川添史子)

日本経済新聞の記事より抜粋  2005年3月3日
ブレヒト劇に出演、久々の歌も──吉田日出子さん
「戦争」に肉薄したい

 「ボーっとしているのが好き」というノンビリ屋が珍しく自ら出演に動いた。「戦時下の緊張を生きてきたイスラエルの女性演出家が、どういうことを思って芝居を作るのか、その根っこみたいなものを知りたいと思った」
 ルティ・カネル演出「母アンナ・フィアリングとその子供たち」(4月1日〜7日 東京・シアターX)。ブレヒト作「肝っ玉おっ母とその子供たち」を改題した舞台だ。
 舞台は5年ぶり。吉田日出子と言えば、歌の才能を披露したオンシアター自由劇場時代の「上海バンスキング」の名舞台が浮かぶ。今回も劇中歌を7曲歌う。イスラエルのロネン・シャピラによるオリジナル曲だ。「詩的で、格好いい。音楽はセリフよりも速く入る」とすぐに好きになった。
 ルティの祖母が数分以内にユダヤ人収容所に連行される時、きれいな下着を急いでトランクに詰めた話しを聞いた。きれいに死ぬためにである。「ぼけっと育った今の日本人が戦争状況に肉薄できるか」。もどかしく思う時もある。
 けいこ場にはトランクがぶら下がっている。舞台美術のため世界各地から五十個近く集める。吉田は以前、二十年間に三十回住居を変えた引っ越し魔。トランクを眺めて「また引っ越したいな」とつぶやきながら、舞台上では母親役として戦場を駆け巡る。

2005年4月1日〜7日
『母アンナ・フィアリングとその子供たち』
原作:ベルトルト・ブレヒト
構成・演出:ルティ・カネル
出演:吉田日出子 他
(撮影:コスガデスガ)

櫻井 修(さくらい・おさむ:1927年〜)

■1927年東京生まれ。東京大学法学部卒。住友信託銀行社長、会長を経て現在は同行特別顧問。週刊朝日に映画批評を連載なども。映倫管理委員会委員、大学審議会委員などを務めている。

2002年〜2003年シアターX批評通信に4回連載
櫻井 修氏の“桜のランドスケープ”シリーズ

シアターX批評通信9号より抜粋 2002年10月29日
『桜のランドスケープ』@──(サクラ・サムのびっくり箱)
これもまた一局の碁か

 囲碁の世界では、しばしば「これもまた一局の碁か」と言う。さりげない語感にすぎないが、私はこの表現に格別の思いがある。
 一向に上達しない碁好きだが、プロ同士の対局譜をひとりで並べて見るのも楽しみのひとつだ。まだ序盤の段階では局面も広々として、さまざまな構想が浮かび、構図を描くことができる。もちろんどの着手にも最善はない。Aを選択すれば、それなりに黒白のドラマが生まれ、Bを決断すれば、全く価値体系のちがう世界に入ってしまう。一手ごとに長い一局の流れが動き、その後の風合いも変わり、いわば還らざる河に漕ぎ出して行くことになる。川筋の岐路にさしかかると、解説者は概ね「ここでは善悪は言えない。どちらも一局の碁か」と言う。
 勝負にすべてを賭けるプロ棋士としては、むしろ、盤中の最善手を求める局面の方が、よほど楽かも知れない。その場合は、明らかに得失を量る尺度があり、ひたすら読みの深さや確かさを競い合い、その一点だけに没入すればいい。しかし、いくつかの岐路に立った時は、何に迷い、何と闘うことになるだろう。おそらく、そこには棋風と呼ばれる(好み)の領域があり、互いに知り抜いたプロ同士の意地や自負もある。さらには、美意識へのこだわり、ふとした心情や気分の揺れもからみ合うにちがいない。大きなタイトル戦などでは、時に四時間や五時間の長考もある。素人には想像の域を超えるが、たぶん次の一手の定量的判断よりも、そんな内面の葛藤を見つめているのだろう。
 囲碁は「手談」であるという。一手一手にさまざまな表現を託すことだが、迷い抜いた末の岐路の一手は、まさにプロとしてのアイデンティティーを賭ける決断を宣言し、その意欲や闘志を伝えることになる。そしてそれから先の長丁場は、その一手に託した意地を貫き、こだわり抜いて行く根性の勝負になってゆく。
 ひとりひとりの人生も、いくつもの山河を越えてゆく道程で、しばしば岐路にさしかかる。だが、その多くは、遙かな高みから俯瞰すれば、「これもまたひとつの人生」と言える局面だろう。まだあまりにも広い局面で、性急に「最善手」を追い求めてしまっては、人生という奥深いゲームの興趣(きょうしゅ)も機微もわかるまい。

シアターX批評通信12号より抜粋 2003年1月21日
桜のランドスケープA──(サクラ・サムのびっくり箱)
眼に見えぬ人生の集積

 「人間ほど面白いものがあるだろうか。」
 こんな書き出しで、司馬遼太郎さんが、ごく短いエッセイを遺している。歴史小説とは何かという主題なのだが、いかにもこの作家らしい犀利な筆致で、まるで西瓜をたち割って見せてくれるようだ。
 「ただ、進行中の人生に人間をほうりこんだ場合よりは、時間という秤に人間を載せて、その質量を全的に見たいと思うときに、歴史小説を読みたくなる。」と司馬さんは言う。
 「歴史は、それを感じない人にとって存在しない。しかし、一度歴史に感じてしまえば、それは夥しい生身の人生の集積であることに気づく。その人臭い密度に圧倒されないように、作家たちは窓を作って風を通し、さらには大きな余白を力いっぱいにえがくのである。」
 山田洋次監督が初めて時代ものに挑んだ映画『たそがれ清兵衛』を観て、ゆくりなくこのエッセイを思い出した。
 この作品は、映像表現としても出色の出来栄えだが、その次元を超えて、眼に見えぬ(歴史)の重みが、画面の隅ずみにまで漲っている。近年の日本映画では稀有と思われるほど時代考証も行き届いているが、もちろんそれだけではない。幕末という激動の時代を精いっぱいに生きた生身の人間の息づかいが聴こえ、その哀歓がひたひたと伝わってくる。
 主人公は、東北の小藩に仕える下積みの武士。息苦しい身分制社会のなかで、公私のはざまに悩みながら、武士としても、父としても、質朴で廉直な日日を端然と生きていく。まさしく、われわれの遠い祖先の一典型であり、まぎれもなく無数の清兵衛たちの生身の人生が集積した土壌の上で、今日われわれは生きている。
 戦後の時代もの映画は、華麗な演劇性に自己陶酔するか、封建制への呪咀の視角に偏して、(歴史)を感じさせない。さすがに山田監督は、いまは滅び去った武士階級のストイシズムで窓を開け、その清冽な風を通しながら、人間というものの面白さを(それは哀しさと背中合わせだが)大きなスクリーンいっぱいにえがき上げてくれた。

シアターX批評通信14号より抜粋 2003年3月24日
桜のランドスケープB──(サクラ・サムのびっくり箱)
「演劇空間」

 敗戦直後の昭和二十年秋から半年余り、両親のルーツである北陸の小さな町に身を寄せていた。東京の家が戦災で焼失し、大学の再開を待つ間だったが、世情は混乱して全く明日が見えず、これからの人生をさぐりかねて、息をひそめるような日々だった。
 ところがそんな心象風景に、思わぬかたちで窓が開く。この町にひとつしかない粗末な芝居小屋に、歌舞伎や新劇の名優を柱とする小劇団が次から次ぎへとやって来て、こんな草深い田舎では思いもよらぬ本格的な演劇空間に包みこんでくれたのである。おそらく東京や大阪の劇場がほとんど焼失した上、極限に近い食糧難では公演もままならず、やむを得ない田舎廻りだったろう。しかし、狭く粗末な芝居小屋でありながら、その舞台はいずれも一分の隙もなく、しかも熱気に満ちていた。近松もある。シェークスピアもある。岸田国士もある。舞台と客席は響き合い、溶け合った。地元の人びとにとっては望外の眼福だった筈だが、驚くほどに見巧者ぞろいで、芝居の呼吸を心得ていたし、役者の方も、ようやく戦時下のさまざまな制約から解放されて、思いのままの演技に没入しているように見えた。半世紀を遙かに過ぎた今になっても、あの演劇空間のもっていたふしぎな濃密感を忘れることができない。
 不朽の古典でも、現代ドラマの傑作でも、それだけは一方通行の映像世界と変わるところはない。演劇というジャンルの醍醐味は、舞台と客席がいつのまにか一体になり、ひとつのライブ空間をつくり上げるところにあるのだろう。そしてその高揚感のなかに、初めてドラマの神髄が見えてくるのではないか。
 もちろんあの演劇空間は、敗戦直後の異常な時代背景がつくり出したものかも知れない。平和ボケの今日、世相は乾き切っている。とりわけ、異様なまでに映像媒体が氾濫して、ほんもののドラマを生む土壌を押し流していまった。わずかな救いといえば、このところようやく仮装現実の押しつけに飽いたのか、上質の演劇や演奏会の『ライブ』空間に人気が集まっていると聞く。この流れを何とか大きな波にしたいものだ。

シアターX批評通信19号より抜粋 2003年10月25日
桜のランドスケープC──(サクラ・サムのびっくり箱)
演劇空間と時間

 この夏、二本の映画に瞠目させられた。
 ひとつは、ロシアのアレクサンドル・スクーロフ監督の『エルミタージュ幻想。』で、何と九十分ワンカットという破天荒の作品だ。世界でもっとも広大なエルミタージュ美術館に入り込んだカメラが、全長三十キロといわれる回廊を一気に駆けめぐる。その間に、歴史上の人物が次々に立ち現れ、今は夢幻となったロマノフ王朝の華麗なる日日を再現してゆく。観客は、途切れることのないカメラ視線のままに、絢爛たる演劇空間に立ち会い、さらにラストは、まさにライブの陶酔を味わう。
 もう一本は、イランのアッバス・キアロスタミ監督の『十話』だ。
 狭い乗用車のなかで、運転する主人公と隣席の同乗者の間に交わされるダイアローグ。そこから生まれる十のエピソードで構成されているのだが、カメラはダッシュボードに固定され、エピソードごとに、いずれか一方をアップで見据えたまま微動だにしない。ダイアローグは、時に激しく、時に乱れるが、片方はついに画面の外のまま、声だけ聞こえる。あまりにも窮屈なフレームだが、そこには異様なまでの臨場感が生まれ、いつのまにか観客は、現代イランに生きる登場人物たちの哀歓に一体化してゆく。

 映画という表現メディアの魅力は、まぎれもなく映像世界の限りない可能性であり、時間の壁を自在に往き来するカットのつなぎ、いわゆるモンタージュ手法の駆使だろう。
 しかしこの二本の映画は、自らその武器を捨て、いわば自虐的な形で演劇的空間と時間にすり寄ろうとしている。一体この衝動は何だろう。

 二十世紀大衆文化の王座を占めた映画は、今世紀に入ってから明らかに迷走を始めている。理由はさまざまだろうが、おそらくその核心は、CGなどの先端技術への傾斜が、かえって映像世界を大味なものにし、仮装現実の限界を露呈したことだろう。さらに言えば、もはや観客の眼も肥えて、モンタージュに翻弄されるナイーブさを失ったのではないか。
 人間をモチーフとした真のドラマを描こうとすれば、その原点ともいうべき演劇的空間と時間の世界に、回帰してゆく外はないのかも知れない。

天沼裕子(あまぬま・ゆうこ)

■指揮者・作曲家。 1999年、ドイツ州立マグデブルク歌劇場に指揮者として就任。その他 日本、ドイツ、チェコ、ベルギー、フランス、ルーマニア、韓国、モロッコ等で多彩に活躍。2004年よりルーマニア国立放送交響楽団の首席客演指揮者、2005年よりドイツ国立ヴュルツブルク音楽大学のオペラ科主任教授。
シアターΧでは、2008年(オペラ) あえて、小さな『魔笛』(音楽監督)、2009年 あえて、小さなオペラvol.2 マスカーニのオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」(音楽監督・指揮)、2009年 あえて、小さな『魔笛』(音楽監督・演出)、2010年(オペラ) あえて、小さな『魔笛』(音楽監督)
 作曲家としては室内楽やオペラを得意とし、室内オペラ エドガー・アラン・ポー原作『裏切る心臓』(マグデブルク初演) 大聖堂ギムナジウムから委嘱された子供のためのオペラ『鳴かない鶏』などを作曲。

日本経済新聞 文化欄の記事より抜粋 2008年8月20日
小さな「魔笛」大きな魅力
◇子供向けのオペラに目覚め、日独で上演

 「パパゲーノがしゃべるよ」。ウンター・デン・リンデン通りにあるベルリン国立歌劇場で、有名なバリトン歌手ローマン・トレーケルがモーツァルトのオペラ「魔笛」の陽気な鳥の狩人役で幼稚園児を相手に、楽しそうに話をしていた。

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一流歌手が全力投球
 劇場内のスタジオにカフェのようにテーブルを配置し、母親同伴の約40人の子供がアイスクリームやジュースを飲んだ後、歌手3人が子供向けにコンパクトにした「魔笛」を上演した。着替えや化粧の様子も見せ、大蛇などの役で子供たちが自由に参加できる。
 1996年のことで、この子供のための「魔笛」は一年間ほどダブル・キャストで長期上演していた。ワーグナーの楽劇を十八番とするような劇場で、子供たちにスポットを当て、トレーケルのような一流歌手が手抜きもせずにかかわっている。このぜいたくさと真剣な姿勢に文化国家ドイツの厚みを実感した。
 私のドイツ在住は通算13年。1999年にザクセン・アンハルト州の州都マグデブルクの歌劇場の常任指揮者となり、3年前からバイエルン州立ヴュルツブルク音楽大学のオペラ科主任教授として教えている。ここ数年のドイツでの仕事を通じ室内オペラ、特に子供向けのオペラの重要性を再認識するようになった。

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一番厳しい批評家たち
 フランスの現代作曲家ブーレーズは「オペラは死んだ芸術だ」と明言したが、昔の大掛かりな華美壮麗なグランドオペラの時代は終わり、これからは質の良い室内オペラこそが残るだろう。このため、自分も作曲家として室内オペラを書き続けようと決心した。
 お金がかかるグランドオペラは経済的に閉塞する現代に向いていない。忙しい社会では2時間くらいで聴けるオペラがちょうどいい。
 こうして作曲した室内オペラの第1作が、マグデブルク歌劇場から委嘱されたエドガー・アラン・ポー原作の「裏切る心臓」だ。2001年に初演、2003年には東京やソウルの国際室内オペラ祭でも上演された。
 2作目で子供のためのオペラを作曲した。オスカー・ワイルド原作で、2003年にマグデブルク歌劇場で上演した「バラとナイチンゲール」。書こうとした時点で同じ題ですでに20本近くのオペラがあった。結局、生存競争に勝ったいい作品が後世に残るのだという厳しさを知らされた。
 貧乏学生が裕福な家の娘に片思いし、ナイチンゲールが自分の血で白バラを赤バラに変えて学生に与える無償の愛を描いたものだ。この時は自ら指揮した。
 ドイツで、子供向けオペラは重要なレパートリーである。地方の劇場ごとにオリジナルの作品を持っている。新作、改編ものや、ヘンゼルとグレーテルの物語に白雪姫の話をつけるとか構成も工夫されている。
 クリスマスの前になると、観劇が楽しみの一つになる。12月の初めから、学校の授業の一環で劇場に生徒を連れていったり、親がクリスマス・プレゼントに劇場のチケットを贈ったりする。
 子供のためにオペラをやって気がついたのは、子供はストレートに感情を表し、ある意味で一番厳しい批評家だ。子供を相手に演じることは、やる側の成長につながる。

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舞台・音楽の感動重要
 子供のころに舞台の感動を経験させるのも大事だ。私は埼玉県生まれだが、舞台芸術に理解のある小学生の校長が課外授業で見せてくれた芝居「アラジンと魔法のランプ」が面白く、その感動が今も強く残っている。
 ドイツでは国や州の公立劇場が常に新作を求めている。2006年にはノルトライン=ヴェストファーレン州のミュンスター歌劇場から子供向けオペラ「小さな『魔笛』」の編曲を依頼された。メルヘン的な「魔笛」は子供向けにしやすく、各劇場が独自の「魔笛」をもっているといえる。
 ミュンスター版「小さな『魔笛』」は気鋭の女性演出家エッダ・クレップが構成・演出を担当した。「魔笛」をわかりやすく1時間10分に凝縮、男性優位の社会に対し女の目から見て、「人と共に生きる」をテーマにした台本がユニークだ。
 今夏、この「小さな『魔笛』」を東京・両国のシアターΧで日本の若手歌手を起用して8月22日から3日間、上演することになった。セリフの部分は日本語で、歌は音感を子供に知ってもらいたいのでドイツ語でやる。
 私はかねて日本の若い歌手を国際的なレベルに育てたいと念じてきた。子供のためのオペラは格好の場と考えて劇場側にお願いした。モーツァルトの音楽は子供でも伝わるはずで、歌手に力量があれば必ず子供たちに感動を与えると信じている。
(天沼裕子)

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天沼裕子さん

2010年 あえて、小さな『魔笛』(オペラ)のプログラムより抜粋 2010年8月19日
両国の小さなお客様の元気が、うれしい

シアターカイのロビー脇のテーブルには、折り重なるようにしてびっしりと芝居の置きチラシが並べられている。それを目にするたび、うらやましいと思う。戦前の活気ある浅草の時代から芝居は巾広い層に愛され続けているのだ。
それに比べオペラはどうだろう。
海外からの引越し公演は大人気だが、日本人によるオペラは相変わらず台所事情も厳しく、出演者自ら入場切符売りに精を出し、役にも音楽にも専念できずに本番を迎えるという悪循環から抜け出せない。
戻れるものなら戦前の活気ある浅草時代がいい。芝居小屋がゴマンと建ち並び、オペラ、オペレッタが連日上演され、客と演者が一体と化したにぎやかな舞台。宵越しのカネがなかろうと政情不安だろうと、明日への不安を拭い去ってくれる場があったのだ。一体あの活気はどこへ消えてしまったのだろうか。そしてオペラはこれからどこへ向かおうとしているのか。
日本のそんなオペラ事情からいつしか私は淡い夢を抱くようになった。歌芝居小屋の支配人になること。小さな舞台、小さなオケピット、小編成のオーケストラ。歌手は入れかわり立ちかわり毎晩のように幕があき、オペラ、オペレッタ、芝居が上演される。オペラがはねると近くの居酒屋では音楽談義に花が咲く。そんな夢のまた夢、心に描いていた私の前にシアターカイの芸術監督上田さんが現れた。
「オペラ、やりましょう」
シアターカイでは一昨年よりオペラに着手。ホールは完成から18年たち、壁の木も乾いてオペラにも適する環境になった。歌手のひなたちを公募し選抜する。合格ラインはきっちり守る。歌手はオペラ俳優であることが条件。荒削ではあるが、向上心や吸収力ある人たちが集まっている。
 何故にオペラかといえば理由はたくさんあるが、まずは、オペラは音楽のジャンルの中でも直截的ドラマだという点にある。
 そして何故、両国かといえば、両国の特に小さいお客様にはすごい活気があるからだ。言葉の壁もなんのその、舞台とすんなり融合してしまうのだ。こんな風に一昔前もにぎやかな晩がくり広げられていたのだろうか。この将来の紳士淑女が両国のオペラを支えていってくれることは間違えない。子供時代に観劇経験がない人は、童心に戻ってオペラを観てほしい。そしてこれら観客と共に上田芸術監督がこのままオペラ路線を続けていってくだされば、私は淡い夢は叶わずともよいとさえ思っている。
(音楽監督:天沼裕子)

2010年8月19日〜22日
あえて、小さな『魔笛』
作曲:W.A.モーツァルト
音楽監督:天沼裕子
演出:藪西正道
演技指導:ヴィクトル・ニジェリスコイ

アイカワマサアキ(1949年〜2010年)

■慶應義塾大学文学部哲学科卒。照明家。渋谷ジァンジァンでのアルバイトを通して間章と出会い「半夏舎」の活動に参加。笠井叡主宰の天使館に参加しダンサーとして出演も。その後、あらゆるジャンルの舞台に照明プランで関わる。シアターΧでは1992年オープン当時より関わり、演劇、ダンス、パフォーマンス、オペラ、音楽などの照明を担当。シアターΧ国際芸術祭のテクニカルディレクターも。舞台スタッフの育成にも尽力。1998年よりシアターΧ「スタッフ塾」を始める。

日本経済新聞 文化欄の記事より抜粋 2008年8月20日
オッケー! JOHN′S アイカワ祭 実行委員会主催
── キャバレー・シアターΧの夜(2011年11月18日・19日)

 2010年、シアターΧと深い関わりのあった二人の芸術家が亡くなった。一人はつかこうへい氏、もう一人はアイカワマサアキ氏。照明家としてアイカワ氏は1992年劇場オープンから常にシアターΧと併走。前衛的舞台の創出やスタッフ育成に尽力されてきた。長年の友人の杉田丈作氏(舞踏家)を中心に実行委員会を結成。アイカワ氏のこころざしに相応しい形として「オッケー! JOHN'S アイカワ祭」を企画したところ、アイカワ氏と舞台創造に携わった舞踊家、演劇人、人形遣い、パフォーマー、オペラ歌手など、個人・団体39、総勢93名が参加することに。2日間に渡り多数の来場者が訪れ、様々なジャンルが混合したパフォーマンスで弾んだ。現在、この大騒ぎを毎年の「アイカワ祭」として開催することも…。


アイカワ氏の名(迷)文抜粋@
2009年8月 【シアターΧスタッフのインターン制度について】

 残念ながら現状では劇場が地域とか社会の中で文化的役割を担うかは、その形態や内容によって様々である。
 わがシアターΧは、上田美佐子芸術監督の下、1992年に開館し、前衛にしろ、伝統にしろ、時代をひっぱてきた内容の舞台芸術を創作してきました。
 またその劇場の基本にある文化的形態は世界の各国によって特徴があり、国のなり方や、国や地域の力の入れ方で大分相違が生じてきている。例えば東欧、社会主義、共産圏の場合とか、資本、自由主義の各地域の力とか。それが劇場にくっついたり、離れたりしているのが実情である。
 そのなかで日本は今頼りの文化に対する助成の仕方で変化が起きている。芸術に対して、その内容よりシステムとか組織に力を体制を確立し、助成を促している。
 もともと観客とアーテイストだけの純粋な関係は徐々に助成とかスポンサーとかの仲介によって鈍くなっているのは事実である。
 そこで劇場をその中心にあて、社会(観客)とアーテイストの関係を正し、その上で真の前衛的な道を模索していきたい事をもう一度宣言して、生ぬるいエンターテイメントでしかない舞台芸術を生き返らせようとするものであります。


アイカワ氏の名(迷)文抜粋A
2009年1月 【還ってきた旅するスタッフ塾 イン シアターΧ・企画書】

 「舞台の上の人になれ、舞台の上の人から徹底して離れろ。」をモットーに1998年このシアターXから始まったスタッフ塾は、各助成団体のおかげで、形は変わっても2007年まで、ステージで公開パーフォーミングを手助け、一緒に現場を作り上げることを特徴に、海外、地方は基より演劇、ダンスの区別なくテクニカルより創造性、コミニュケーションに力を入れてきた。
 2009年その集大成として、最初に声をかけて頂いたシアターXと一緒に劇場空間を利用して、参加者がもう一度自分のなかの「芸術性」とは宣言せず、「表現」が今の社会、世界にどう対峙するかを確認し、テクニカルスタッフの作業を通してそれぞれの「きっかけ」を掴めればよいと思っている。演出、振付、美術、音楽音響、照明、衣装、小道具、制作─身体を使う役者、ダンサー、パーフォーマー以外─の区別スタッフジャンル。ひとつの舞台芸術ができあがるまでに必要な役割、一人の才能で賄える美術家の作品とは違い、それぞれのコミニュケーションが大事になる。
 そのコミニュケーションのやり方を教えるつもりは無い。ましてやテクニカルなんぞ1〜2年も学べばできるでしょう。
 具体的な現場の総合芸術である。カタチは千差万別である。プロデュース公演、演出家中心公演、振付家中心公演、フェスティバル形式、ショウケース形式、パフォーマンス形式。──足す現場。
 そしてもう一度見直してほしい、最小単位の役者、ダンサーから発生するアートの根本。一人芝居だったりソロダンスだったり。──引く現場。
 現場から学ぶことを中心に、継続的に。

アイカワマサアキ氏

井田邦明(いだ・くにあき:1950年〜)

■1950年横浜生まれ。演出家。桐朋学園を卒業、安部公房スタジオ所属後に渡欧。ミラノにてパオロ・グラッシィ演劇学校教師や井田邦明国際演劇学校を開校。イタリアやポルトガル、日本でもオペラや演劇を演出。イタリアの歌手ミルバのコンサートの演出。シアターXではダリオ・フォーや近松作品を演出。2012年8月新作オペラ『地獄変』を演出。

シアターΧ創立20周年記念企画 2012年8月10日〜12日
新作オペラ『地獄変』
原作:芥川龍之介 演出・美術:井田邦明 作曲:ロネン・シャピラ(イスラエル) 台本:入市 翔 音楽監督:藪西正道

演出ノート 井田邦明(プログラムより抜粋)
芥川を、いまの時代の舞台として斬新に提起したい

 約40年間、イタリアを中心にヨーロッパで演劇やオペラの仕事をしてきた私は、いつも自分が日本人であるという二重構造を抱えて生きてきた。その意味で時代の転形期の中で絶望し死を選んだ芥川にある種の共感を覚える。いま日本は、昨年の3.11を経て時代の転形期の直中にある。その問題意識を持ち芥川の「地獄変」と対峙し発見したものは、かつて江戸文化を色濃く残していた芥川が育った両国という場の記憶と様々な地獄のイメージだ。その重層構造の中から生まれる舞台のイメージを、いまの時代を生きる自分たちの舞台芸術として構築したい。
 作曲家ロネン・シャピラ氏は現代に生きる音楽家として、単に芥川のストーリーを追うだけの印象派的な音楽を作曲していない。彼は洋の東西を問わず様々な音楽の質を融合し重層構造の音楽を創り上げている。シャピラ氏の感性や音楽の質を尊重した上で、私が構想する演出と彼の音楽を弁証法的に融合させることから作業を始めた。さらにオペラ歌手たちが加わった舞台稽古が始まると、その創造過程の中で私の演出イメージとシャピラ氏の音楽とさらにオペラ歌手たちが提出するイメージが組み合わされることで、より斬新なイメージを舞台上に創り出すことを試みた。弁証法的創造プロセスといっていい。
 舞台装置は、シアターΧ特有の劇場構造をそのまま利用している。舞台袖が無く舞台奥の搬入口を開くことを思いついたが、その口とは地獄の口のメタファーと考えていい。最終的にビニールシートで覆われたブラックボックスを基本イメージにダイナミックな空間として舞台美術を構築し、映像用の幕をあえて斜め張った。 実際のオペラの演出には様々な制約がある。リブレットの指示、コーラスの人数、劇場構造、何より経済的制約など。それらを考慮してベストを選ぶのが演出の仕事だが、シアターΧで創出するオペラならば何より斬新なものを提起したい。

井田邦明氏








『地獄変』舞台写真(撮影:コスガデスガ)

シアターΧイタリア現代劇シリーズ 2001年9月18日〜23日
ダリオ・フォーのびっくり箱
『開かれたカップル』『泥棒もたまには役に立つ』
作:ダリオ・フォー 演出:井田邦明 翻訳:高田和文 出演:横山通乃 長畑豊 伊沢弘 他

対談 井田邦明×横山通乃

彼が挑戦している演劇とは何か

 日本ではあまりにも知られていないダリオ・フォーの世界。ミラノで長年、活躍し、ダリオ・フォーとも親交のある演出家井田邦明と、『開かれたカップル』に主演する横山通乃が、喜劇をひっさげて社会に挑戦しつづけるダリオ・フォーの演劇論、作品についてあつく語った。
 もともと観客とアーテイストだけの純粋な関係は徐々に助成とかスポンサーとかの仲介によって鈍くなっているのは事実である。
 そこで劇場をその中心にあて、社会(観客)とアーテイストの関係を正し、その上で真の前衛的な道を模索していきたい事をもう一度宣言して、生ぬるいエンターテイメントでしかない舞台芸術を生き返らせようとするものであります。

●井田 ダリオ・フォーが出発したのは大衆演劇なんですよ。日本では大衆演劇はバカにされているんだけど、イタリアでの大衆演劇はある種の思想的な民衆演劇。といっても民衆のためのアカデミックな演劇ではなくて、観客のひとりひとりに根づき、大衆の心をつかむポピュラーなものを目指している演劇を言うんです。
●横山 ダリオ・フォーの活躍がすごく嬉しいと思うのは、日本において喜劇は、シリアスドラマに対してちょっと低く見られている傾向があるんですね。喜劇、それも一見、アチャラカと言われるような喜劇を作ってこられたダリオ・フォーが、ノーベル賞を受賞された。大いに勇気づけられます。
●井田 喜劇はあまり日本では認められてこなかった。悲劇とかメロドラマティックなものは認められるんだけどね。西欧演劇では喜劇の価値も高いんですよ。イタリア人は、悲劇は壮年時代の視点、喜劇は歳をとり、自分の人生と距離をとれる熟成した時期の視点、パロディーは若者の視点と言っています。笑いといっても、喜劇とパロディーは違った世界です。
─── 日本は未熟ってことですね。
●井田 安部公房が昔、「日本の社会全体が喜劇のようなもんだから、観客が悲劇を観たがり、喜劇はどうも受け入れにくい」って皮肉ってたけど、日本ではどうしても喜劇は低く見られる。面白い喜劇の中にも悲劇性がないとわたしは面白くないが。
●横山 これまで喜劇の役が多かったですが、わたしは自分のことを大悲劇女優だと思っているんですが(笑)。
●井田 『開かれたカップル』のアントニア役はフランカ・ラーメ(女優、ダリオ・フォーの妻)の当たり役だが、横山さんが演じる同じ役はもちろん日本人ということで、イタリア俳優とは出てくるものが違うのが当然だが、フランカ・ラーメとはまた違う、面白さがあります。横山さんのように頭の回転が早く、柔らかい感性の人は、この作品に入りやすいのではないかな。横山さんには力強さがあり、しなやかさがあり、どちらかと言えば、ラテン的な人だと思いますね。彼女がいままでいろいろやってきたことが透けて、いろんなものを出して演じてくれればくれるほど、演技の質がダリオ・フォーの求める作品に近づいてくると思う。
●横山 わたしの父は色が黒かったので、南方系かなと思ったんですけどね…。

大笑いする中に、ダリオ・フォーの言いたいことが見えてくる

●横山 芝居の中で卑猥で猥雑な言葉をどんどん吐き、下卑たこともいっぱいするんですけれど、この『開かれたカップル』には、どこか気品が感じられるんです。
●井田 『開かれたカップル』は近代からずっと続いている男性優位社会に対して、女の人がアイデンティティを持とうと決断し、試みようとしている。その行為は人間として気品があることだし、唯一僕たちがやらなければいけないことだと思っている。そこには一生懸命生き抜く女性が見えてくるし、人間という存在が見えてくる。
●横山 女の話であり、女の叫びなんですね。この芝居。
●井田 ダリオ・フォーはアカデミックに声高々に訴えるんじゃなくて、「あの女、何をやっているのよ、バカな女」って笑っちゃう。だけど、笑いの底には男性社会の優位性に対する戦いとか、女の絶望が流れている。
●横山 そこがダリオ・フォーの作品の構造がちゃんとしているところなのでしょうかね。
●井田 単なるアチャラカの笑いと一線を画するところですね。
●横山 ただ瑣末なくだらないダジャレのようなものをいっぱい出して、お客さんにはどんどんおっぴろっがって笑ってもらう。そうしないと、本当にダリオ・フォーが言いたいことが見えてこないですよね。
●井田 そうです。

舞台の上で個人では何故いけないのか、ダリオ・フォーの疑問符

●横山 役者は舞台の上で役を演じるものだけど、ダリオ・フォーのやり方なのか、芝居をストップさせて役者に役を演じさせないときがある。そこには役柄を取っ払った横山通乃という女が立たされている。横山通乃が「横山通乃」を演じなければいけない。その人間が動き、何か事件を起こしてゆく。初演は1983年だそうですが、新しい試みだったんですか、もちろんいまでもとても新鮮ですが。
●井田 70年代、80年代の演劇の流れとして、俳優が台本をただしゃべって、作品を演じれば、それで演劇が成立するのかという疑問符が出てきた。ダリオ・フォーも言っているけれど、俳優は役をうまく演じているだけでよいのか? 俳優でもあるが、それ以前になまみの個人でもある。舞台の上で個人では何故いけないのか。役なんてほっぽっといて、横山さんという個人が出てきて「自分」を演じる。そしてまた役をやりだす。横山さんがこれまでどのように生きてきたのか、その生き方が役と一緒になり、開かれた形が客の前で見えてくると面白いですよね。それをダリオ・フォーは狙っているんです。そういう構造があるから、その役をこなすだけのリアリズム演技だけではできない。だから、横山さんの役はアントニアという名前があるけれど、アントニアがどんな生活をして、どんなことをしているか、一切インフォメーションがない。男なんて名前も無く、ただ「男」ですよ(笑)。
●横山 みんな騙されるわよ。わたしはすごくシャイでね、本当の自分なんか出せないのよ、恥ずかしくて。「横山通乃」を演じているのよ。
●井田 それが道化。他者から見える「自分」を演じることですから。

観終わって、元気が出てほしい。自分の生活を考えるとか。

●井田 いまはもう、すでに自然主義演劇はパンクしちゃっているんです。確かにネオ・ナチュラリズムの動きもありますが、じゃ演劇をどこから始めようか、違うところからエネルギーを持ってこなければならなくなった。1960年代から70年代にかけて、そういうムーブメントが起こったんです。ポーランドのグロトフスキも、台本をやめて役者の肉体に注目した。ピーター・ブルックとか、リビング・シアター、ハイナー・ミュラーも、そのほか大勢の日本の演劇人も新しい演劇の試みを始めたんです。
 そういう流れの中でダリオ・フォーは出てきているんです。近代を否定したら、何がある。中世がある。彼にとって力強い文化のラテンがあり、コメディア・デッラルテ(仮面即興劇)もある。彼はそれを再発見した。また先ほども話しましたが、役者とは何か、役者は台本なんか無くてもいい。さあやれ、じゃ何が役者はできるのか、という問題を突き詰めて、彼独特の演技スタイルを生みだしたんですよ。
 日本でもいろんな意味で演劇を大きく変革した人がいて、レヴォリューションはあったでしょうけれど、わたしには分かりかねますが、新劇という自然主義演劇を主としたものが解体して、現在、いろんな演劇が生まれている。それは、可能性のある面白い時代とは思うが。この演劇の流れの中で、どうすればいいか? もう何かも分からなくなっている、ただファッション的なものを公演するだけというネガティブさもあるのではないか?
─── 演劇というのは波風を世の中に立てるものだと思っているんですが。ことを荒立てるというか。
●横山 そう、演劇ってスキャンダラスなことなんですよ。前衛、新しいものって、つねにステキッー!って具合にはならないかもしれない。いままで見たこともないもの、慣れていないものって、もしかしたら気持ちが悪いものかもしれない。
●井田 ダリオ・フォーなんかは、例えばご飯の中にわざと石を入れるって感じですからね。素直に食べさせるんじゃなくて、気持ちが悪くなることを狙っているんですよ。演劇で社会に対して摩擦を起こしているんです。
 演劇ってのはどういう形にしろ、観客とやる側がコミュニケーションを持つことでしょ。それが演劇の力だと思うんです。
●横山 演劇の役割は非常に大きいと思いますね。俳優としての立場から言わせていただければ、要素は三つある。一つはショック、二つ目はカタルシス、お客さんが観て良い気持ちになる。三つ目は元気が出ることだと思う。元気が出るってことは、つまり、自分のことを認識する、自分は何をやるべきかということを考える。この三つのことが演劇のできることじゃないかな。俳優としてこれができたらいいなと思っています。今度の場合、ショックでしょうかね。
●井田 ショック。横山さんが舞台をストップさせて、まったく別なことを話しだす。観ている人はびっくりするかもしれませんね。
●横山 観終わって元気が出てほしい。うちへ帰って、自分の生活を考えるとか。
●井田 戦っている役アントニア、そして俳優「横山通乃」を観れば、励まされます。観客も問題意識を持って生きていこうと思いますよ。
●横山 本当によい芸術作品を観たときは勇気づけられますね、ダンス、映画、演劇とかジャンルを問わないで。自分ももっとやろうって励まされる。

解釈で演じると、作品のもっとも大切な内的リズムが死んでしまう

●井田 ぼくはオペラの演出も手がけているんですが、例えばヴェルディがイタリア語で書いた作品を日本語で歌ったら困るんです。イタリア語で歌わなければ。何故か? その音楽と言葉の持っている関係とダイナミズムが重要です。リズム。ダリオ・フォーの作品を原文で読むと、そこに息づいているリズムが分かるんですよ。作品が持っている内的リズムっていうのか、ダリオ・フォー独特な言葉のリズム。横山さんはリズム感がある人だから、日本語をうまくこなしてダリオ・フォーのダイナミズムに近づけてくれたら。言葉と音楽のオペラと、芝居とは違うが、しかし単なる意味とか解釈だけで演じてしまうと、作品が持っているもっとも大切な内的リズムが死んでしまう。それはオペラも芝居も同じ。
●横山 それでいて、まったく違った意味にならないように言葉を置き換えないといけないから、セリフを言うのがたいへん難しい。
●井田 ややもすると翻訳劇の難しさは、解釈芝居というか、作品の紹介だけに終わってしまいがち。作品の構造が立たないし、作品が生きてこない。ヴェルディの音符をみて解釈するのはどんな下手なピアニストでもできる。リズムとか、呼吸とか、色とか、匂いとか、生理といった作品の持つダイナミズムを分析し、作品として結晶化させることだと思う。解釈で演じたら意味は分かるかもしれないけれど、ダリオ・フォーのダイナミズムは伝わらない。今回、何やら得体の知れない、ごつごつとした結晶体が出てくると思う。スタンダードな結晶体、黒くて緑色で黄で赤で…。でもこれがダリオ・フォーのダイヤモンドなのかと思わせる異質な結晶体ができあがれば…。








井田邦明氏(左)と横山通乃さん















ダリオ・フォー:(Dario Fo、1926年3月24日〜)は、イタリアの劇作家、演出家、俳優、舞台美術家。1997年ノーベル文学賞受賞)。




















『開かれたカップル』舞台写真

























































2003年10月10日〜13日
シアターカイ2年がかりのブレヒト的ブレヒト演劇祭『アルトゥロ・ウイが往く、追え』構成・演出:井田邦明(撮影:宮内勝)

イタリア現代演劇シリーズ[ダリオ・フォーのびっくり箱]
『アナーキストの事故死』2002年9月23日〜29日
作:ダリオ・フォー 演出:井田邦明

びっくり箱の中の玉手箱
シアターΧ批評通信9号より抜粋

ダリオ・フォーというノーベル賞受賞作家に対し、なんと失礼なことを、と叱責されるかもしれないが、率直に言って彼の戯曲は、古典作家の作品としては歴史に残らないものかもしれない。といっても、彼の演劇観が「『今そこにある社会』に対して問題を提議する」というものであるから、古典作家の地位など望んでいないであろう。何より、彼のパロディー精神の底に流れる人間に対する暖かい眼差し、そして役者としての肉体が、頭でっかちの気取った「芸術至上主義」の演劇人たちの存在を粉々にする。

 どちらかというと、日本人の芸術に対する感受性、価値観はベートーヴェン、ロダン、ゴッホなどの悲壮感溢れるものが好まれるが、「ジョコーザ」遊戯性の強いラテン的なロッシーニ(オペラ)やゴルドーニ(古典的戯曲作家)などは理解されづらい。ダリオ・フォーもどちらかといえば、その後者、傍系の部類にはいるだろう。このダリオ・フォーは、今までにない芸術様式を求める「〜ない世代」と呼ばれる60年代、70年代のイタリア前衛世代の寵児であるが、その作品を「リサイクル」で、しかも日本で公演することの意味は私にとっては「積極的な過去」を呼び覚ます、という行為なのである。

 数日前、ダリオ・フォーとフランカ・ラーメの公演を観た。公演後、沸き返る観客を前にして彼はこう語った。「皆さんは、ダリオ・フォーを観に来、笑い、楽しんだかもしれませんが、一歩劇場を出ると、舞台の出来事のことなど、きれいさっぱり忘れ去ってしまうのでしょう。公演後、等身大の自分の問題として芝居のテーマについて語り合ったり、討論したりすることはもはやなく、演劇が社会的に問題提議する場であったり、スキャンダルを起こしたりする場ではなくなったということなのか、演じる側と観客との関係も飽和状態となってしまったように思います」。今回の日本での『アナーキストの事故死』公演後、私が感じたまさにそのことをダリオ・フォー自身も感じているのか、とうなずいた。日本でも、芝居が終わると観客は一様に帰宅を急ぐ。人生は忙しく、家までの道程で観劇した内容など忘れ去られてしまう。ただこの舞台を観たある女優さんの「怖い芝居ですね」との感想に、喜劇であるにもかかわらず芝居の中に怖さを感じてもらえたということは私の狙いも少しは届いたのかな、と思う程度だ。

 これも大御所ピーター・ブルックが先日のミラノの講演で語ったこと。「私の『ハムレット』のポスターには私の顔が大きく載り、私の名前は『ハムレット』というタイトル文字よりも大きく扱われる。私の作品をけなす人は今や誰一人いないし、新作を発表しても新しい実験作品とは誰も見てはくれず、既に『メジャー』なものに成り果ててしまっている」と。

 グッチ、プラダなど、ブランドであれば何でも買い漁るメジャー思考が充満し、パンク寸前のどこかの国の演劇人とは一線を画する演劇人が、皮肉にもむしろメジャーの中に存在し、それがモーターとなり演劇文化を引っ張っていく欧州。来年渡欧して30年になる浦島太郎たる私は、もっと怖い笑いを日本で起こしたいと思っているのであるが、やはり観客の皆様は、観劇後帰宅を急ぐのかナ。
(井田邦明 ミラノにて)








『アナーキストの事故死』舞台写真

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