Χカイレパートリー劇場

『大正の流行風邪(スペイン風邪)・流行歌(演歌)』

2023年18日(日)

添田唖蝉坊・知道を演歌する
土取利行・邦楽番外地Vol.8

歌・演奏・トーク:土取利行

2014年に開始したシリーズ土取利行の邦楽番外地「添田唖蝉坊・知道を演歌する」も今回で8回目をむかえます。しかし前回2020年の5月に予定していた第8回目の会は世界的なコロナ流行のため中止となり、翌21年もコロナ禍の活動ができませんでした。
このパンデミックの流れはまだ完全に収まりきってはいませんが、2023年からは活動を再開します。思えば現在のコロナ、パンデミックはちょうど100年前のスペイン風邪によるパンデミックと重なって見えてきます。1918年(大正7年)に始まり1920年(大正9年)まで続いて世界に猛威を振るったこのスペイン風邪は日本でも大正7年5月から9月まで第一波をもたらし、同年10月から翌大正8年5月までの第二波ではさらに感染を拡大させ多くの死者をだし、同年12月からは陸軍新兵入営もあり兵舎が感染のるつぼとなって多くの死者をだし、翌大正9年5月までこの大きな波は続いてゆきました。このパンデミック禍で愛人松井須磨子と「芸術座」を立てていた島村抱月が大正7年11月に発熱で死去、そして愛人を失った女優松井須磨子は彼の後を追って2ヶ月後に自殺。この時期はまた第一次大戦の終焉期にあり、戦争景気で喜ぶごくわずかの資本家だけが富を得て、庶民は日々の食料も儘ならぬ状況にあった。そんな時代、米騒動が起こり、唖蝉坊は骨身になって生きている彼らを見て『イキテルソング』を演歌する。今回はこの三年間の大正パンデミック下での唖蝉坊・知道の活動を追います。

これまでのシアターΧでの「土取利行・邦楽番外地」

Vol.1「添田唖蝉坊・知道を演歌する」
Vol.2「パイノパイ添田知道を演歌する」
Vol.3「添田唖蝉坊の長歌を演歌する」
Vol.4「唖蝉坊演歌と明治大正の叛骨歌」
Vol.5「明治大正の女性を唄う」
Vol.6「唖蝉坊演歌とブラジル移民の歌」
Vol.7「唖蝉坊・知道の浅草を唄い語る」

土取利行(つちとりとしゆき)音楽家

70年代よりフリージャズドラマーとして活躍。75年に渡米し即興演奏のパイオニア達と演奏を重ねる。76年ピーター・ブルック国際劇団の音楽監督・演奏家を務め、『マハーバーラタ』など、多くの作品を手掛ける。アフリカ、アジアに民族音楽や芸能の調査に出かけ、多くの民族楽器、歌唱法を学ぶ。87年故・桃山晴衣と岐阜郡上 八幡に芸能堂「立光学舎」を設立し、数々のプロデュース公演を企画・出演。また「銅鐸」「サヌカイト」「縄文鼓」など日本の古代音楽の研究・演奏を手がける。演歌の祖、添田知道の最後の弟子として演歌を学んでいた桃山晴衣の逝去後、彼女が取り組んでいた日本のうたの再生を試みるべく、三味線を手に添田唖蝉坊・知道演歌に取り組みすでに3枚のCDを発表。著書に『縄文の音』『壁画洞窟の音』『螺旋の腕』、H・イナーヤト・ハーン著『音の神秘』(訳書)。CD多数。2022年DVD『浜辺のサヌカイト』リリース。2023年磯崎新氏の『間』展でイランと日本の音楽家の交流、創造の指揮を取る。また同年秋に空海生誕1250年祭で『三教指教』上演予定。

添田唖蝉坊(そえだ あぜんぼう)1872〜1944

演歌師。神奈川県出身。本名平吉。演歌中興の祖。1890年東京の街頭で壮士演歌を聞いて青年倶楽部に入り,演歌師となる。日露戦争頃より社会主義を信条とし,政治家,特権階級や社会の批判,風刺を取り入れた歌を作り,日本中を演歌して回る。1918年青年親交会設立,機関紙《演歌》(のち《民衆娯楽》)刊行。代表作は《ストライキ節》《ラッパ節》《ノンキ節》など多数。著書は《唖蝉坊流生記》など。

添田知道(そえだ ともみち)1902〜1980

文筆家。筆名添田さつき。放浪の演歌師として著名な添田唖蝉坊(あぜんぼう)の長男。東京・浅草に生まれ、日本大学中学中退後、堺利彦(さかいとしひこ)の売文社で働く。父親に倣って演歌の作詞・作曲などを手伝い、また大衆小説も書く。戦争下の1942年(昭和17)、自分が卒業した貧民街の万年小学校長坂本龍之輔をモデルに、書き下ろし長編小説『教育者』で第6回新潮社文芸賞を受ける。全四巻、2400枚のこの大長編は、未完のまま終わった。63年(昭和38)『演歌の明治大正史』で第18回毎日出版文化賞を受賞。ほかに『日本春歌考』(1966)などがある。


公演日程

2023年1月8日(日)14:00
※開場は開演の30分前

チケット

1,000円
(全席自由)

[チケット申込]
シアターΧ(googleフォームに飛びます)

問い合わせ

シアターΧ

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