上演記録

1992年シアターΧオープニング特別企画「ヴィトカッツイのびっくり箱」を皮切りに、シアターΧから生まれた数々の作品群の中から抜粋して記事・記録を掲載します。

1992年

ヴィトカッツイのびっくり箱
(1992年9月〜12月 シアターΧオープニング企画)

■スタニスワフ・イグナッツイ・ヴィトキェヴィッチ(愛称:ヴィトカッツイ) 
(1884年〜1939年自殺 ポーランド生まれ)
作家、劇作家、画家、美学者、批評家。1992年、シアターΧの劇場のオープニング特別企画のヴィトカッツイ・フェスティバル“WITKACY-in-the-box(ヴィトカッツイのびっくり箱)"では、『水鶏』『狂人と尼僧』をポーランドやノルウェーや日本の劇団が競演した。他に写真、絵画展も。


シアターΧ情報誌ニューズレター準備号インタビュー記事より抜粋 1992年
龍村 仁氏へのインタビュー(ヴィトカッツイ・フェスティバル総合ディレクター・映像作家)
ヴィトカッツイの刺激とフェスティヴァルの挑戦

 この2000年ぐらいのあいだ、我々はヨーロッパの光の当たっている部分を見てヨーロッパと思ってきたけれど、ヨーロッパを突き動かしてきた、あるいはヨーロッパ自身が自分のなかで押さえ込んできた闇の部分みたいなものがあるのではないかと思えるんです。
 こうしたエネルギーが、ヴィトカッツイのバックグラウンドにもあるんじゃないかと思われる。第2次世界大戦前までの激動の時代に、彼がいろんな形で表現してきた世界というのは、実は人間の根源的な闇の世界ではなかったろうか。そして彼が肖像画に描いた目、レンズを見据える目こそ、ヨーロッパの闇へ通じるトンネルみたいなものじゃなかったかと。
 ヴィトカッツイ的なるものにどんどん触れていくと自分自身が危険になる、ということがわかってきたんです。しかし避けて通れなくなってきた。逆にいえば、危険に触れていくようなところでなきゃ、もうある種自分自身がヴィトカッツイに感動したり、心動いたりすることなどなくなった時代でしょ。だって、「みんなもうわかっちゃってるよ!」なんてところに、このヴィトカッツイ的なるものをぶつけてきたらどうなるかな?
 人間なんて本来、存在自体が危険なんですけどね。生命、生きてるってことが……それに対峙しないできたから、見ないできたから楽に生きたい訳ですよ。




シアターΧ情報誌ニューズレター創刊2号より抜粋 1992年
シアターΧオープニング特別企画 『水鶏』 作:ヴィトカッツイ 
脚本・演出・仮面:遠藤啄郎 音楽:矢吹誠 出演:新井純 他 
(1992年9月15日〜23日)
「ヴィトカッツイ的」なるものの構想は、しんどいけどね!

遠藤啄郎氏(横浜ボートシアター代表)が「ヴィトカッツイ的」なるものとして、そのヴィトカッツイの戯曲『水鶏』を日本で初めて演出するというのは、それこそ'92年演劇界におけるひとつのエポック、“劇的な事件"となるかもしれない。ポーランドのキューレター、べアタ・ロマノーヴィッチさんとの対話からは遠藤テキストもあぶり出され垣間見えた…


●遠藤  私は今年秋、『水鶏』を芝居にしようと思っているのですが、日本人というのは、どうしてもこういう世界が不得手なんですね。表現していこうとするときに、こうした(ヴィトカッツイの画集を見ながら)デッサンがもっているような世界が……。この間も、むこうの方のやられた芝居などを観ていて思ったんですが、身体性が全然違うんですね。表現とか表情とかあらゆるものを含めて、日本人の身体がもっているものとあちらの方がもっているものとが違う訳です。これを日本でどういう風に表現するか、私は非常に悩んでいます。
   ──中略──
●べアタ  ではまだ、具体的なコンセプトというのは……?

●遠藤  ええ、ある大枠はもってますけど、まだ自分のなかではっきり決めている訳ではない。ただ、時代とか場所とかというものは、どこか僕の内面にあるイメージのなかに置き換えなきゃしょうがないかな、と思ってるんです。例えば子どもの頃の心象──そうしたものとどこか重ねていかなきゃならないかな、と思っているんです。
   ──中略──
●べアタ  60年代、世界中でちょっとした不条理演劇のブームがありました。その頃彼のテクストが発見され、本も出版されました。一部若者の反体制演劇とか反写実主義の流れに、たまたま重なった部分もあったかと思います。しかしその流れ自体は、日本でもポーランドでも過ぎ去った感がありますので……彼の芝居が以前ほど上演されている訳ではありません。しかし文学者・劇作家としてだけではヴィトカッツイは評価できないと私は思っています。写真家としてのヴィトカッツイ、画家としてのヴィトカッツイ──そうしたものが多面的に出てくると、かつて流行したヴィトカッツイとはまた違った世界が見えてくるのではないでしょうか。

●遠藤  僕が最初に表現主義やダダイズム、シュールレアリズムなどヨーロッパの前衛芸術にふれたのは中学生の頃、1930年代の終わりです。第2次世界大戦がもう始まっていました。知人の家や古本屋などで、画集や文芸書を見つけ、その秘密めいた世界(時代は軍国主義、忠君愛国の時代です)に心を引かれました。それはまるで禁断の果実のように魅力的でした。その出会いが、自分の絵や演劇の仕事をしてゆく大きなきっかけとなりました。ですから我が国での60年代〜70年代の不条理演劇の流行は、僕にとってそれほど心を引かれたものではありませんでした。

●べアタ  そういうお話しですと、もうすでに先生のなかには、ヴィトカッツイをつくることができる、ある種の基盤みたいなものが出来上がっていらっしゃるようですね。

●遠藤  僕が今ヴィトカッツイに感じるものは、世界大戦への予感であり、僕の両親などをとおして感じた大正時代の匂いです。ですから、ヴィトカッツイは僕自身の少年から青年に変わってゆく、その境目──不安定でありながら、とても魅力的な思い出と重なっています。そんな舞台がつくり出せたらと思っています。

「ヴィトカッツィのびっくり箱」
“Witkacy in the box”
(1992年9月〜12月シアターXオープニング企画)
画:スタシス・エイドロゲヴィチウス(ポーランド)

1992年9月15日〜23日
オープニング特別企画『水鶏』
作:ヴィトカッツイ
脚本・演出・仮面:遠藤啄郎
出演:新井純、杉浦悦子 他

1993年

『熱海殺人事件・エンドレス』(1993年4月1日〜11月14日)

産経新聞夕刊の掲載記事より抜粋 1993年2月22日
作・演出:つかこうへい 出演:阿部寛、平栗あつみ、山崎銀之丞、池田成志、春田純一 他

勝ち抜く出演者は誰だ 
         出来次第で降板も抜擢も


 つかこうへいの代表作品で、出演者がし烈な“勝ち抜き”を。「熱海殺人事件・エンドレス 勝ち抜き演劇合戦」(作・演出:つかこうへい)が4月から11月まで、東京・両国のシアターΧカイ で開かれる。池田成志、平栗あつみら四人のキャストが引き続いて出演するかは、各人の出来次第。また、オーディションも同時に実施され、新人の抜擢起用も行われる。

 昭和48年初演以来、若者を中心に熱狂的に支持され続けている「熱海殺人事件」。これまでも、“700円劇場”など低料金上演、韓国版上演などのユニークな公演を重ねてきたが、今度は、出演者の“勝ち抜き”という珍しいスタイルのロングラン公演を実施することになった。
 「熱海殺人事件はもう20年になるが、やっと納得のできるものがやれるようになった。役者の力がつく芝居でせりふも多い」と、つか。これまで、この作品からは三浦洋一、風間杜夫、平田満ら人気俳優が輩出している。
 昨年、紀伊国屋ホールで上演された時のメンバーは、木村伝兵衛部長刑事は池田、熊田留吉刑事は春田純一、水野朋子婦警は平栗、犯人・大山金太郎は山崎銀之丞だった。
 「彼らはいま考えられる最強のメンバーだが、すでに1000人ほどのオーディションをやって、15人から20人残っている状態」(つか)
 これから、さらにオーディションを実施して“新戦力”を補強しながら、11月までロングラン公演を行う。毎月1日から15日までの夜7時スタートが中心で、午後3時からの公演もある。
 7月までは昨年のメンバー4人が出演する予定で、それ以降は未定。「昼間はオーディションをやって、いい人を夜の本番に起用したい。高校生も使いたいですね。4人のうちの誰かが盲腸になったりすると、いいチャンスなんですが…」(つか)
 出演者は、4年目となる平栗が「『熱海─』をやらないと一年が始まらないような気分」。また、昨年から参加した山崎が「まだ、自分がやれる実感がないですね」。「新しい人は失敗もあるが、たまたま当たることがある。昨年も山崎の犯人像で戯曲のテーマが変わった」(つか)。山崎は酒井敏也のテレビ出演の合間に抜擢されて、レギュラーの座をつかんだラッキーボーイだ。


「THE DAISAN BUNMEI」の掲載記事より抜粋 1993年5月号
『熱海殺人事件・エンドレス』勝ち抜き演劇合戦

つか演劇の代表作に新たな生命が吹き込まれる

 バブル崩壊の余波は演劇界にも今ごろになってじわじわと押し寄せてきて、いくつかの劇場の閉館とお知らせが届いたりフェスティバル中止の話が聞こえてきたりする。それにしてもバブリーな時代の恩恵は、演劇界に関するかぎり、一体どこの誰が享受していたのだろうかと、不思議でならない。
 現場の人間たちは、いつもどおり貧乏だったし、冠のついた公演だからといって、お金のかかった豪華な舞台というのにもあんまりお目にかからなかった。外国からの演劇やダンスは相かわらずべらぼうなチケット代を取っていたし、空調もシートも満足でない劇場でも、観客たちはおとなしく入場料を払って、お尻の痛さを我慢しながら芝居を観ていたものだった。
 “現場から一番遠い代理店なんかが協賛金持っていっちゃうのはおかしい。うちの公演では、スポンサーからのお金はできるだけ観客に還元する”と宣言したつかこうへいが『熱海殺人事件』を1000円で上演しはじめたのは、ちょうど2年前。普通は3000円から4000円のチケット代の紀伊国屋ホールで、つか芝居の代表作がたったの1000円で観られるなんてと、私も何度も足を運んだものだったけれど、今思えば、あれこれバブルの恩恵を肌で感じた数少ない機会だったような気がする。
 その『熱海殺人事件』が、値段はついに2000円と値上げになってしまったが、8ヵ月のロングラン、そのうえ途中でオーディションによるメンバーチェンジもありという、小劇場にはかつてなかった大胆な構想で、4月からの長期公演が決まった。
 いうまでもなく『熱海殺人事件』は、つかこうへいが生みだした70年代の傑作戯曲のひとつ。三浦洋一・平田満・風間杜夫・根岸季衣・加藤健一など、当時はまだ無名の若手俳優だった彼らを、次々にメジャーデビューさせた伝説的な作品だ。
 出演者は4人だけ。警視庁の取調室を舞台に、殺人容疑者と彼を自白させようとする2人の刑事と一人の婦警でみせる、一幕ものの犯人オトシ劇。
 だが、この一見シンプルな物語が、つかこうへいの手にかかると、愛憎渦巻き、理不尽の嵐吹き荒れるドラマを呼び起こし、舞台は役者たちがシノギをけずる熾烈なバトルのリングに化してしまう。
 愛と屈折、傷つけ合いと闘い。役者みょうりに尽きるといってもいい、複雑な人間心理と感情表現を満載したつか芝居は、演じる俳優たちが魅力的でなかったら面白さも半減してしまう。『熱海殺人事件』は役者で見せる、そして役者を育てる芝居なのだ。
 四月からのキャストは“今現在のベストメンバー”とつかが太鼓判を押している四人。昨年上演の、彼らの『熱海殺人事件・92年版』は、ここ数回の上演の中で、いちばんクオリティの高い舞台と評判をよんだもの。とくに部長刑事役の池田成志と犯人役の山崎銀之丞の食うか食われるかのバトルは、まさにつか芝居ならではの醍醐味を味あわせてくれた。
 しかしこのロングランの8月以降のキャストは未定。オーディションで出てくる才能に期待をかけての白紙だという。
 現メンバーに続く新しい才能は果たして現れるか。いや、ぜひ、現れてほしいと思う。
 バブルの波が改めて洗い出した文化状況の貧しさ。この勝ち抜きエンドレス戦は、そんな状況に立ち向かう、つかこうへいの心意気の戦いなのだから。
(榊原和子)


「週間新潮」の掲載記事より抜粋 1993年5月25日
『熱海殺人事件・エンドレス』勝ち抜き演劇合戦

つかこうへいに占拠された両国の前衛劇場

 演劇を志す若者の間で、今も伝説的存在なのが、つかこうへい氏だ。1970年代、風間杜夫や平田満を起用して次々に傑作を発表。舞台に一時代を築いた。「それが最近は、繰り返し『熱海殺人事件』など旧作を再演するばかりで、新作には滅多にお目にかかれない。彼はもう、新しい芝居を書けなくなったんじゃないかと諦めかけています」
 とは、長らく彼の舞台を見てきた演劇ファン。ところがここへ来て、“つか立つ”の報が伝わってきた。
 彼が新たに活動の拠点としたのは、昨年秋、相撲の街・両国に誕生した「シアターΧ」。座席数300の小劇場だが、オープン以来前衛色の濃い公演を連続して、関係者の評判となっている。
 つか氏はこの劇場に腰を据え、またも初期の代表作『熱海殺人事件』を、4月から11月までの8ヵ月間、毎月1日から15日までロングラン公演する。キャストは当初、昨年の公演と同じ4人でスタートするが、8月以降はオーディションで有望新人が現れれば、直ちに役者を入れ替える“勝ち抜き演劇合戦”方式。彼自身の演劇教室も企画され、まさに劇場を占拠した格好だ。
 「俺に会ったら、もしかしていい芝居に出してもらえるかもしれない、花開かせてくれるかもしれないと思っているやつらに、門戸を開いておいてあげたい」
 と意気込むつか氏。「シアターΧ」の上田美佐子プロデューサーも、「彼はかつて風間や根岸季衣と出会うことで、『広島に原爆を落とす日』や『ストリッパー物語』などの傑作を生んだ。輝く役者との出会いがなければ、新しい舞台は作れない。新作を完成させる場として、この劇場を使ってもらいたい」
 若い才能との出会いは、再びつか氏の創造力に火を付けるのだろうか。

1993年9・10月 
『熱海殺人事件・モンテカルロイリュージョン』 作・演出:つかこうへい 
出演:阿部寛、山本亮、平栗あつみ、山崎銀之丞 歌:若林ケン 
(撮影:斎藤一男)

1993年11月
『熱海殺人事件 永すぎた春』
作・演出:つかこうへい 出演:池田成志、春田純一、山崎銀之丞、平栗あつみ
(撮影:白井直樹)

1995年

プログラムより抜粋 1995年4月17日
演劇集団円 ヴィトケヴィッチ(ヴィトカッツイ)作『母』(1995年4月17日〜5月1日)

訳・演出:大橋也寸 出演:岸田今日子、吉見一豊 他

呪われた詩人

 70年代の始めに、マドレーヌ・ルノーとミシェル・ロンスダールが演じるヴィトケヴィッチ作「母」を見た時も、感受性が総動員された。暗い話なのに、皮肉な言葉のやりとりに絶えずクスクス笑っていた。母と息子の嘘の重ねあい、お互いに純粋を求めながら、虚実の薄い皮を剥ごうとすればするほど、微妙な嘘の罠にはまってしまう。アルコール、モルヒネ、コカインと陶酔の度が深まるとともに、精神が荒廃し、解体されてゆく。二人とも無抵抗に流されるのではない。立ち直ろうとしては、もっと大きくつき崩されてしまう。激しい母と子の近親相姦的な愛と憎しみが、ひたすら破局に向かって突進し、すべてが虚無に、劇そのものも無に帰して終わる。
 背徳の熱し、腐ってゆく匂い。
 大体、詩の毒に染まった作品が演出していて面白い。日常の平板な精神生活に対する、この上ない解毒剤だ。
 戦後50年かかって、日本の国が抹殺しようとしたものが、ここにあるのではないか。
(大橋也寸)

1995年4月17日〜26日
演劇集団 円公演
『母』 作:ヴィトケヴィッチ
訳・演出:大橋也寸 
出演:岸田今日子 他

朝日新聞夕刊の掲載記事より抜粋 1995年9月22日
原始かぶき『青森のキリスト』(1995年9月20日〜26日)

作・演出:郡司正勝 出演:和栗由紀夫、中村京蔵、坂東みの虫 他

古典化以前の姿に不思議な魅力

 青森県にはキリストが渡来したと伝えられる土地があり、今も十字架が建てられている。この作品はキリストがはりつけになったゴルゴダの丘から始まり、毬屋(マグダラのマリア)がその遺体を海路青森県へ運び、キリストはこの地で昇天したという物語である。作・演出は歌舞伎研究の学者で戯曲の筆も執る郡司正勝。
 中村京蔵の毬屋と坂東みの虫の油太(ユダ)が出会うゴルゴダの丘の場がすてきに面白い。二人ともすっかり歌舞伎のこしらえ歌舞伎の演技で、これにフラメンコギター、津軽三味線、ビゼーのオペラ「カルメン」の「闘牛士の歌」が入り、京劇の音楽で立ち回りとなる。
 裏切り者と見られていた油太は痛手を負って善人に立ち返り、しの笛入りのしんみりした合方(あいかた)で本心を打ち明け、毬屋に日本への渡航を指示する。
 この場に比べると、現代の風俗の群衆や兵士たちが、小劇場風のコミカルな演技を繰り広げるは、少しも面白くない。まじめに歌舞伎をするほど、そのまじめさが状況や音楽とそぐわずに、かえって遊びに転ずるのである。
 この不思議な目新しさは、歌舞伎が中世の芸能のなかから生まれた時の魅力だったかと思われる。今では古典化して、まじめなものになってしまった歌舞伎のなかから「原始かぶき」の息吹が魔法のように浮かび上がってくる。現代の風俗は、現代の小劇場演劇にまかせた方がよさそうだ。
 キリストは舞踏の和栗由紀夫。歌舞伎女形の京蔵の体が、音楽を吸収してふくれ上がる時、和栗の体は空蝉(うつせみ)のようにはかなく、亀井広忠の大鼓一調(いっちょう)の響きにも吹き消されそうに見えて、その違いも示唆に富んでいる。
(天野道映)

1995年9月20日〜26日 
『青森のキリスト』 作・演出:郡司正勝
出演:和栗由紀夫、中村京蔵、坂東みの虫 他

1996年

シアターΧ情報誌ニューズレター21号より抜粋 1996年10月1日
『王女イヴォナ』(1997年10月24日〜11月3日)

シアターΧ5周年記念プロデュース公演 作:ゴンブロヴィッチ 演出:ヤン・ペシェク

ゴンブロヴィッチ・ウィルス?

 20世紀のワルシャワに一人の特異体質の男が出現した。その名をヴィトルド・ゴンブロヴィッチ。少年時代から家族や学校という場で居心地の悪い思いばかりをし続け、祖国の消滅とともに亡命者となり、亡命ポーランド人社会でも異端者となり、ゲイでありながら結婚し、何処の国民ともならず、成熟も拒否し、常に文学の周縁に位置しようとし続けた男。
 この男の手にかかると、神の真理に触れるダンテの崇高な旅は、カタルシスのない堂々巡りになってしまうし、若い男女の純愛も、下心と道徳的通念が交錯する徹底した紋切型になってしまうし、苦渋に満ちた祖国の歴史もナンセンスなファルスに変わってしまう。この男は一切の形而上学を排し、苦痛だけを信じていたが、一方で怠惰を極め、意地の悪さを万人に平等に貫いた。
 この男は全く、ほかの男と取り換えが効かない。それゆえに今日の日本にあっても、この男の魂を復活させる意味は大きい。私たちは積極的にこの男に影響されるべきである。ゴンブロヴィッチ・ウィルスに感染した者だけが、栄光あるヒコクミンたり得る。
島田雅彦(作家)

ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ(ポーランド)

1997年

シアターΧ情報誌ニューズレター25号より抜粋 1997年10月1日
『歩く』
(シアターΧ:1997年6月16日〜18日/ポーランド公演:1997年6月20日〜7月1日)

シアターΧ5周年記念プロデュース公演 作・演出:郡司正勝

日本式の歩き方──『歩く』ポーランド公演新聞評 

──現代美術センター、シアターΧの上演。世界に類を見ない日本の劇場、伝統が20世紀のアヴァンギャルドによって精錬される。
 現代舞踏、ブトウと並んで、能と同じく、中世に起源を持つ伝統的な演劇が存在する。ウィヤドフスキ邸で月曜日に上演された、東京からのシアターΧによる「歩く」では、慣習的な過去に閉じこもる、現代的形式を模索することとの間の緊張によってもたらされた、豊かな成果が披露された。
 これは、様々な種類の歩みから構成されている、偶然の歩みから、数ミリ単位まで正確な歩み、あるいは能の役者の動きを思わせる歩みまで。この上演は、新しい踊りの体系と伝統的な動きとの間に生じる、厳しい衝突によって構成されていた。「歩く」は様々な世代の芸術家たちの作品である。演出は郡司正勝教授。彼は85歳で、日本の古典演劇の大家である。俳優たちの大部分は非常に若い。最初、列をなして歩く俳優たちは、すぐに能の舞台のような動きを始めるのではないかという印象を与える。しかし、黒いメリヤスシャツに留められた幅広の袖だけが、わずかに伝統とのつながりを残すのみであることがわかる。また別の場面では、あたかも文楽という人形による一部を見ているような気持ちにさせられる。舞台には3人の覆面をした操り師が登場し、背景には三味線が響きわたる。ただ操り師は、人形ではなく、生きた娘を動かすのである。更に、「人形」は明らかに操られるのを嫌がっており、絶えず操り師から逃れようとしている。
 「歩く」は、日本の演劇の歴史を示すのと同時に、現代のポスト工業化社会が、これまで長年にわたって作られてきた規制と規範とによって生きのびようと努めている、日本そのものの歴史をも示している。ここでは、「日本的な生き方」の様子が面白いだけでなく、芸術家達の、自分自身の文化に対する批判的な捉え方もまた興味深い。郡司正勝氏は、彼の年齢から考えても、また経歴からしても、アカデミズムにとどまっても不思議でないにも関わらず、あえて果敢にも伝統をあざ笑うのである。
(1997年7月2日 ワルシャワ ヴィボルツァ新聞:ロマン・パブロフスキ)

1997年6月16日〜18日
(シアターΧ初演)
1997年6月20日〜7月1日
(ポーランド公演)
1997年11月25日・26日
(シアターΧ5周年記念プロデュース公演)
『歩く』 作・演出:郡司正勝

2000年

すみだの春「国際フール祭2000」(2000年4月20日〜30日)

SUMIDA国際フール祭実行委員会/シアターΧ/アフタークラウディカンパニー主催

すみだの春「国際フール祭2000」に寄せて

 「フール」を英和辞典でひくと、「ばか」、「愚か者」、「あほう」など知能指数の低い人間の名詞が出てきます。動詞の項には、「ひとをだます」とか「ばかな真似をする」などとあって否定的な意味を含んだ言葉のような印象を受けます。「エイプリル・フール」もその根源的な意味からはなれてひたすら「わるふざけ」が許される行為のように受け取られています。「すみだの春 国際フール祭」といった名称もどこか不真面目な響きをもっていると考えるひとがいるかもしれません。しかし英和辞典をもう少し我慢つよく、先のほうまで調べてみると、「(昔、王侯・貴族にかかえられた)道化師(jester)」というのがあります。昔とはいつごろかとなると、たいへん難しいはなしになりますが、だいたいルネサンス時代の各地の宮廷で、道化師は禄をはんでいたようです。
 われわれが最もよく知っている例にはシェイクスピアの芝居があります。
 宮廷道化師のフールは、国王や重臣を滑稽なふるまいやくだらない冗談で楽しませるのですが、その一方寸鉄人を刺すようなことをいう智者の側面ももっています。だから国王に人生の真実や行為の忠告なども堂々と告げることができます。となると愚者と賢者とはあまり変わらなくなります。こうしたフールの伝統に則って世界にはさまざまなエンターテイメントが存在します。近代になってからはそれはひとつのショーとして独立し、多くの観客を集めています。これに似たことをしようというのが、フール祭の趣旨といえます。
田之倉稔(常任実行委員・演劇評論家)

2000年4月20日〜30日
国際フール祭2000
デュオ・アリンガ(イタリア)

朝日新聞夕刊の掲載記事より抜粋 2000年6月16日
二人だけの『検察官』(2000年6月23日〜7月2日)

台本・演出:ロジャー・パルバース 出演:橋爪功・柄本明

2人で16役 22回の衣装替えも ゴーゴリ原作の喜劇「検察官」 

 橋爪功と柄本明が初めて舞台で共演する。東京・両国のシアターΧカイ で23日から上演する「二人だけの『検察官』」は、ゴーゴリの名作をもとにした書き下ろしのブラックコメディー。帝政ロシア時代の地方都市を舞台に16人もの曲者が登場する戯曲を、台本・演出のロジャー・パルバースが2人芝居に書きかえた。2人の個性派俳優が、老若男女をどう演じ分けるのか。

 連日激しいけいこを続ける橋爪は「体がバラバラになりそうだ」。柄本も「大変です。本当に大変です」と続ける。複雑な役作りに加えて、本番ではすべての登場人物の衣装を着替えるため、驚異的な早変わりも求められる。「僕は22回も衣装替えがある。こんな舞台は初めてです」と柄本。
 原作の「検察官」は、旅の途中で文無しになった下級官吏が、隠密捜査中の検察官と間違われたのをいいことに、汚職まみれの市長や有力者から金を巻き上げ逃走する物語。官僚社会を痛烈に皮肉った、ゴーゴリの代表作だ。
 橋爪は「僕が新劇を始めたころは、ロシア演劇をやらなくなった時期。近代古典と言っていい作品だが、実は舞台で見たことがない」と話す。柄本の方は「あらかじめあれこれ考えず、けいこをやりながらイメージを探りたい」という。
 今回の舞台を仕掛けたパルバースは京都在住のオーストラリア人劇作家・演出家で、橋爪の友人でもある。2人の演技にほれこみ、その芸を存分に引き出すために2人芝居の形式を選んだ。橋爪は下級官吏、柄本は市長を主に演じる一方、市長夫人やその娘、判事、郵便局長らに次々と入れ替わる。
 「橋爪さんはずっと気になっていた俳優。一緒にやるのは楽しいし、勉強になる」と話す柄本に、橋爪は「外国劇の女性にはどこか力強さがある。柄本さんがやると、似合いますよ」と応じる。
 ともにテレビや映画の仕事が引きも切らないが、所属する演劇集団円の舞台にも定期的に出演する橋爪は、「苦しいが、やらないと顔がたるんでくる気がする」とこだわる。東京乾電池のメンバーでもある柄本も「舞台から始めた人間だという思いが常にある」と言う。
 「2人だけでちゃんと16人に見せて、舞台で戦ってこいという芝居。作戦としては面白いが、俳優はつらい」と柄本。うなずいた橋爪がベテランらしい自信も見せた。
 「やみなべのように色々なものが詰まった舞台。僕らも客席で見てみたい」

2002年6月23日〜7月2日
「二人だけの『検察官』」
原作:ニコライ・ゴーゴリ
台本・演出:ロジャー・パルバース(オーストラリア)
出演:橋爪功、柄本明
(撮影:宮内勝)

プログラムより抜粋 2000年11月22日
演劇集団KUBEZ 『砂世御前』(2000年11月22日〜12月2日)

脚本:ウェン・シャオファン(范文雀) 演出:福原顕 出演:范文雀、張春祥 他

喜劇の枠を越えたミラクル・コメディアをめざし、2年にわたるワークショップを経て新たな演劇の形態を模索する試みの公演。「砂世御前」は安部公房の「砂の女」の後日譚。

終わりのないメビウスの輪

表を歩いているつもりが、ふと気がつくと裏を歩いている。「そうか、裏か」とばかりに、裏を歩くのだが、これまた、本当は表だったりする。歩き続けていると、現実なのか架空なのか、それすらわからない。いったい自分はどこからきたのか?そして、これから、どこへ行けばいいんだろう?
 この芝居にはストーリーがない。「そんな無茶な」と思うだろう。しかし考えてみてほしい。人生って、いや、日々の生活でもいい。予定通りにモノゴトが運ぶことがあるのだろうか? 中国に“写意劇”という言葉がある。文字通り心の中を表現する芝居であるが、この舞台はまさにそう。普通の男の心の中を描いたものである。当然、時系列に話は進まないし、非現実な話しでもない。あくまで、普通の男と女。それは、あなたの内面にある一部分である。
 ところで、この芝居には賢者は出てこない。いわば、みんな“アホ”である。でも、その愚かな部分は、等しく人間が持つ愛すべき部分だ。理にかなわせようとすると、どこかで破綻する。それを愚かな人間は、自己矛盾だ、アイデンティティの崩壊だとかいってみたりしてカッコつけるわけだが、それこそ喜劇だ。人生笑うが勝ち。この『砂世御前』で、人生を笑え!

2000年11月22日〜12月2日
『砂世御前』 脚本:ウェン・シャオファン(范文雀)
出演:范文雀、張春祥 他

シアターΧチェーホフ演劇祭40日間のプログラムより抜粋
チェーホフ演劇祭40日間『人物たち』(2001年11月30日〜12月6日)


脚本・演出:アレクサンドル・カリャーギン 出演:A・カリャーギン、ウラジーミル・シーモノフ

モスクワからエト・セトラ劇場初来日公演、
        ロシア大物俳優による2人芝居


『人物たち』はチェーホフの短編小説1、異国で 2、精神病者たち 3、暇つぶし 4、わるもの 5、外交官 の5作品を、A・カリャーギンが対立する人物像としてビビットに抽出し、『二人の俳優の芝居』に脚色・演出したもの。そして自らも手強い名優W・シーモノフを相手に演ずる鋭い演技バトル、激痛の走る笑喜劇に。



ロシア最高の俳優カリャーギン

 ロシアでは、国立の演劇大学を出て、劇場に勤めている人をプロの演劇人と言う。モスクワにも、国立舞台アカデミー、モスクワ芸術座付属演劇大学、マールイ劇場付属演劇大学、ワフタンゴフ劇場付属演劇大学という4つの高等教育機関があり、4年ないし5年で卒業する。カリャーギンは1942年生まれ。医学大学を卒業して、しばらく救急医療センターに勤めていたという変わり種だ。もちろん、その後でワフタンゴフ劇場付属演劇大学を卒業し、演劇のプロの道に入っている。卒業後60年代〜70年代にロシアの自由の砦とも言うべきタガンカ劇場の俳優になり、有名なブレヒトの「ガリレオの生涯」などに出演しているが、その後モスクワ芸術座に移り25年間芸術座の看板俳優として働いてきた。初めに所属したタガンカ劇場にはワフタンゴフ劇場の卒業生が多く、どちらかと言うとブレヒト的な「感情同化しない」演技傾向(俳優同士のリアルな交流より、観客に向かって直接語りかけるような演技)が主流だったのに対し、モスクワ芸術座はスタニスラフスキーの演技的伝統(どちらかと言うと、役になりきって、その役の感情に生きるといった演技術)が主流の劇場である。今回の『人物たち』を見てもお分かりのように、カリャーギンはまさにスタニスラフスキーの演技術を身に付けつつ、同時に観客の反応を見て「即興」で演じるというまさにブレヒトとスタニスラフスキーの演技術を兼ね備えている稀有な名優である(もっともロシアにはこういったレベルの俳優が結構たくさんいるが、その中でも飛び抜けて優秀なのがカリャーギンである)。
 柔軟な演技のできる彼は映画でも活躍し、1994年アメリカでアカデミー賞外国語映画賞を取ったニキータ・ミハルコフ監督の映画出演で日本にも知られている(76年テヘラン映画祭金賞作品『愛の奴隷』、78年シカゴ映画祭金賞、80年日本芸術祭優秀賞『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』などに主演)。また、この数年はロシア演劇人同盟の議長にも選ばれ、1993年からはモスクワ芸術座付属演劇大学の教え子と創立した「エト・セトラ」劇場の代表としても活躍。今や押しも押されもせぬロシアナンバーワン俳優となっている。モスクワ芸術座時代には、日本公演(1988年)でも『かもめ』のトリゴーリン役で素晴らしい演技をみせているので、ご記憶の方もおられるであろう。
堀江新二(大阪外国語大学助教授・ロシア演劇)

2001年11月30日〜12月6日
『人物たち』(モスクワ エト・セトラ 劇場)
脚本・演出:A・カリャーギン
出演:A・カリャーギン、W・シーモノフ

2002年

シアターΧ批評通信9号より抜粋
『アナーキストの事故死』(2002年9月23日〜29日)

イタリア現代演劇シリーズ[ダリオ・フォーのびっくり箱]
作:ダリオ・フォー 演出:井田邦明

びっくり箱の中の玉手箱

 ダリオ・フォーというノーベル賞受賞作家に対し、なんと失礼なことを、と叱責されるかもしれないが、率直に言って彼の戯曲は、古典作家の作品としては歴史に残らないものかもしれない。といっても、彼の演劇観が「『今そこにある社会』に対して問題を提議する」というものであるから、古典作家の地位など望んでいないであろう。何より、彼のパロディー精神の底に流れる人間に対する暖かい眼差し、そして役者としての肉体が、頭でっかちの気取った「芸術至上主義」の演劇人たちの存在を粉々にする。
 どちらかというと、日本人の芸術に対する感受性、価値観はベートーヴェン、ロダン、ゴッホなどの悲壮感溢れるものが好まれるが、「ジョコーザ」遊戯性の強いラテン的なロッシーニ(オペラ)やゴルドーニ(古典的戯曲作家)などは理解されづらい。ダリオ・フォーもどちらかといえば、その後者、傍系の部類にはいるだろう。このダリオ・フォーは、今までにない芸術様式を求める「〜ない世代」と呼ばれる60年代、70年代のイタリア前衛世代の寵児であるが、その作品を「リサイクル」で、しかも日本で公演することの意味は私にとっては「積極的な過去」を呼び覚ます、という行為なのである。
 数日前、ダリオ・フォーとフランカ・ラーメの公演を観た。公演後、沸き返る観客を前にして彼はこう語った。「皆さんは、ダリオ・フォーを観に来、笑い、楽しんだかもしれませんが、一歩劇場を出ると、舞台の出来事のことなど、きれいさっぱり忘れ去ってしまうのでしょう。公演後、等身大の自分の問題として芝居のテーマについて語り合ったり、討論したりすることはもはやなく、演劇が社会的に問題提議する場であったり、スキャンダルを起こしたりする場ではなくなったということなのか、演じる側と観客との関係も飽和状態となってしまったように思います」。今回の日本での『アナーキストの事故死』公演後、私が感じたまさにそのことをダリオ・フォー自身も感じているのか、とうなずいた。日本でも、芝居が終わると観客は一様に帰宅を急ぐ。人生は忙しく、家までの道程で観劇した内容など忘れ去られてしまう。ただこの舞台を観たある女優さんの「怖い芝居ですね」との感想に、喜劇であるにもかかわらず芝居の中に怖さを感じてもらえたということは私の狙いも少しは届いたのかな、と思う程度だ。
 これも大御所ピーター・ブルックが先日のミラノの講演で語ったこと。「私の『ハムレット』のポスターには私の顔が大きく載り、私の名前は『ハムレット』というタイトル文字よりも大きく扱われる。私の作品をけなす人は今や誰一人いないし、新作を発表しても新しい実験作品とは誰も見てはくれず、既に『メジャー』なものに成り果ててしまっている」と。
 グッチ、プラダなど、ブランドであれば何でも買い漁るメジャー思考が充満し、パンク寸前のどこかの国の演劇人とは一線を画する演劇人が、皮肉にもむしろメジャーの中に存在し、それがモーターとなり演劇文化を引っ張っていく欧州。来年渡欧して30年になる浦島太郎たる私は、もっと怖い笑いを日本で起こしたいと思っているのであるが、やはり観客の皆様は、観劇後帰宅を急ぐのかナ。
(井田邦明 ミラノにて)

2002年 9月24日〜29日
『アナーキストの事故死』
作:ダリオ・フォー 演出:井田邦明
出演:有馬理恵、伊沢弘、山上優 他
(撮影:宮内勝)

2003年

2003年 シアターΧブレヒト的ブレヒト演劇祭50日
(2003年9月〜11月)

シアターΧ批評通信12号表紙より抜粋

シアターカイ2年がかりのブレヒト的ブレヒト演劇祭



見ろ敗残兵の鉄兜だ! だが
ぼくらが みじめに敗けたのは
こいつが頭から撃ち落とされたときではない
おとなしく ぼくらが こいつをかぶったときだ。

(戦場にころがっているドイツ兵の鉄兜を撮った報道写真にブレヒトがつけた四行詩)



日本経済新聞「文化往来」の掲載記事より抜粋 2003年8月14日
シアターカイ2年がかりのブレヒト的ブレヒト演劇祭

ブレヒト演劇祭、2年がかりで公演

 演劇を通し世界の変革の可能性を問い続けた20世紀ドイツの演劇人ブレヒト。その実験精神を現代に生かそうと、シアターΧ(東京・両国)は9月から、「ブレヒト的ブレヒト演劇祭」を2年がかりで始める。
 同演劇祭では、ブレヒトを理解する手がかりとして、「ブレヒトの日本における生まれ変わり」と自ら称した批評家の花田清輝、個人の苦悩を超えて民族の悲哀と運命を表現した中国の作家、魯迅に焦点を当てる。「船乗りが天測したように、3人の星を見て私たちがどこに向かうのかを知るきっかけになればいい」と上田美佐子シアターΧ支配人。
 今年は9月3日の花田作「首が飛んでも─眉間尺」(白石征演出)を皮切りに、12月1日まで22演目を企画。来年度にブレヒト劇「肝っ玉おっ母とその子供たち」を本格上演する先触れに、9月の公演で女優の市原悦子が、劇中歌のブレヒトソングを歌う。
 10月はミラノで活躍する井田邦明の演出「アルトゥロ・ウイが往く、追え」、11月はブレヒトに共鳴する中国現代演劇の鬼才、林兆華が魯迅の「故事新編」を中国国家話劇院の俳優を使って上演する。ドイツ在住の作家、多和田葉子も作品を発表する。来年は9月から演劇祭第2弾を再開する。



シアターΧ批評通信18号より抜粋
ブレ祭1 2003年9月3日〜12月1日
ブレ祭2 2004年9月〜2005年3月

シアターカイ2年がかりのブレヒト的ブレヒト演劇祭「企画趣旨」

この世の中を変革しようとこころざす人間たちに向けて
真実をかきつづけ真実でないものとたたかってきたブレヒトは、
演劇を通してもそのための武器を多く残している。

あの勇気ある男っぷりと思想と繊細な詩魂と大胆な策略とで創られている
ブレヒト破格の魅力的な創造武器の数々こそ──今日また、
丸腰丸ハダカ同然で現実と対峙せざるをえない わたしたちを
もっとも直截に鼓舞し、愚昧を正してくれるものなのでは。

シアターΧカイ の『ブレヒト的ブレヒト演劇祭』は
もしも今、ブレヒトだったならば………どのように
この文化荒廃の危機的現代における「真実を書くことの困難」に苦悩し、
いま変革のためにたたかう創造武器を新しく創造し、
どんな新しい「演劇の楽しみ」に挑戦するのだろうか
との問いから始まった。

加えて、その追究をより深め証明するに際しよちよち歩行の
わたしたちの図形には二つの補助線をどうしても必要とするところとなり、
魯迅と花田清輝という二人の作家とB.ブレヒトとが交錯。

ともかく、2年がかりの『ブレヒト的ブレヒト演劇祭』で
わたしたちはこの三人の芸術家と一緒に、歩く。



2003年11月19日〜23日
ブレヒト的ブレヒト演劇祭『故事新編』
原作:魯迅
演出:林兆華(中国国家話劇院)
(撮影:宮内勝)

シアターΧ批評通信18号より抜粋 2003年9月23日

シアターカイ ブレヒト的ブレヒト演劇祭に寄せて

私は比較的必要な事柄に対しては触手を働かせて情報を集めているつもりであるが、シアターΧがこのようにブレヒト及び花田清輝を幅広く追ってきて今日の「ブレヒト的ブレヒト演劇祭」を主催するようになったいきさつは殆ど知らなかった。総合プロデューサーである上田美佐子さんの長年の活動の背後にある思想が、ようやく表面化したという観察も浮かび上って来るのである。
 花田清輝についてはカフカを戦前に読んで血肉化していたことが知られている。またブレヒトが叙事演劇の主祭者として見なされてきたのはむしろ、戦後イタリア喜劇が見直されてきたところにある。であるから、ブレヒトは20世紀におけるこの大伝統の復活の中で理解されなくてはならないのである。
 ブレヒトが1910年代、モスクワに滞在した時、サンクトペテルブルグを中心に見世物的世界が広がり、ストラヴィンスキーのペトルーシュカのごとき世界が一般的な前衛劇の背景を提供していた。モスクワからブレヒトが帰ったベルリンでは絵画的にオットー・デグタスをはじめとする表現主義の画家による活動が活発だったのである。
 花田清輝の映画についての思考は知られている。しかし見世物的世界は音楽、チャールストンなどの身体的色彩を色濃く支配する演劇的環境であった。中国の昔話的背景を生かした『コーカサスの白墨』更にバラード調の『肝っ玉おっ母』におけるパウル・デッサウとの協力において、ブレヒトは民衆的な世界を劇作の世界に交わらしめたのである。
 花田清輝の『首が飛んでも─眉間尺』は、豪傑譚の文体(ディスコース)を中国の世界の中で充分に生かした魯迅の原作を縦横に展開した。演出の白石征が、オッフェンバッハからヨハン・シュトラウスまでの音楽を自由に操って、寺山修司風の見世物的世界のガラクタを綜合化してみせていた。
山口昌男(文化人類学者。前札幌大学学長。主な著書に『「敗者」の精神史』『道化の民俗学』など)

2003年9月3日〜5日
ブレヒト的ブレヒト演劇祭
『首が飛んでも──眉間尺』
作:花田清輝 演出:白石征
出演:山上優 他

シアターΧ批評通信22号より抜粋 2004年1月25日
中国国家話劇院招聘公演『故事新編』 原作:魯迅 演出:林兆華
(2003年11月19日〜23日)

林兆華のゲーム─『故事新編』印象

 林兆華演出『故事新編』では、原作が持つ文学性を全員で統合的に表現することは初めから放棄されている。林兆華にとって魯迅である必然性はなく、たとえばチェーホフでも紅楼夢でもよかったはずだ。つまり魯迅『故事新編』は林兆華が楽しもうとしたゲームのルールの一つにすぎず、逆にルールだからこそ厳格に守られ、原作以外の言葉はいっさい使われていない。京劇や昆劇風に唱われているものも、すべて魯迅の文章に曲をつけている。
 創造は俳優たちがやった、私の役割は選択とコラージュ、と林兆華が説明するとおり、この作品は現代劇のみならず京劇の俳優やモダンダンスのダンサーを起用し、さらに映像を加え、魯迅の言葉に触発された演者が身に備えたメソッドからどれだけ逸脱するか、その逸脱した変容は相互にどう刺激しあうのか、いわゆるワークショップを経てのコラボレーションをねらっている。そのために林兆華が選んだ稽古場と劇場は、北京南郊の廃棄工場である。そこに大量の石炭を積み上げ、8個のボイラーに火を燃やした。汗や埃や煤や煙が充満した現場は、舞台装置ではなく環境と言うべきだろう。さて今回の日本公演では通常の劇場での上演となったが、初演の環境をほぼ再現している。欠けていたのは「匂い」であろうか。これは消防法の規制がかかる劇場であればやむをえない。
 林兆華の「選択」には、彼の許容範囲、言えば「おもしろがる心」が反映している。日本公演で字幕を使用せず、長畑豊をナレーターとして作品に闖入させたのもそうだろう。彼はそうした「選択」を、一つの観念や美意識で純化された統一感が生じることを拒み、むしろ反美的、反生理的なノイズまで楽しむように「コラージュ」していく。もちろんワークショップの中で、彼の許容範囲自体が拡張していく過程もあったにちがいない。
 ただサイモン・マクバーニー演出の『象の消滅』でも同様だったが、表現者たちが稽古の全過程で感じ取っていたであろうおもしろさを観客にすべて提示していないもどかしさは残る。観客の疎外感とでもいうのか、所詮、観客は結果としての本番に立ち会うほかないのだ。そのうえで私的な印象、すなわち私の心に響いたことを述べれば、それは林兆華が抱く死生観とよべそうなものであった。
 エンディング。俳優たちは顔を煤で汚し(伝統劇では死を示すメーク)、声を失い、ボイラーの火を消して、立ち去っていく。メインで語られる「鋳剣」も死へ邁進する人物たちの話しである。映像も地獄絵を映している。しかしながら、そのような「死」から逆に照射される「生」があるかもしれない。はたして林兆華の重心はどちらにあるのか? いや、そもそも生も死もゲームにすぎないんだ、とおどけて見せているだけなのか? ともあれ林兆華は旺盛な実験精神の中に人生への達観をひそませて、私に濃密で不思議な1時間を過ごさせてくれたのである。
伊藤 茂(中国文学者)

2003年11月19日〜23日
ブレヒト的ブレヒト演劇祭『故事新編』
原作:魯迅
演出:林兆華(中国国家話劇院)
(撮影:宮内勝)

2004年

「バベル」プロジェクト

東京新聞の掲載記事より抜粋 2004年5月18日
イスラエルの演出家ヨセフ氏5ヵ国共同作品語る── あす墨田で囲む会

「演劇は心に橋懸ける」

 イスラエル演劇界の名門アッコ・シアターを主宰する演出家モニ・ヨセフ氏が来日するのに合わせ、19日午後6時半から墨田区両国の「シアターΧカイ 」で、「モニ・ヨセフ氏を囲む会」が開かれる。イスラエル演劇界の現状や、同氏が企画し日本も参加する5ヵ国共同作品「バベルの塔」プロジェクトの進行状況などについて話す予定。
(北村麻紀)

 「バベルの塔」はイスラエル、パレスチナ、ドイツ、イタリア、日本の俳優とスタッフが協力し、作り上げる舞台。中東問題の当事者と第二次大戦の三国同盟という“因縁”の顔ぶれだが、ヨセフ氏は「演劇だけが人々の思いに橋を懸けられる」と、“舞台上の和平”に意欲をみせているという。9月にドイツ、10月にイスラエルで公開される。
 シアターΧの上田美佐子プロデューサーは「テロが頻発する国で演劇なんて…という人もいるが、民族の状況が複雑な国ほど芸術のレベルは高い。イスラエル人は『どう生きるべきか分からない時こそ演劇を見る』と言うのです」と話す。



日本経済新聞「文化往来」の掲載記事より抜粋 2004年7月12日
イスラエル・日本など国際共同創造活動

「バベル」プロジェクト 民族・言語超える

 イスラエル北部のアッコ・シアターセンターが、イスラエル、パレスチナ、日本、ドイツ、イタリアなどの出身俳優を集めて演劇作品を創造する「バベル」プロジェクトを進めている。
 来日した同センター主宰で演出家のモニ・ヨセフ氏によると、同プロジェクトは旧約聖書の「バベルの塔」を現代的によみがえらせ、社会が独裁者をどのように生みだすかを探求する。
 十数人のホームレス集団がスペースシャトル・コロンビア号の壊れた残骸を見つけ、新しいコミュニティーの象徴として再建することを決める。その過程で独裁者が誕生していく。稽古で俳優が持ち込むアイデアを基に作品が作られるが、共通の目的に向かい俳優たちは「文化や言葉の障壁」を越えていかなければならない。
 「俳優には実際にホームレスを体験し、ホームとは何か、国家とは、民族とは何かを考えてもらう。この演劇が障壁を越える架け橋になればいい」とヨセフ氏。
 日本は東京のシアターΧカイ が企画協力し、俳優は大谷賢治郎氏が参加。稽古はドイツ・ハレのタリア劇場で行い、10月にアッコ国際演劇祭で初演する。アッコの町はユダヤ人とアラブ人が平和裏に共存しているといい、同センターは30人の民族混成劇団だ。

モニ・ヨセフ(中央)

ゴンブロヴィッチ作のプログラムより抜粋
『フェルディドゥルケ』(2004年12月3日〜6日)

ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ生誕100年記念2年がかりの企画
プロヴィゾリウム+テアトロ・コンパニア(ポーランド)招聘公演

青二才ゴンブロ!

 「成熟」に対して「未熟者の青二才」として、ポーランドの前衛作家ヴィトルド・ゴンブロヴィッチは闘った。
 1904年、ワルシャワの南、マウォシツェに生まれ、貴族階級出身の両親とカトリック的な家庭環境で育つ。ワルシャワ大学法学部に入学しても、授業にほとんど出ず代わりに下僕に行かせる有様。
 彼の作品は長いことポーランドでは禁書扱いとなり、作家としても黙殺された。1939年アルゼンチン旅行中、ドイツのポーランド侵攻を知りそのまま、ついに一度も帰国することなく、アルゼンチンに居住。晩年フランスに渡る際、アルゼンチンを代表する作家・ボルヘスについて意見をきかれ「ボルヘスなんか殺してしまえ」と言ったと。1969年、南仏で死去。
 1937年に発表されて以来、長いこと発禁となっていたこの『フェルディドゥルケ』は、30歳の作家が再び学校時代を経験するため少年時代に戻され、さまざまな目に遭う様子を描いている。「フェルディドゥルケ」とは彼の造語で意味の分からない言葉であり、登場する人物の尋常じゃない行為や、常に発せられるおかしな言動が、既成の権威や道徳に対する嘲りとなって作品を終始彩っている。



ゴンブロヴィッチに会った夜    高橋悠治

1963年冬 当時の西ベルリン
コンサートの後ちょっと寄らないか と誘われて
若いアーティストたちはその老人についていった
いつも見かける上品な黒いコートに黒いソフト帽
南米帰りの年金生活者だと思いこんでいたその人が
ベルリン芸術アカデミーの最上階に住んでいるのは意外だった
まだ森ばかりのさびしい夜景にわずかにまたたく灯火
そのうちに 場違いなアジア人をみつけて 質問がはじまる
長い問答の最後には
ヨーロッパについて何を知っているのか
ヘーゲルは読んだか
内的道徳律はあると思うかね
ないだって カントを読んでないな
この若者は 自分の伝統文化は何も知らないで
西洋の最新の流行を追っているだけだ
という判決はあたっていなくもなかったが
相手を問いつめる尋問のしかたが西洋なのではないか
という抗議に対しては
そうじゃない これは大陸間電話みたいなものだ
そっちの状況はどうなのか知りたいだけだよ
ということで問答は終わった
この人がゴンブロヴィッチで やがてみかけなくなったが
退屈のあまりベルリンを去り 南フランスに行ったが
そこでも退屈のあまり 心臓発作で死んでしまったという噂だった
小説や日記を読んだのは それから20年もたっている
「フェルディドゥルケ」の未熟さそのままにふるまってきた
と自覚したのは さらに後だった
それにしても ダンテの「神曲」は書き方がわるい
いつか書きなおしてやる と言っていたこの人も
どっちもどっち というところか

(たかはし・ゆうじ) 作曲家・ピアニスト・エレクトロニクス。

■1997年には、シアターΧにてゴンブロヴィッチ『王女イヴォナ』を若手日本人俳優たちで上演。演出はヤン・ペシェク(ポーランド)

2004年12月3日〜6日
『フェルディドゥルケ』
プロヴィゾリウム+テアトロ・コンパニアの2劇団(ポーランド)による公演(撮影:コスガデスガ)

2005年

母アンナ・フィアリングとその子供たち(2005年4月1日〜7日)

東京新聞の掲載記事より抜粋 2005年2月26日
ルティ・カネルと吉田日出子とブレヒト劇

大きく変わりそうな“肝っ玉おっ母”像

 しばらく舞台出演から遠ざかっていた吉田日出子が、ブレヒト作、千田是也訳「肝っ玉おっ母とその子供たち」を原作とする「母アンナ・フィアリングとその子供たち」に母親役で主演が決まり、イスラエルから招いた女性演出家ルティ・カネルとのコンビでけいこが進んでいる。
 「千田先生の“肝っ玉おっ母”をやりたいわけじゃなくて、ルティさんの演出を受けたかったんですね」と吉田はハッキリしている。ブレヒト作品は串田和美演出で「三文オペラ」を経験しているが、「ブレヒトはほとんど興味なし」。しかし、今回の公演を主催するシアターΧカイ の上田美佐子プロデューサーがルティ・カネルを演出に起用したため、その斬新な演出プランを耳にして出演を決めた。
 ルティ・カネルは女優出身の演出家。原作を思い切って凝縮、再構成するテキストを準備し、何も装置のない舞台には大小さまざまのスーツケースを配して場面を作り出す。美術、音楽もイスラエルのスタッフ。作曲家ロネン・シャピラの音楽では母親役の歌が6曲予定され、久々に舞台で吉田の歌が聴けることになる。彼女の出演で、3人の子を失ってもしぶとく戦場を生き抜く“肝っ玉おっ母”という従来の母親役の印象は、大きく変わってきそうだ。
 ルティ・カネルは演出のポイントをこう語る。「戦争、あるいは信仰の名のもとに起きる恐ろしいことがらはイスラエルでは日常的に感じられるが、むろん東京では異なる。だが、社会的な組織や構造が個人を押しつぶすという比喩で言えば、事情はあまり変わらないだろう。商売のために戦争が引き起こされる。とブレヒトは言っている。工場で働く、あるいはスーパーでレジを打つ、そのことが個人の価値を十分に保てなくしているかもしれない状況は東京でも日常的だと思う」
 けいこには2ヵ月以上かけている。これは以前からの吉田の流儀でもある。「彼女には魅了されている。熱心で、枠にはまらず、ユニークだ」とルティ・カネルは評価しつつ、「この母親役は、世界中の優れた女優には目標となる役でもある。イスラエルのナンバーワン女優がこの役を待ち望んでいる」と指摘する。ブレヒト作品に興味を持たなかった吉田には意外に聞こえるようだが、風格ある大女優の演技というより、おそらくは生き生きとした母親像を演じるであろう予感が興味を倍加させる。
(“2年がかりのブレヒト的ブレヒト演劇祭”の最終作品として、2005年4月1日から7日まで、東京・両国のシアターΧで上演された)



2005年4月1日〜7日
『母アンナ・フィアリングとその子供たち』
原作:ベルトルト・ブレヒト
構成・演出:ルティ・カネル(イスラエル)
出演:吉田日出子 他
(撮影:コスガデスガ)

演劇情報誌「シアターガイド」より抜粋 2005年4月号

「母アンナ・フィアリングとその子供たち」の
吉田日出子


 「まだよくわからないんです」と、おっとりとした口調。この人の“わからない”は、現在進行形で湧いてくるイメージが言葉にならない、の“わからない”なんだろう。食い下がって「どんな作品になるの?」なんて尋ねるのは、大切な物を握る人の手を無理やりこじ開けるような、なんだかひどくデリカシーのない行為みたいな気がして、継ぐ言葉を失ってしまった。
 吉田日出子、4年半ぶりの舞台作品は、戦禍にしたたかに生きる庶民を描いたブレヒトの『母アンナ・フィアリングとその子供たち』。演出家ルティ・カネルはじめ、美術家、音楽家にいたるまでを、戦争を知る国イスラエルから招いての意欲作だ。「東京で上演しているお芝居は観に行く気も、やる気もあんまりしなくて、のぺーっと生きてたんですけど(笑)。イスラエルの演出家の方がやるっていうのをチラシで見て、お会いしたこともないのに『この人とやりたい』って思って」。で即、電話。なんと立候補で出演が決まったという。
 「“戦争とは”なんてことも私には到底わかりっこない。それよりも願わくは、舞台上で、観客の皆さんが懐かしくなるような佇まいでありたい。いうなれば夕日のような雰囲気。それにせりふがついてるだけっていうか。それになれたらいいな」。哀しくて温かく、懐かしく力強い。舞台の上には人種も国境もなく、人間のありようだけが据えられる。
(取材・文 川添史子)



朝日新聞夕刊の掲載記事より抜粋 2005年4月5日
「母アンナ・フィアリングとその子供たち」

吉田が作る新「肝っ玉」像

 ブレヒトの「肝っ玉おっ母とその子供たち」(千田是也訳)をルティ・カネルが構成し、演出した。美術ロニ・トレン、音楽ロネン・シャピラとともにイスラエルから来日。俳優は日本人で日本語による上演だ。
 原作は、17世紀ヨーロッパの三十年戦争に材をとったものだが、カネルは時代と場所を越えて常に存在する戦争と人間の問題に目を向ける。ここには今も戦時下にあるイスラエルの現実も反映している。
 軍隊相手に雑貨などを商う「肝っ玉おっ母」アンナには、幌付きの車をひく初老の女のイメージができあがっているが、カネルはこの「紋切り型」を退ける。アンナ=吉田日出子は老いをみせない。天井から下がったロープにくくりつけられた、いくつものトランクが車の代わりになる。このような着想豊かな「見立て」が次々展開。両壁に組んだ鉄パイプの足場も舞台空間にする。場の転換もスピーディー。演出と美術に脱帽だ。
 2人のナレーター(三谷昇、山本健翔)が進行役を務め、他の役も演じる。これを両人が難なくこなしたのはさすが。アンナとかかわる2人の男を演じる真那胡敬二、冨岡弘が熟達した演技を見せた。
 終幕がすばらしい。
 アンナは2人の息子を亡くし、口のきけない娘カトリン(谷川清美)も失う。カトリンは軍の襲撃を知らせようと、屋根の上で太鼓を打ち、射殺されるのだ。母は再び車をひいて、出発する。感情をあらわにしない吉田の演技が感動を呼び、新しい「肝っ玉」像を打ち出した。
 作曲家でもあるシャピラのアコーディオン演奏が巧み。企画・製作したシアターΧカイ が2003年から続けてきた「ブレヒト的ブレヒト演劇祭」の掉尾(とうび)を飾るにふさわしい舞台となった。
(田之倉稔・演劇評論家)

2005年4月1日〜7日
『母アンナ・フィアリングとその子供たち』
原作:ベルトルト・ブレヒト
構成・演出:ルティ・カネル(イスラエル)
出演:吉田日出子 他
(撮影:コスガデスガ)

2007年

21世紀ギリシャ悲劇『エウメニデス』(2007年9月14日〜23日)

日本経済新聞「文化往来」の掲載記事より抜粋 2007年9月11日
21世紀ギリシャ芝居『エウメニデス』
原作:アイスキュロス 構成・演出:ルティ・カネル(イスラエル)

ギリシャ悲劇、イスラエル人演出家の思い

 古代ギリシャの悲劇作家アイスキュロスが書いたオレステス3部作の第3部「エウメニデス(慈しみの女神たち)」を、イスラエルの女性演出家ルティ・カネルが日本人俳優を使って演出する。日本で同作品の本格上演は珍しく、「憎しみの連鎖を断ち切る結末は重要」と戦争やテロの緊張に常時さらされているイスラエル人としての問題意識から切りこむ。
 ギリシャ軍の総大将アガメムノンの妻クリュタイメストラは愛人と一緒に夫を殺した。息子のオレステスが姉のエレクトラと力を合わせ母を殺害する。第3部は、復讐の女神に追われたオレステスがアテネで母殺しの罪で陪審裁判にかけられ、アポロンら神々の後援で無罪になる。復讐の女神らは納得しないが、慈しみの女神になるよう説得され、ギリシャに調和と安定がもたらされる話だ。
 この悲劇が扱う問題は「正義の多面性、男と女、善意と欲望、文化と自然の力、これらの間の絶え間ない衝突で、現代の我々にもただちに関連する」とカネル。
 生身の人間に触れる親密な空間が不可欠と、特設舞台を劇場(東京・シアターΧ)内に作る。音楽、衣装をイスラエル人スタッフが担当し、真那胡敬二、平栗あつみらが出演する。公演は14日から23日まで。



21世紀ギリシャ芝居『エウメニデス』のプログラムより抜粋
構成・演出:ルティ・カネル(イスラエル)
翻訳:谷川渥 衣裳:加納豊美 出演:真那胡敬二、平栗あつみ、谷川清美 他

いま、「対立」するものの正体とは
秩序と混沌の葛藤なの?


●ルティ  イスラエルでも『エウメニデス』はめったに上演されない。自分が初演でした。
●谷川渥  そういう意味でアイスキュロスの作品にはエウリピデスなどとは対照的に、美しさが単純に出ている。そして、常にドラマの最後が問題になります。
●上田  全部ハッピーエンドでしょ?
●ルティ  ハッピーエンドというのはふさわしくなくて、「グッドエンド」と言っていいと思います。
●上田  グッドエンドとは誰にとっての?
●谷川  実際の演出として、最後は歌ったり踊ったりしてデュオニソス的に終わるんですか?
●ルティ  デュオニソス的というよりも調和のある終わり方で、人をいらいらさせるデュオニソス的なものは芝居の真ん中に出てきます。
●谷川  外部と内部の対立からくるダイナミズムはユートピア的な社会で終わってしまうとどうなのでしょうか?
●ルティ  ヘーゲルとか哲学として考えると、テーゼとアンチテーゼとジンテーゼというようなサイクルが常に存在する。アートでも同じ。最初にはそれまでと正反対なことをやり、アバンギャルドといわれます。例えばベケットが当初に、くだらないし浅いし、リアリティがない、と批評されたように、嫌う人もいる。しかし、そこに何かがあると受け入れられていき、芸術の中の可能性が認識される。
●上田  具体的に『エウメニデス』について言うと、テーゼがあってアンチテーゼがあって、というのはどれをさしていますか?
●ルティ  始まりは我々の町。復讐の勢力がない町。それはアポロンの征服のやり方によるものです。我々の秩序を大事にし、残酷で乱暴な復讐のエネルギーの人たちは外に排除しておいて。アンチテーゼはエリーニュスが椅子をひっくり返しながら登場してくる。これはクラシカルなアンチテーゼ。そしてジンテーゼがアテナである。

●加納  わたしは困っているのですが、ルティさんと打合せを重ねて、ルティさんが求めている衣裳の形象はわかりました。最終的なスケッチもできたけれど、なぜそれなのか、ということが腑に落ちないところがある。
●谷川  (衣裳デザイン図や写真をみながら)  エリーニュスの衣裳はこれなんですか? これをどうして選んだのか?
●ルティ  どういうものが見たいですか?
●谷川  僕はいま決まろうとしているエリーニュスのこの衣裳より、最初の加納さんによるアイディアスケッチが気に入っていたのですが。
●ルティ  そのように期待されているのがわかっているのでそれを使いたくないんです。期待されない、気に入らない──ということがエリーニュス的。それこそ本当の意味での挑戦ですから。
 ──中略──
●ルティ  問題は、気をつけないと既に何回も使われて飽きられたイメージのものに陥ってしまうという危険がある。この作品のために新しい演劇言語をつくることを考えなければならない。だからいろんな意味にとれるコスチュームが好きなのです。ニュートラルなものをやるのは責任を避けることに繋がる。
■対談:ルティ・カネル(演出)+上田美佐子(シアターΧ)+谷川渥(翻訳)+加納豊美(衣裳)

2007年9月14日〜23日
第1回 101スピリット in シアターΧ
ギリシャ悲劇『エウメニデス』
演出:ルティ・カネル(イスラエル)
出演:真那胡敬二、平栗あつみ 他
(撮影:コスガデスガ)

2008年

オペラ あえて、小さな『魔笛』(2008年8月22日〜24日)

朝日新聞の掲載記事より抜粋 2008年7月31日
両国・シアターΧ国際舞台芸術祭「子供たちに本物を」

オペラと出会う夏休み

 両国にある民間劇場「シアターΧカイ 」が8月22日から9月23日まで、ドイツやインドなどから演劇人などを招き、「国際舞台芸術祭」を開く。今年の目玉は、モーツァルト作曲の「魔笛」を子どもが楽しめるようにしたオペラ「あえて、小さな『魔笛』」の上演。作り手側は「感受性豊かな子どものうちにぜひ本物に触れてほしい」と話している。
(秦忠弘)

圧縮版の「魔笛」来月上演

 シアターΧは92年、現代演劇の劇場としてオープン。94年から1年おきに国際的な舞台芸術祭を夏に開いてきた。今回が8回目。ブラジル、ポーランド、インドから舞踊団や劇団が来日する予定。
 目玉の「あえて、小さな『魔笛』」は、王子タミーノとパミーナ姫、陽気な鳥の狩人パパゲーノと恋人パパゲーナ、夜の女王とザラストロの3組のカップルが、冒険の世界をいきいきと生きる物語。2時間半の大作「魔笛」を、1時間半余に圧縮。複雑なストーリーをわかりやすい脚色にした。
 音楽監督を担当する指揮者でドイツ国立ビュルツブルグ音楽大学オペラ科主任教授の天沼裕子さんは、10歳のとき、地元の小学校で見た芝居「アラジンと魔法のランプ」の感動が今も忘れられない。「自分の経験から小さい頃から舞台芸術に接することが大事だと痛感している。それをぜひ日本の子どもにも体験してほしい」
 シュツットガルト州立歌劇場ソリストの角田祐子さんらが出演する。公演は、8月22日から24日まで、計5回。



朝日小学生新聞の掲載記事より抜粋 2008年8月16日
子どものためのオペラ「魔笛」

本物に触れて感性をみがいて 東京・劇場シアターΧで

 「パァ、パッパ、パッパ、パ、パァ、パッパ、パッパ、パ」何でしょう? 紙面から音が出ればいいのだけれど、有名な歌の出だしなんですよ、これ。ヨーロッパの子どもたちが家族と、または学校で劇場に出かけて親しむ「魔笛」というモーツァルト作曲のオペラがあります。その中の、みんなが喜んで手をたたきたくなるような場面の曲です。
 そうした楽しさを22日〜24日、東京・両国にある劇場シアターΧで体験できます。
 子どものときに本物の演奏や演技を体験して、感性をみがいてほしいという願いから、ドイツでは音楽やお芝居にいろいろ工夫しています。指揮者で作曲家の天沼裕子さんも、その一人。2年前、ドイツのミュンスター市立歌劇場のために、エッダ・クレップさんという演出家といっしょに「魔笛」を子どものためにつくり直しました。
 「魔笛」は王子が姫を助けに旅をし、陽気なパパゲーノは恋人パパゲーナを探しますが、いろいろな意味がかくれた不思議な舞台です。時間も本当なら、2時間半くらいかかります。それを、すばらしい音楽はできるだけ減らさずに、でもせりふは物語がわかりやすいようにまとめ直し、70分にしました。
 今回は、せりふを日本語にします。でも歌はドイツ語のままです。シュツットガルト州立歌劇場で主役を務めているソプラノの角田祐子さんも3公演で歌います。劇場プロデューサーの上田美佐子さんは「子どものために、そして大人のためにも、あえて小さな、でも質のいい『魔笛』を、芸術家の実力と志と情熱で上演します」と話しています。



日本経済新聞の掲載記事より抜粋 2008年8月20日
子供向けのオペラに目覚め、日独で上演──天沼裕子

小さな「魔笛」大きな魅力

 「パパゲーノがしゃべるよ」。ウンター・デン・リンデン通りにあるベルリン国立歌劇場で、有名なバリトン歌手ローマン・トレーケルがモーツァルトのオペラ「魔笛」の陽気な鳥の狩人役で幼稚園児を相手に、楽しそうに話をしていた。
  ♪ ♯ ♭ ♪ ♯ ♭ ♪ ♯ ♭ ♪ ♯ ♭ ♪

一流歌手が全力投球

 劇場内のスタジオにカフェのようにテーブルを配置し、母親同伴の約40人の子供がアイスクリームやジュースを飲んだ後、歌手3人が子供向けにコンパクトにした「魔笛」を上演した。着替えや化粧の様子も見せ、大蛇などの役で子供たちが自由に参加できる。
 1996年のことで、この子供のための「魔笛」は一年間ほどダブル・キャストで長期上演していた。ワーグナーの楽劇を十八番とするような劇場で、子供たちにスポットを当て、トレーケルのような一流歌手が手抜きもせずにかかわっている。このぜいたくさと真剣な姿勢に文化国家ドイツの厚みを実感した。
 私のドイツ在住は通算13年。99年にザクセン・アンハルト州の州都マグデブルクの歌劇場の常任指揮者となり、3年前からバイエルン州立ビュルツブルク音楽大学のオペラ科主任教授として教えている。ここ数年のドイツでの仕事を通じ室内オペラ、特に子供向けのオペラの重要性を再認識するようになった。
  ♪ ♯ ♭ ♪ ♯ ♭ ♪ ♯ ♭ ♪ ♯ ♭ ♪

一番厳しい批評家たち

 フランスの現代作曲家ブーレーズは「オペラは死んだ芸術だ」と明言したが、昔の大掛かりな華美壮麗なグランドオペラの時代は終わり、これからは質の良い室内オペラこそが残るだろう。このため、自分でも作曲家として室内オペラを書き続けようと決心した。
 お金がかかるグランドオペラは経済的に閉塞する現代に向いていない。忙しい社会では2時間くらいで聴けるオペラがちょうどいい。
 こうして作曲した室内オペラの第一作が、マグデブルク歌劇場から委嘱されたエドガー・アラン・ポー原作の「裏切る心臓」だ。2001年に初演、2003年には東京やソウルの国際室内オペラ祭でも上演された。
 2作目で子供のためのオペラを作曲した。オスカー・ワイルド原作で、2003年にマグデブルク歌劇場で上演した「バラとナイチンゲール」。書こうとした時点で同じ題ですでに20本近くのオペラがあった。結局、生存競争に勝ったいい作品が後世に残るのだという厳しさを知らされた。
 貧乏学生が裕福な家の娘に片思いし、ナイチンゲールが自分の血で白バラを赤バラに変えて学生に与える無償の愛を描いたものだ。この時は自ら指揮した。
 ドイツで、子供向けオペラは重要なレパートリーである。地方の劇場ごとにオリジナルの作品を持っている。新作、改編ものや、ヘンゼルとグレーテルの物語に白雪姫の話をつけるとか構成も工夫されている。
 クリスマスの前になると、観劇が楽しみの一つとなる。12月の初めから、学校の授業の一環で劇場に生徒を連れていったり、親がクリスマス・プレゼントに劇場のチケットを贈ったりする。
 子供のためのオペラをやって気がついたのは、子供はストレートに感情を表し、ある意味で一番厳しい批評家だ。子供を相手に演じることは、やる側の成長につながる。
 ♪ ♯ ♭ ♪ ♯ ♭ ♪ ♯ ♭ ♪ ♯ ♭ ♪

舞台・音楽の感動重要

 子供のころに舞台の感動を経験させるのも大事だ。私は埼玉県生まれだが、舞台芸術に理解のある小学校の校長が課外授業で見せてくれた芝居「アラジンと魔法のランプ」が面白く、その感動が今も強く残っている。
 ドイツでは国や州の公立劇場が常に新作を求めている。2006年にはノルトライン=ヴェストファーレン州のミュンスター歌劇場から子供向けオペラ「小さな『魔笛』」の編曲を依頼された。メルヘン的な「魔笛」は子供向けにしやすく、各劇場が独自の「魔笛」をもっているといえる。
 ミュンスター版「小さな『魔笛』」は気鋭の女性演出家エッダ・クレップが構成・演出を担当した。「魔笛」をわかりやすく1時間10分に凝縮、男性優位の社会に対し女の目から見て、「人と共に生きる」をテーマにした台本がユニークだ。
 今夏、この「小さな『魔笛』」を東京・両国のシアターΧで日本の若手歌手を起用して22日から3日間、上演することになった。セリフの部分は日本語で、歌は音感を子供に知ってもらいたいのでドイツ語でやる。
 私はかねて日本の若い歌手を国際的なレベルに育てたいと念じてきた。子供のためのオペラは格好の場と考えて劇場側にお願いした。モーツァルトの音楽は子供でも伝わるはずで、歌手に力量があれば必ず子供たちに感動を与えると信じている。
(あまぬま・ゆうこ=指揮者・作曲家)

2008年8月22日〜24日
第8回シアターΧ国際舞台芸術祭
あえて、小さな『魔笛』(オペラ)
作曲:W.A.モーツァルト
構成・演出:エッダ・クレップ(ドイツ)
音楽監督:天沼裕子
(撮影:コスガデスガ)

2008年8月22日〜24日
第8回シアターΧ国際舞台芸術祭
あえて、小さな『魔笛』(オペラ)
作曲:W.A.モーツァルト
構成・演出:エッダ・クレップ(ドイツ)
音楽監督:天沼裕子
(撮影:コスガデスガ)

2009年

東京新聞夕刊の掲載記事より抜粋 2009年5月15日
『アンソロジー』イスラエル アッコ・シアターセンター
(2009年3月2日〜4日)

出演:スマダル・ヤーロン、モニ・ヨセフ
“演劇災”の衝撃──『アンソロジー』上演を終えて

諧謔に満ちた内面の探求 上田美佐子

 今年3月、東京両国のシアターXが招聘し上演したイスラエルのアッコ・シアターによる、母と息子の二人芝居『アンソロジー』は、「詩」の域にまで昇華した演劇──という意味での「演劇詩パフォーミングアーツ」である。それは彼らが己自身の内面世界を厳しく探求し、己の内面に巣くう悪意、邪念、歪み、妄想…などの澱を、「浮かばれない魂魄」や「幽霊」などに典型化することで「演劇詩のアンソロジー」を紡ぎ織りなし、客の中に入っての即興性で今日的なものを得ようという、非凡で漸新的な実験なのだ。
 2000年の初来日で、彼らは同作品を京都と東京で上演した。たまたまそれを観た私は、総毛立つような衝撃と極めつけの甘美な感慨とを味わった。故岸田今日子さんも「いままでに観たなかで最も凄く、素晴らしかった」と寄稿までなさり、同じく女優の横山通乃さんはその後2年ばかりもショックから立ち直れずにいたという。ゆえに以来、私はこの“演劇災”の正体に、いま一度迫ってみたかった。好運にも、息子役のモニ・ヨセフ氏が他の仕事で滞日中であることを知り、再演に向けて後先見ずに動きだした。
 燭台の灯りだけの部屋。客はグランドピアノを囲むようにそっと座る。ピアノを弾き続けながら、子供に「お話」をするように語る、クリムトの描くユディトにも似た美しい“狂女?”。「あの有名な『モルダウ』はユダヤの曲を盗んだものなのよ」「アルゼンチン・タンゴもそう」「日本人も昔はユダヤ人でした」と、話はどれも諧謔的。ホロコースト生き残りのその母親に言い付けられ、42歳なのにまだ「坊や」の息子は、「収容所でのみんなの最期がどんなふうだったのか」を演じる。死のトポス(場)に見立てたグランドピアノに這い上がると回り狂う。やがて困憊して倒れた「坊や」を起こさないように…と拍手もなく終わる。
 だが、彼らが帰国後の批評会では「被害者意識が強すぎる」「そんなイスラエル人のガザ攻撃は許せない」という意見が少なからず出た。それこそ、己の内面世界への探求欠如と、今日世界における「戦争」はイクオール「平和」であるとの構造認識欠如とで、平和ボケしてしまった日本人が、ここまで増加したのかと焦燥するばかり。だからヨセフ氏が、今回公演の合間の「アートトーク」で観客に投げかけた「日本人は心の中のブラックホールにどう立ち向かっていますか」との問いにも、彼の予期したであろう反応はなかった。新たなる”演劇災”が再び衝撃と苦い思いとなって迫っている。
(うえだ・みさこ=シアターX(カイ) 芸術監督/劇場プロデューサー)

2009年3月2日〜4日
『アンソロジー』(イスラエル アッコ・シアター)公演のチラシ

赤旗の掲載記事より抜粋 2009年4月24日
オペラ マスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』
(2009年4月9日〜11日)

音楽監督・指揮:天沼裕子 演出:藪西正道

真に迫るアンサンブル

 Χを「カイ」と読む劇場シアターΧ。そこが企画する「あえて、小さなオペラ」第二弾、マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」を観た。ソリスト5人を合唱団12人、音楽はチェロ、クラリネットにピアノのみ。真に迫るアンサンブルだった。
 人妻ローラを愛したトゥリッドゥが決闘に挑み、その夫に殺される。この事件を横軸に、男女の欲とそれを取り巻く人間模様がテーマだ。指揮・音楽監督の天沼裕子、演出・藪西正道ほかスタッフと、上記音楽家の情熱のたまものである。
 トゥリッドゥ役・大澤一彰にまず注目したい。滑らかな演技に課題はあるものの、高音は日本人に珍しいほど伸び伸びとしたもの。昨年、オペラ界の登竜門「日伊声楽コンソルソ」第一位に輝き今後が楽しみだ。一方、サントゥッツァ役・田村由貴絵は、一途な性格表現にたけている。夫への愛着も露わに「後悔先に立たず」の言葉どおり、夫を奪われた悔しさのあまり告げ口した悲劇が彼女を襲う。田村の歌は強烈なメッセージが聴く者の胸に突き刺さる。
 トゥリッドゥの母親ルチアを歌った大國和子のふくいくとした声が慈愛にあふれ、舞台に深みを与えた。馬場眞二、小倉牧子も、庶民の生活を活写するリアリズム、ヴェリズモ・オペラに欠かせぬ殺人、不義の愛といった人間の裏の要素を映し出す。女声八人、男声四人の合唱団もオペラの展開に吸引力をもつ。前田佳世子の編曲は、ことに長明康郎のチェロが有名な間奏曲を浪々と歌い上げ感銘深い。
(宮沢昭男・音楽評論家)

2009年4月9日〜11日
オペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ』
作曲:ピエトロ・マスカーニ
音楽監督・指揮:天沼裕子
演出:藪西正道
(撮影:コスガデスガ)

2010年

『さくら の その にっぽん』2010年11月17日〜23日

原作:アントン・チェーホフ  作:多和田葉子  演出:ルティ・カネル(イスラエル)
チェーホフ生誕150年の2010年。多和田葉子がチェーホフの『桜の園』から想を得て、全編“ひらがな”による戯曲を書き下ろし、イスラエルの演出家ルティ・カネルが演出する試み。
以下は公演プログラムからの抜粋です。


多和田さん造語の魅力
「おばすてられてたまるかおんな」


 二年前に、「さくら の その にっぽん」を英訳しながら、多和田さんの「かげおとこ」のある場面をふと思い出した。日本人留学生タマオがドイツのヴォルフェンビュッテルで見事な桜の木を見かけて「このように立派な植物がニホンコクを象徴していると思われているのは悪くない」と、まわりのドイツ人たちはその木を決して日本の象徴だなどと思っていないことにも気づかず、自慢する場面である。タマオくんは専門がレッシングだからチェーホフを読んではいないらしいが、彼の頭にしっかりと植えつけられた「ニホンコクの象徴=さくら」のイメージを解体するのに、ロシアの文豪が多和田さんにちょうどいい手助けをしてくれたわけである。
 「さくら の その にっぽん」において、チェーホフのロパーヒンに当たる人物は田中角栄のように貧しい生まれから大金持ちにのし上がった田中である。しかし、私が魅力を感じるのはむしろ女性たちの方なのだ。例えば、みなしごのみみ。彼女は言葉の手品師で、この芝居で私の一番好きな一句「おばすてられてたまるかおんな」を口走るのはみみだ。これは多和田さんの造語だが、筆者を含めて、ある年齢に達した女性の気持ちを代弁するものだろう。みみが田中に「あんみつやで二人でしんみつに話ししよう」と誘われても、きっぱり断るのはさすがだ。
 梅をこよなく愛し、江戸時代に戻りたがる老人亀田の台詞もなかなかいい。「お前と俺は同期の桜。桜には散る動機がない。(中略)散りたいなら勝手に散ってくれ。周りの国に迷惑をかけないで自分の庭に勝手に散ってくれ」。彼は手品師ではないが、「同期」を軽やかに「動機」に変え、軍歌の歌詞をつらぬく桜イデオロギー否定の言葉を引き出す手口はじつに鮮やかだ。

 チェーホフのフレームワークの中に、亀田の古い記憶をはめると、江戸時代から七十年代の開発ブームを経て、仕事もお金もない現在に至るまでの日本の歴史が、この戯曲にはすべて入っている。紙の上で出会った言葉たちが舞台で踊るのを、とっくりと見てみたい。

満谷マーガレット(みつたに・マーガレット) 翻訳家・共立女子大学助教授。多和田葉子作品では『犬婿入り』『ふたくちおとこ』を英訳。


ひらひらとまうことばたち。ぎざぎざ、でこぼこ のもじたち。

とても嫌いだった試験問題:〔以下のことばをかんじになおして下さい。〕を思い出す。

だが今回は試験ではない。試演だ。
さくらのはなびらのようにおちてゆくことばたちを肌でかんじるけいこだ。
ひらひらとまうことばたち。 ぎざぎざのもじたち。でこぼこのもじたち。どんなかんじか、わかるのかな?

飛行場。ようしをつれてパリからもどってくるあい。しゃっきんをかかえて、ぼつらくしていくきぞくのだいひょう者。あいはチェーホフのリューバにちかい。すくなくとも、ことばはそんなかんじだ。うりにだされるさくらやまを手にいれようとするたなか。とち・かいはつ・かいしゃの課長で、さくら・ぱらだいすのけいかく者。うめ と しをなつかしむ老人のかめた。にーちぇをせんこうしているいんせい、ちょうえつしてしまったふたば。むかしにもどりたくないはじめ。げいをするみみ
さくらやまは しのやまだ。ししゃの声としじんの声の二重唱がきこえるのか?
みみをすます。舌をまわす。ことばの二枚舌。もじのうらにかくれていることばたちは、たちあがる。音をたてる。革命をおこすのか?
グロバリゼーションと しほんしゅぎの時代、しょうぶの瞬間だ。マネーではなく、ことばのかけひき。革命ではなく、トランスフォメーションだ。いみと おとと もじのトランスフォメーション。 変身、変形、変換。 げんじつは あやしげなことばだと、いんせいはいう。たしかに、そうだ。たしかなものはない。まわりはかわりものばかり。
さくらやまはどこにあるのだろうか?
すでにさくら・ぱらだいすになっているのではないだろうか? さくらがしんぼるだから。あたらしくできた くにのしんぼる。とれーどまーく。「ようこそ・にっぽん」、さくらのその、にっぽん。
さて、本番はこれからだ。

ダヌータ・ウォンツカ  ポーランド ヤギエウォ大学(クラクフ)を経て現在東京大学大学院。専攻は多和田葉子研究。

2010年11月17日〜23日
『さくら の その にっぽん』作:多和田葉子 演出:ルティ・カネル

俳優さんへ

ひらがなは、目をつぶって手探りで日本語のかたちを障りながら進みます。まるで遠いところからやってきた旅人のように。いつも見慣れている日本語の文章では漢字とかなが混ざっています。漢字の意味を道標にして、ひらがなはその「繋ぎ」としてしか意識せずに読んでいくことが多いと思います。漢字は発音しなくても意味が分かります。たとえば「飛行場」という漢字を見ると、発音してみるまでもなく意味が分かってしまいます。まるで記号か絵でも見るように、目が「飛行場」という単語を一瞬のうちに絵としてとらえ、意味に置き換えてしまうのです。でも「ひこうじょう」とひらがなで書いてあった場合は、ちょっと立ち止まるのではないでしょうか。読めるけれども馴染みの薄い文字を読むように、子供が絵本を音読するように、注意深く、期待に満ちて、ほんの少しとまどいながら、「ひこうじょう」と発音してみることになるかもしれません。「ひ」という響きの中に何が聞こえるでしょうか。まだ見たことのない世界への飛躍でしょうか。「こう」で滑り、「じょう」で摩擦しながら上昇していくかもしれません。

 一つの単語の中から聞こえてくること、連想することは 個人個人違っていると思います。だから一人一人が言葉の響きに耳を澄まして新しい何かを発見していくことが大切なのだと思います。

また単語と単語が「てをには」で繋がっていくのもよく考えてみると不思議ではないでしょうか。動詞が前に乗り出してきたり、後に引っ込んでしまうのも不思議です。何と何が繋がっていて、どこに休息があって、どこで急ぐのか。


 わたしの芝居に出てくる登場人物の台詞は特にめだって人工的に凝った抽象的なものでないと同時に、「自然な台詞」ではありません。平易な日本語だけれど、こんな風には多分誰もしゃべらないだろうなという日本語です。だから、できあいの口調やキャラを模倣するのではなく、またそこにないものを無理に言葉の上に上乗せするのではなく、言葉の響きを手がかりに音楽として納得できる喋り方を発見してもらえたらと思うのです。変ではなく、普通でもない真空地帯を見つけたいのです。

 そのためには多分、個々の登場人物の感情を想像して再現するのではなく、言葉そのものに触れることで、感情そのものに触れることができればと思っています。言葉そのものというのは「日本語」とか「最近の若者の言葉」とか制限されたものではなく、言葉そのものです。感情そのものというのは「誰々さんの悲しみ」とか「恋人ができた喜び」などの断片ではなく、感情そのものです。

 わたし自身、よく自作の朗読をしていますが、作家のわたしが朗読する場合は、あらかじめ特定の解釈があって、それを表現するために特別な読み方をする訳ではありません。単語の一つ一つははっきりと伝わってほしいと必死で願いながら、しかも 読む度に新しい解釈の生まれてくる言葉の不思議さに戸惑う自分を隠さずに、動揺しながら読むのです。動揺の中から多義性がたちのぼってくると思っています。そんな風に単語に立ち向かう自分のかまえ、からだ、ゆらぎは聞き手に伝わってほしいけれど、その単語をどう解釈するかは完全に聞き手に任せたいと思って朗読しています。そのためには発音ははっきり裸になっていなければならず、何かを付け足すことによってではなくて、言葉そのものの力が最大限に出ることで勢いが出るのがいいと個人的には思っています。ゆっくり、はっきりと発音しているのにスピード感が出れば最高です。でも作者と俳優は、テキストとの関わり方、舞台との関わり方が違うので、わたしの言うことが参考になるかどうかは分かりません。

多和田葉子(たわだ・ようこ) 作家。在ベルリン。ドイツ語と日本語で書く。 ドイツ語圏だけでなくヨーロッパ、アメリカ各地で自作朗読、これまでの朗読回数は600回を越える。シアターΧでは「晩秋のカバレット・シリーズ」として、高瀬アキ(ベルリン在住)とのジャズピアノと自作朗読とのパフォーマンスを毎年上演。


舞台パフォーマンスに向けて

 「人類はその力を絶えず進歩させ、発展を続けている。今はまだ手に届かぬものも、いずれはすべて手中に収め、解き明かしてしまうだろう…(略)…いま彼方にあるもの───それは幸福だ、そして近づきつつあるのだ、だんだんと、だんだんと───僕には聞こえる、その足音が…(略)…もし僕らがその訪れを見るまでは生きられず、自らは幸福の意味を決して知ることがなかったとしても、それがどうしたと言うのだ? 意志を受け継ぐ者たちがいるじゃないか!」(『桜の園』第2幕、トロフィーモフのセリフ)

 そしてこの私たちは、こうした言葉が書かれた100年後以上の世を生きているわけです。チェーホフ劇の登場人物たちが心に描いたのは、まさしく私たちのことなのですが──私は私自身に問い返します──私たちは幸福の謎を見つけ出しているでしょうか? 私たちは幸せとは何か分かっているでしょうか? それとは相反して──私たちの社会の基底を成す人道的価値観は、不快で疎ましい現実をひたすら打ち砕いているように私には思えるのです。

 チェーホフ劇『桜の園』の登場人物の幽霊は、多和田劇『さくら の その にっぽん」において新たな肉体を手に入れました。彼らは舞い戻り、この芝居が提起する根本的問題を、斬新な角度から、この時代の私たちが立脚する地点から、追い求めます。そして私たちを自分探しの旅へと導きます。その問いかけるところは、
私たちは桜を語りながら、何を言おうとしているのか?

 この多和田劇で私たちが出会う人物たちは、ふたつの世界を行き来しています。国と国との間を、古い世界と新しい世界との間を。このように限定された時間・空間のなかで、彼らは自らの人生の土台とするべき価値観が何なのか、改めて検証せざるを得なくなります。

 物語の中心となるのは、あいの家が所有する、今はもう無用のものとなってしまった桜の山です。この山を売ってくれという申し出が、信念の対立を陰や日向で引き起こし、その水面下にある内実的世界にも、衝突をもたらします───理性と感情、現実的財産と刹那的な美、平凡と偉大、物質主義と霊魂、リアリズムと象徴主義、冷静と熱狂、そして現在と過去との対立。こうした対立が舞台の展望(パースペクティブ)を変容させ続けながら、この芝居の世界は構築されていきます。

 この『さくら の その にっぽん』の制作にあたって、私たちは次のようなアイディアに従って、全力を尽くしましょう。

 「芸術は救済になり得る」と、芝居の中でふたばは言います。チェーホフによれば、芸術の目的とは、人間存在という問題を、その複雑性の全てを備えたまま呈示することです、その際、複雑性を単純化したくなる傾向や、根本的な矛盾を平定することは斥けなければなりません。人間存在の謎は、謎のままであり続けるのです。

ルティ・カネル 演出家。テルアビブ大学芸術学部演技科主任教員。02年9月シアターXの招聘公演『野ねずみエイモス』で初来日。05年にはシアターXプロデュースでブレヒト作『母アンナ・フィアリングとその子供たち』(吉田日出子主演)を演出。07年再演(主演は二代目 大浦みずき)。同年、シアターXでギリシア劇『エウメニデス』を演出。また、06年以降も毎年シアターX主催でワークショップを。


長い間、 つまらなくない演劇を観ていなかったから

チェーホフを原案にして多和田葉子さんに戯曲を書いてもらい、ルティ・カネルさん演出による作品を創りたいという話を上田美佐子さんから聞いたのは三年以上も前だった。ついてはその第一回ミーティングを、地理的にもベルリンとイスラエルの中間にあるパリで決行しようという、こじつけとも象徴的(?)ともいえる口実でこの企画は寒い一月のパリでスタートした。既に『桜の園』を念頭に抱いてパリにやってきた多和田さんは、日本人にとって「さくら」が意味するものを語り、さらに博識の上田さんの講釈も加わって、真摯に質問を投げかけるルティさんとの間で様々な意見が飛び交った。そして出来上がった戯曲をめぐってそれから更に一年後、第二回目の「パリ会議」を行う運びとなったのが約二年前。
ひらがなだけになった日本語は不思議な相貌を得て、まるで外国語に向かうように、戸惑いや発見とともに一語一語を確認しながら読み進めなければ本当の姿を現してくれない。惰性や固定観念を捨てて立ち向かうと、ちょっとしたずれや微妙な違和感を通して、作家多和田さんが身を置く異なった言語と文化の中間地帯から生まれた意外な発想や、一つのシンプルな言葉が予想もしなかった意識の領域にまで導いてくれる可能性が戯曲の至る所に鏤(ちりば)められている。
そしてこのひらがな戯曲は、音にならなければ、声にしなければ言葉の厚みや詩的イメージが膨らまないということから、正に理想的な演劇言語とも言えるだろう。それだけ
に、俳優さんたちの一語一語に向き合う姿勢が問われることになる。そして彼らを引っぱっていく演出家のルティ・カネルさんは、日本語がわからないからこそ、俳優の身体から発せられる言葉が、単なる意味を越えて本物かどうかをより一層嗅ぎ取れるのではないか、そしてまた別の「中間地帯」の立場から、更に未知の扉を開いて、新しい演劇言語を響かせてくれるのでは…と不安と期待がつのるばかりだ。

佐藤京子(さとう・きょうこ) 現在、フランス在住。翻訳家、演劇批評家。 54年、福岡県に生まれる。パリ第三大学比較文学科博士課程中退。?

2010年11月17日〜23日
『さくら の その にっぽん』作:多和田葉子 演出:ルティ・カネル

(多和田葉子にとって)愛の行為としての越境

中世の神学者で、フランスのサン・ヴィクトル修道院長だったフーゴー(フランス語風に言えばユーグ)には、故郷と異郷をめぐる有名な格言がある。ナチスドイツに追われてイスタンブール経由でアメリカに渡った文学者アウエルバッハが引用し、それをやはりパレスチナを追われた亡命者の意識を持ってニューヨークに暮らしたエドワード・サイードが孫引きし、さらに最近では細川周平がブラジル日系移民を研究した著書『遠きにありてつくるもの』や、池澤夏樹がエッセイ集『異国の客』で詳しく論じている言葉だが、あえてもう一度、引用してみよう。
故郷を甘美に思う者はまだ嘴の黄色い未熟者である。
あらゆる場所を故郷と感じられる者は、すでにかなりの力をたくわえた者である。
だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である。
(サイード『オリエンタリズム』より孫引き、板垣雄三・訳)

 全世界を異郷と思う、というのは、なんと驚くべき言葉だろうか。じつは少し前、多和田葉子を招いてシンポジウムを行なったとき、この言葉をめぐってちょっと議論になったことがある。多和田さんは、フーゴーの言う三つの段階のうちの最後の第三段階に自分はまだ到達しておらず、おそらく第二段階、つまり「あらゆる場所を故郷と感じられる」段
階にいるのだと思うと言っていた。つまり、どこへ行っても居心地がよくて、家にいるような気がするという特異な才能があってのことだろう。
 フーゴーの言葉はもともと修行僧のための学習心得のような本の一節で、彼によれば哲学をする者にとっては全世界が流謫の地なのだという。おそらく「完璧な文学者」も(そういうものがあるとして)そうであるべきなのかも知れないが、私たちはみな不完全だからこそ、世界のあちこちに愛を分散させながら生き、世界への愛を断ち切ることができない。
 そうだとしたら、多和田葉子にとって越境とは、逆説的な愛の行為ではないのだろうか。

沼野充義(ぬまの・みつよし) 文芸評論家・ロシア東欧文学。東京大学大学院教授。著書・訳書に『永遠の一駅手前──現代ロシア文学案内』『チェーホフ短編集』など。


2010年11月17日〜23日
『さくら の その にっぽん』作:多和田葉子 演出:ルティ・カネル

2011年

『女たちの合唱』 ズビグニェフ・ラシェフスキ記念ワルシャワ演劇研究所 (2011年10月4日〜6日)

原案・台本・演出:マルタ・グルニツカ
総譜:IEN/振付:アンナ・ゴドフスカ/指揮指導:アグニェシュカ・シメラ/監修:アガタ・アダミェツカ/字幕翻訳・制作:平岩理恵/出演:ポーランド女性24名

女性たちの本当の声を探求

女性A このプロジェクトはどんな経緯で生まれたのですか?
マルタ・グルニツカ(演出・指揮) この企画自体は私が発案しました。キャスティングはどんな女性が参加してもいいということでオーディションの募集をしました。最初は、私自身もどんな形の舞台になるのかわかりませんでした。若い女性作曲家との話し合いで最終的にこのような舞台にすることになりました。『女たちの合唱』のテキストは文化的、社会的なコンセプトからいろいろと集めた言葉のコラージュです。私たちを取り囲んでいる様々な文化の中に偏在する言葉やそれに抗するボーヴォワールやイエリネックの言葉を集めてコラージュすることで、女性の本当の声をつくりだして、その言葉が持つ権力的な意味の無力さを示そうとしているのです。楽譜は決まっていますが、出演者たちは自分自身の言葉として声を出しているのです。
男性A かなり重苦しく感じたのですが、やはりポーランド女性は歴史的に抑圧されてきたということを伝えようとしていると感じました。
アガタ・アダミェツカ(監修) この作品は現代女性の話であって、特別にポーランドの抑圧された歴史における女性たちのことを取り上げているわけではないのです。いつでも、どこの国でも女性たちは何らかの圧力を受けているんです。が、実際、女性の持っている力はその圧力よりも強いものです。
 2500年ほど前に、ギリシアで悲劇をテーマにコロスによる演劇が始まったわけです。ギリシア悲劇のコロスは男性のみによって構成されていましたし、また観客も男性のみでした。
 そういうものに対して、いま女性たちのコロスによる『女たちの合唱』なのです。
男性A つまり、男性は共有できない世界なのですか?
アガタ もちろん男性も共有していただけます。現代では男性も同じ抑圧のもとにいるわけですから。
男性B 私はこの舞台は「合唱」というよりも「語り」の口調として受け取りました。
マルタ 私はいままでになかった舞台をつくりたかったのです。テーマのみならず方法的にも、このような舞台はいままでポーランドになかったのです。私は個人的には「リズム的な舞台」と名付けていたのですが、リズムを付けた言葉によって新しい合唱(コロス)の存在をつくり出そうと思いました。
女性B 言葉の比重はどのくらいあるのですか?
マルタ テキストは大きな比重を持っています。『女たちの合唱』は言葉を解体していく作業なのです。言葉を使って何かを構築しようとすると、こんどはその言葉に縛られていきます。
 ポーランド語では第三人称を表す言葉では、男性と女性の性が規定されてしまいます。そういう言葉を解体することでその言葉の意味を無くしていったり、別の意味に変えたりしているのです。
男性C 全体のアンサンブルは伝わりましたが、情感やリリシズム、女の持つ妖しさや美しさとか、そういうものが僕は欲しいと思った。女性たちのこんなに攻撃的なメッセージは「ちょっと」と、感じる。
アガタ そのように受け取っていただき私たちは非常に嬉しく思います。女性の美しさとか、優しさとか、そういう女性らしさは常に女性に対して求められ続けてきました。服従することを求められてきたのです。私たちはこの舞台が切っ掛けで、観客のみなさんがステレオタイプの女性らしさを求めることを止めることになればと思っています。(笑いと拍手)

『女たちの合唱』舞台写真

マルタ 私たちがこの舞台で見せたかったのはヴァラエティに富んだ女性像ということです。私たち自身が本当に様々な女性たちから構成されています。
 この舞台に反発を感じる方がいるとしたら、それは言葉を解体する表現の仕方のためだと思います。私たちはこの舞台で観客のみなさんを批難するつもりはないのです。この舞台で私たちは多くの冗談を言って遊んでいるわけです。私たちの身の回りにある女性を規定する言葉や音をぶつけ合って、それを強烈な声にのせて表現しているわけです。そして、それを笑い飛ばそうとしているのです。
女性C 声の可能性についてお聞きしたいのですが…。
マルタ まさに声の可能性を信じています。声は革命を起こす手段にさえなると感じています。声は制限されていて、細く力のないものだと思われがちですが、声はすべてをすることができる手段だと思っています。そのためには勇気と想像力を持っていなければいけないのです。
男性D 日本では演劇を見ない人はたくさんいます。ポーランドでは演劇はどのように受け入れられているんですか?
アガタ ポーランドは演劇の国です。演劇的なテキスト、文学がポーランドを構築しているといって過言ではありません。ポーランドの歴史上の様々な民衆の蜂起や革命は、すべて舞台芸術から始まっているのです。現在、ポーランドで演劇は確かな位置を占めています。演劇は現実を計るものであり、その現実を変えていくものでもあるのです。
女性D 私は身体を動かしたくなってきて大変でした。出演者のみなさんは動きたくならないのですか?
アガタ その質問は、たぶん核心を突いていると思います。この作品は女性の身体についての物語なんです。女性の身体は文化の中でコルセットに押し込められています。コルセットの中で少しはエネルギーを出すことができるかもしれませんが、そのエネルギーを開放する場が劇場なのです。

『女たちの合唱』アフタートーク(劇場ロビー)

「皮肉」を駆使したレシェク・コワコフスキ原作『ライロニア国物語』から
@レクチャー:ヤン・ザモイスキ氏(短編アニメーション脚本家)
A短編アニメーション
B演劇:『ライロニア』テアトル・カナ
(2011年11月25日〜27日)

 2011年秋のシアターΧ「ポーランドからの芸術攻勢」第三弾目。今回はポーランド出身の作家・哲学者レシェク・コワコフスキ(1927年〜2009年)の著作であるおとぎ話集『ライロニア国物語』を原作とした演劇公演、アニメーション上映、レクチャーをとり合わせた企画。レクチャーはアニメーション作品の脚本を手掛けたヤン・ザモイスキ氏による解説の後、アニメーション上映。そしてシチェチン市から招聘した劇団テアトル・カナによる奔放な演劇『ライロニア』を上演。またもポーランド芸術の実力を再認識することに。千秋楽後にヤン・ザモイスキ氏をインタビュー。

ヤン・ザモイスキ氏に『ライロニア』について聞く

「皮肉」に隠された武器

─── 『ライロニア国物語』の一連のアニメーション作品や演劇『ライロニア』を見ると、コワコフスキ独特のユーモアは、コワコフスキにとって何かの武器だったのではないかと感じます。
ヤン・ザモイスキ コワコフスキは本当にユーモアのセンスを持っていました。そのユーモアは多分武器だったのです。特に彼の文学作品について当てはまります。
 ポーランド語にTIroniaU(皮肉)という言葉があるのですが、昔から哲学の分野で用いられてきた概念です。コワコフスキのエッセイの中にも数多くの「皮肉」が含まれていると思います。
─── コワコフスキの生きた時代は、ポーランドがソ連社会主義圏の時代、独立自主管理労働組合「連帯」の時代、欧州連合の時代を経ています。コワコフスキの「皮肉」という武器は何に向けられていたのでしょうか?
ザモイスキ コワコフスキにとっては言葉が非常に重要だったのです。特に旧ソ連で推し進められた社会主義と闘う必要がありました。実は彼はポーランド労働党の党員でもあったのですが、1966年に労働党を離党します。それはポーランド社会主義体制との闘いを意味しました。
 それ以後は、言葉で闘うことがまったく別の次元の問題となったのです。当時のポーランドには労働者の権利を保護するための防衛委員会(KOR)があったのですけれど、コワコフスキはポーランド国外にいて、1967年からKORの代表を務めていました。KOR代表のコワコフスキは「皮肉」を武器にポーランドの社会主義体制と闘ったのです。
 コワコフスキは全体主義と闘うために全体主義のやり方を真似してはいけないと考え、KORに所属していた全委員の名前や住所を公表しました。彼の当時の活動の記録には「すべては公にされている。CIAからの指示だけは隠しているが……」と書かれていました。いかに彼が「皮肉」を武器にしていたのか解ります。
 当時、コワコフスキは自分のことを「保守社会主義者である」と言っていましたが、それは隠れ蓑でした。実際には、彼は最善の答えを求めていて、リベラリズム(自由主義)と、いつまでも変わることのない価値を考えることが重要でした。彼は相対的な価値を認めていなかったということです。
─── ポーランド社会主義体制と闘ったコワコフスキは、資本主義に対しても懐疑的ではなかったのですか?
ザモイスキ コワコフスキは人間の権利に重きを置く人だったので、もしかしたら資本主義に批判的だったという解釈は成り立つかもしれません。

  

ヤン・ザモイスキ氏‥1956年、ポーランドのポズナン生まれ。レニングラード大学哲学科卒業。哲学史家、脚本家。今回の企画でテアトル・カナと共に来日。

理性が問題から目を背ける

─── アニメーション作品はどれも答えや結果を求めるプロセスそのものを描いています。結果に至るプロセスの模索がテーマの一つなのですか?
ザモイスキ アニメーション作品では「一つだけの答えや解決策はあり得ない」ということを言いたかったのです。
 例えば、『いちばん大きな口論の話』という作品では、自分たちの農地を失った三人の兄弟が登場し新天地を探します。この作品には三つの階層があります。最初の階層として三人兄弟に懐疑や迷いが生まれます。「こちらがいいのか、あちらがいいのか、どっちにしようか」という迷いです。次の階層では確信するのです。「私たちが求めているのはこれなんだ!」と確信を持つのです。そして三つ目の階層は、再び懐疑的になるのです。末の弟がまさに懐疑の象徴として存在します。彼はもっといい世界があるはずだと信じていて、その世界を探したいという衝動を持ちます。そこが他の二人の兄弟とまったく違うところなのです。
 他の二人の兄弟はドグマのような硬直した考え方を持っていて、それぞれに求めるものは何かをハッキリ自覚しています。しかし、末の弟は探し求めたい衝動はあっても、求めるべきものが何かはハッキリと判らないのです。実は、判らないということはいいことなのです。
─── なぜ判らないことがいいことなのですか?
ザモイスキ なぜなら、硬直した考えを持っていると、それを他者に押しつけるからです。そういうものを持たず、判らない状態はいいことなのです。探し求めることが大切なのです。
─── 今年、日本では福島の原発事故が起きました。日本人はその現実と対峙し自らを変革することができません。
ザモイスキ 人間は最悪の事態に遭遇すると理性を働かせて、その理性によって、その事実が無かったかのごとく考えようとするものなのです。
 例えば、ポーランドではソ連の社会主義に対抗する答えは独立自主管理労働組合「連帯」でした。相手が政治的な敵対関係にあるならば、その相手を分析することができます。しかし福島の原発事故の場合は、事故の可能性を知っていた者がいたにもかかわらず無視していたということですか?
─── そうです。
ザモイスキ 私には原発事故の責任をどうやって追及していくのか、日本の社会がどうやって責任を果たすべきなのか、そのやり方は判りません。しかし、もし私がそういう状況に置かれたらどうすべきかは判る気がします。
 元ポーランド外務大臣ブロニスワフ・ゲレメクはコワコフスキの親友でしたが、彼は「自分がどういう態度や行動をすべきか判らない時は、必ずまともな人間だと思われるような行動をしなさい」と言いました。また、コワコフスキは友情が最も大切だと言っていました。私はこの二つが大切なのではないかと思います。

  

演劇『ライロニア』舞台写真/テアトル・カナ


『ライロニア』アニメーションの一場面

2012年

シアターΧ パフォーミングアーツ塾
『ドン・ジョヴァンニ』全2幕(イタリア語上演)
作曲:モーツァルト/演出:藪西正
(2012年2月4日〜8日)

2010年2月に開講したシアターΧ パフォーミングアーツ塾(PA塾)は、1年間かけてモーツァルトの『フィガロの結婚』を学び2011年1月に全幕を上演した。2年目はモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』を2012年2月に全幕上演。次回作は『コジ・ファン・トゥッティ』を予定。ドイツ語・イタリア語の「台本」よみに始まり、歌唱、そして舞台動作の訓練も重ね、総合舞台芸術としてのオペラの創造を学ぶ。PA塾講師で演出の藪西正道氏に、シアターΧPA塾の成果やシアターΧのオペラ公演などインタビューした。

藪西正道氏に聞く

強靱な精神が鍛えられた

─── 私は『ドン・ジョヴァンニ』3日目を見ました。
藪西正道 シアターΧパフォーミングアーツ塾(PA塾)は2年間つづいていますが。今回も4日間共それぞれに課題を克服した成果のあった公演であったと思います。
 その中で、昨年『フィガロの結婚』全幕上演を経た塾生は、学ぶことへの意識がより高くなった気がします。
─── PA塾生でも、1年目と2年目の塾生で差があったように思いますが、歌う技術の差なのでしょうか?
藪西 技術の差もありますが、演ずること、オペラ歌手に必要な歌と演じることのバランスをとる強靭な精神が鍛えられたのだと思います。 
 僕の経験を話すならば、かつて僕が東京藝術大学で学んだウバルド・ガルディーニ先生(イタリア人、84年〜91年東京藝術大学オペラ科客員教授、ザルツブルク音楽祭オペラコーチ)に、僕と西野薫さん(声楽家・ソプラノ)が『ドン・ジョヴァンニ』のマゼットとヅェルリーナの場面を3時間無休憩でやらされたことがありました。
 その時、ガルディーニ先生は役柄の成り立ちや年齢、その場面状況のすべてを説明してくれたのです。そして「お前はどう思うか」と意見を聞かれ、僕はどのように歌いたいのかを実演するわけです。そうすると今度はガルディーニ先生が見本を歌ってくれました。それを何度も何度も繰り返しました。同じ台詞を同じ音で、ただしあらゆる感情で百回以上繰り返すわけです。結局、3時間かけて2ページしか進まなかったのです。しかし、その3時間にマゼットとヅェルリーナの場面を千回は繰り返しました。そうしている内に自分のオリジナルが出てくるのです。
 翌日、ガルディーニ先生に「歌ってみろ」と言われて歌ってみると、すべての音程と台詞が身体の中に入っていました。しかも自分の感情で歌えたのです。僕はびっくりして、これは本物だと思いました。
 実は、僕はガルディーニ先生のお陰で藝大を辞めずにすんだのです。こんなに音楽って楽しい! 自由に歌っていいんだ! と解ったからです。
─── 音楽を辞めようと思われたのですか?
藪西 東京藝術大学に入って、西洋音楽が何だか解らなくなったからです。本当に大学を辞めようと思っていました。その時にガルディーニ先生に出会ったのです。

心の「歌い方」は音楽共通

─── 西洋音楽が解らないというのは、日本人だからということですか?
藪西 そう思ったこともありますし、西洋音楽の意味は解っても、つまらなかったのです。ところが、ガルディーニ先生は自分の思い入れで、感情で歌っていいと教えてくれました。
 普通、西洋音楽は楽譜上に出来上がったものを何回も繰り返して歌うものだと思われていますね。西洋音楽には音符とか楽譜とか、ある規制がかかっているわけです。でも、例えば森進一の「おふくろさん」を、誰でもカラオケで自分勝手に歌うでしょう。ガルディーニ先生は西洋音楽も森進一の「おふくろさん」を歌うことと同じなのだと教えてくれたわけです。
─── しかし、西洋音楽のある種の数学的な規則性は素晴らしさでもありますね。
藪西 そうです。だから、ガルディーニ先生は西洋音楽の崩し方を教えてくれたということです。正確に言うと「西洋音楽の規則性を崩さないで崩す」ということを教えてくれたのです。僕は藝大で崩しちゃいけないと教えられてきましたから。藝大の権威は、崩さないからこそ保たれているわけです。しかし、西洋音楽の本質はちょっと崩したところで演奏者のオリジナルを出すということなのです。
もちろん、厳格に歌っているわけです。崩すというのは心の「歌い方」の表現力のこと。例えば、ロネン・シャピラ氏のピアノ演奏(2012年2月9日『ハンマーズ』)がまさにそうでした。彼の心の歌い方が聞こえてくると、リズムとかいろいろなことを共有できました。実は、ジャズとか演歌とか、その音楽家が一流であれば、クラシックだけではなくてどんな音楽家とも共有できるものがあるのです。
 例えば、美空ひばりや森進一はオペラ歌手と発声は違いますが、パルス感とか心のひだは同じなのです。ある種の天才ですね。
 僕はクラシックを極めた上でガルディーニ先生に出会いましたから、ジャズとかロックとか美空ひばりを理解できるのです。相撲の呼び出しだって、僕が学生の頃の呼び出しさんの声は結びの一番の前、透き通った綺麗な声で聞こえてきました。
 だから、ロネン・シャピラ氏のピアノ演奏はジャズもロックもシャンソンも取り込んでいましたね。クラシックを極めていたら、本来そうなるはずなのです。

演劇としてのオペラ

─── シアターΧのPA塾をつづけて発見はありましたか?
藪西 シアターΧのPA塾オペラ公演はパネルしか使わない簡素なセットで、演技指導としてヴィクトル・ニジェリスコイ氏(立教大学助教、舞台動作を教える)にも参加してもらっています。シアターΧのオペラ公演は、ある意味で本来のオペラの姿に戻りつつあると思います。
 一方で、日本のオペラ界は歌手のランクからして圧倒的に技術優先です。歌手の技術を楽しみにシアターΧのオペラを聴きに来た人は、物足りなかったと思います。でも、去年シアターΧで『フィガロの結婚』を全幕上演して僕の解ったことは、演劇的に成立していれば必ずしも歌手が一流でなくても、お客さんは喜ぶのだということです。つまり、歌唱内容が演劇として成立していれば、オペラはそれでも成立することが解ったのです。
 それまで、僕はオペラには技術の未熟な人は出演してはいけないと思っていました。オペラの世界はそれくらい厳しい競争の世界ですから。公演中に1回ミスしたら出演できなくなります。だからまず歌唱の技術に重きを置くのです。もう少し極端な言い方をすれば、演技なんかできなくても歌える力がある人が勝つということです。
 ところが、シアターΧを知り、ドイツで活躍する天沼裕子さん(指揮者・作曲家。現在、ヴュルツブルグ音楽大学オペラ科主任教授)がドイツのオペラ劇場の現状を教えてくれて、私もいろいろと学ばせて頂きました。確かに日本のオペラには演劇的な要素が欠如していたと思いました。
 以前の僕は、今のシアターΧで上演するようなオペラのやり方に否定的だったのですから。2008年8月に天沼さんが「あえて、小さな『魔笛』」(演出‥エッダ・クレップ、70分に物語を短縮し上演)の音楽監督をした時に、僕は「オペラをちょん切っちゃ駄目だよ」と天沼さんに言いました。天沼さんのやっていることは「前衛的」を通り越して「破壊」だと思えましたから。
 ところが、その「あえて、小さな『魔笛』」を子供たちが喜んでいるのを見て、僕自身もこういうことから始めていけばいいのだと解ったわけです。僕は『カヴァレリア・ルスティカーナ』(2009年4月シアターΧ 音楽監督・指揮‥天沼裕子)の演出をシアターΧから依頼されましたが、僕は演出については素人なのです。ですから「こんなのでいいのか? 自分は何をしているんだろう?」と詐欺的な気持ちにさえなったのです。
 ところが、公演を見たお客さんは喜んでくれたわけです。何とも不思議だし、シアターΧの活動を通じて天沼さんの言葉を理解できました。

舞台写真 前右よりドン・ジョヴァンニとレポレッロ、後右よりマゼット、ヅェルリーナ、ドンナ・アンナ、ドン・オッターヴィオ、ドンナ・エルヴィーラ(撮影:コスガデスガ)

藪西正道氏

シリーズ企画

花田清輝作『泥棒論語』シリーズ(2004年より継続中)

第1回『泥棒論語』のプログラムより抜粋
シアターカイ2年がかりの「ブレヒト的ブレヒト演劇祭」2年目
第1回花田清輝作『泥棒論語』
演出:白石征 出演:ちねんまさふみ 他
(2004年9月4日〜9日)


 『泥棒論語』は、花田清輝の処女戯曲で、1957年「新劇」に発表、土方与志の演出により、舞芸座で初演されました。
 物語は平安末期、土佐の守の職を終えた紀貫之。任を終える直前、「京へ帰ったら発表する」ともらしたところ、その『土佐日記』を政治的記録と勘違いした人々に次々に狙われる騒動が描かれています。
 娘の紅梅姫と息子の時文と共に旅立とうとすると「拾い屋」賽の河原早発があらわれ、娘の「霧」を京の安部の幽明(清明)のところへやるため連れて行って欲しいと懇願、一行に加わります。海に出れば、実は橘(たちばな)の季衡の手先であったかじ取りの縄掛け地蔵が一家の寝込みを襲い、縛り上げて『土佐日記』のありかを白状させようとします。そこに藤原純友(すみとも)率いる新宮の滝夜叉、マサカリ太郎ら「解放軍」が乱入、捕らえた地蔵を裁判にかけようとし、そこに貫之も混じってディスカッションが繰りひろげられます。丁々発止のやりとりの末、「霧」が唱えた呪文に一行が乗った船の行方は、そして、「一(いつ)をもって之(これ)を貫く」といい続けた貫之の『土佐日記』とは……

花田清輝(1909〜1974): 文芸評論家、小説家、劇作家。戦時中に書き、戦後一年目に刊行した『復興期の精神』は戦後の評論界に衝撃を与えた。主な評論『錯乱の論理』(47)『アヴァンギャルド芸術』(54)『さちゅりこん』(56)『近代の超克』(59)など。小説には『鳥獣戯話』(62)『小説平家』(67)『室町小説集』(73)など。戯曲には処女戯曲の『泥棒論語』(59)『爆裂弾記』(63)『ものみな歌でおわる』(64)など、『首が飛んでも ─眉間尺』(74)が遺作。

花田清輝という人がいた    小沢信男(作家)

 花田清輝という人がいた。眼光炯々の大目玉がおそろしいが、笑うと不意にかわいい顔になった。
 文体からしてそうであった。歯に衣着せぬ論調と、自他を突き放した諧謔と。おかげで読む身は肝をつぶしたり、吹きだしたり。
 変幻自在のレトリックが、魅力ないし閉口という評判も『復興期の精神』このかたで。一筋縄ではないのはもちろんとして、この人の本領が変幻よりも終始一貫にあったことは、いまやいよいよ明らかではないか。
 『泥棒論語』のなかの紀貫之は、花田清輝に似ている。したたかな非暴力の態度において。藤原純友も、たぶん若き日の花田清輝に似ている。不敵な理想主義において。敵のなかに味方をみつける胆力なども大いに似ている。
 作中人物は大なり小なり作者の分身であろうけれど、貫之と純友の論争は、してみれば作者自身の足跡の検証でもあろう。乱世、この現代の転換期にどう切り結ぶかが、生涯かけたテーマであった。その意味でも、この戯曲は花田清輝入門編の趣がある。

 芸術の綜合化か、純粋化か。運動族かパーティ族か。一見は二者択一的な課題を、花田清輝は再々提起した。マルバツ的な思案ではかたづかない。おまえはどういう料簡で文学に関わるのか。どんな態度で生きる気か。いわば覚悟の促しで、煎じつめれば花田清輝のおそろしいさは、これに尽きる。
 「戦争か」「平和か」「泥棒をするか」「乞食をするか」このプロローグもまったく同様のはずだ。戦争がバツで、平和がマル、なんて小学生の答案じゃあるまいし。
 戦争が略奪なら、平和は手練手管の搾取だろう。泥棒と乞食のセリフはだからこういうふうにも聞こえるはずだ。「搾取をするくらいなら、略奪はしない」「略奪するくらいなら、搾取はしない」
 けれども現実には、搾取の手先でなければ略奪の手先になり、略奪されなければ搾取されているのが、21世紀ただいまの万国の人民諸君の有様ではないのか。
 ああ! しかし第三の道はないか! ないことはないだろう。右がいずれも私有や公有の膨張欲に立脚しているからは、第三の道は、はるか無所有の彼方に……。

●第2回 泥棒論語『土佐日記』によるファンタジー
(2005年9月28日〜10月2日)
 原作:花田清輝 構成・演出:白石征 音楽:雨宮賢明 出演:ちねんまさふみ、横山通乃 他

●第3回 シアターΧ中秋恒例 花田清輝の『泥棒論語』と私たちの非暴力論語
(2006年10月19日〜22日)
 構成・演出:白石征 音楽・演奏:嶋田吉隆 振付:ケイタケイ・古賀豊 出演:小沢信男、横山通乃 他

●第4回 “インターナショナルな一座”公演形式による 花田清輝『泥棒論語』08 (2008年2月15日〜17日)
 構成・演出:山本健翔 音楽・演奏:ロネン・シャピラ 邦楽囃子:廬慶順 出演:山本健翔、西野薫 他

2004年9月4日〜9日
ブレヒト的ブレヒト演劇祭『泥棒論語』
作:花田清輝 演出:白石征
出演:ちねんまさふみ 他
(撮影:コスガデスガ)

〈第4回『泥棒論語』上演ノート〉

50年前、
花田清輝紀貫之は、第三の道とは まさしく『泥棒論語』のラストの言葉「傀儡くぐつたちが支配階級になるしかない」とはっきりと明言、示唆した。これこそが、花田清輝紀貫之自らをも含むくぐつたちの陣営、すなわち自ら自身へ向けての、「第三の道・宣言」でありました。

50年後の2008年、
戦争をするか
平和をするか
どちらの道を選んだところで、紀貫之いわくの「所詮われわれや一般大衆に浮かぶ瀬はない」わけで、現状はイヤと言うほど、にっちもさっちもいかないキナ臭い毎日が世界中で展開し、実感されるところとなってきています。
生産現場のくぐつのわたしたち、
創造現場のくぐつのわたしたち、
くぐつのわたしたちこそが自ら「くぐつ民主主義」を打ち立てて、劇中の藤原の純友さんの台詞ではないけれども、くぐつによる掟に基いて…、しかし純友さんとは違い「あくまで非暴力の一を持って貫く」という態度で、戦争の苦しみからも戦争の破壊力からも、平和の苦しみからも平和のウツ病からもこの現実を変えるべく「第三の道実践編・宣言」を、くぐつたち自身の責任と義務とで、くぐつたち自身が背負いGOするしかない──これが今回の『泥棒論語』上演の意義でしょう。

 現・支配階級のグローバリゼーション化現象は、とっくに祖国とか民族とかの境や枠をとび越え稼働していながら、それぞれの「国家」に所属するくぐつや一般大衆のわたしたちは、それぞれの国家法人の利害関係に律し治められている存在の「国民」。したがって「国家」という抑圧・支配する装置・機構とによって縛られ、他国民を敵視したり排斥したりもさせられている。
 どこの「国家」もますますその暴力性を強化・巨大化し、「テロとの対決」という欺瞞政策で、実はくぐつや一般大衆の「国民」を牽制している。だからこそ、くぐつのわたしたちの側も、この構造をインターナショナルな視点でとらえ、互いの立場を認識しあい連帯を進めて非暴力的に対するほかはない。2008年の花田清輝紀貫之の『泥棒論語』は、この「第三の道実践編・宣言」でありましょう。『泥棒論語』の公演が、例えばグローバリズムとインターナショナリズムとの違いなどにも、くぐつの立場から深く考えてみる機会とかになるといい。


●第5回花田清輝作『泥棒論語』 構成・演出:谷口秀一(2009年3月12日〜15日)
 八人のダンサーが花田清輝の『泥棒論語』に挑む!
 演奏:オルケステル・ドレイデル(クレズマー音楽) 出演:遠田誠、森下真樹、カワムラアツノリ ほか

2009年3月12日〜15日
第5回花田清輝作『泥棒論語』
構成・演出:谷口秀一
演奏:オルケステル・ドレイデル(クレズマー音楽)
(撮影:コスガデスガ)

●かぶきの誕生に関する一考察
『ものみな歌でおわる』(2011年3月3日〜6日)

原作:花田清輝  演出:ヴィクトル・ニジェリスコイ

初日を目前にして、ものみな文芸演出部に聴く
「かぶき芸術」への新しい方法論の試み


〔文芸演出部〕  宇佐美雅司(俳優)、金森政雄(立教大学 演劇実験室)、川光俊哉(花田清輝祭り2010参加『神聖喜劇』脚本・日大芸術学部)、ヴィクトル・ニジェリスコイ
〔きき手〕  上田美佐子(シアターX芸術監督・プロデューサー)

昨年春より「ものみな研究会」を開始、どのような形でこの作品に取り組むかを考えていくなかで、V・ニジェリスコイさんを中心にプラスチカの方法を使って皆で創造する、ということとなりました。

2011年3月3日〜6日
『ものみな歌でおわる』
原作:花田清輝
演出:ヴィクトル・ニジェリスコイ
(撮影:コスガデスガ)

○プラスチカについて
金森   スタニスラフスキーの『俳優の仕事』のなかに「造形的身体表現」と訳されています。なぜ俳優が身体に関する知識を深く持っていなければならないのか、ということとして記されています。
 ただ身体を動かすことというよりはもう少し表現的で、行動や動きの「形」から、お客さんがどんな印象を受けるかということです。
 台詞は大事だけど、いまのナチュラリズムの演劇では身体の表現性が抑えられている傾向にあるので、俳優はもっと身体を表現のために使った方がいいんじゃないかということを考えています。
 形を創り出すために内面があるときもあれば、形から内面がつくられることもあるので、形を感じることはすごく大事にしたい。ただ形だけだと何も心に来ないので、形から創造的インパクトを受けられるようにすることを意識しています。

上田   それを聞いて一番思い浮かべるのは歌舞伎の表現ですね。郡司正勝先生が生きていらっしゃったら「そのことだよ!」とおっしゃりそう。歌舞伎は本来、形(かた)を形どおりに演ずるものではなくて、形ができるまでの試行錯誤によってどう表現した場合に最もよく伝わったかが、継承され典型的な演技の形として残されているんです。20世紀初め左団次とか猿之助がモスクワ行きの際、歌舞伎の演技を見せたことがスタニスラフスキーやエイゼンシュテインにも非常な影響を与えた。日本では明治に、新劇が歌舞伎と切り離されたところで依然、芸術的な交流が切れているし、歌舞伎も現在は形骸化しています。

○実際の創造のプロセスについて
金森   今回は、稽古場で俳優各自がエチュードを考え、それを演出のニジェリスコイさんがみて「面白い」と思うものを集めていきました。ニジェリスコイさんは「自分は最初のお客さんだ」と言っていました。見ている人もやる方も「いい」と思うエチュードを積み重ねていったので、歌舞伎が長い年月かけてやっていた試行錯誤の縮小版といえる気がします。

ニジェリスコイ   大(超)課題は一番最初に決めました。「《役者》という俳優自身を舞台の上に産むこと」と。一般的な意味で役を演じるということではなく、この作品をとおして演技とは何かということを考えようと思いました。そのため、人間性の基本的な段階としての身体を考えて、プラスチカを使うことにしました。『ものみな歌でおわる』という戯曲は俳優の演技が生まれる瞬間についての戯曲だと思います。人々が日常的な生活から飛び出して俳優になる。
 そして、戯曲に書いてあるアイディア〜境界を飛び越える、心を奪う、人々から離れる、行動、反応、死と復活、光の素を探す〜などを、俳優たちの存在でどうやって表現すればいいかを考えました。花田清輝が書いたストーリーとか役柄にとらわれずにどんなコンフリクト(葛藤)があるかをみる。どうやって表現するかではなく何を表現するかを考える。そして関係性や内面を言葉で表現するのではなく、身体で表現をする。
 俳優各自が戯曲全体を読み、その大課題に基づいて自分が気になったシーンや台詞や役を演じるにあたり、どういった課題を用いてエチュードができるかということを考え、エチュードを繰り返し積み重ねていきました。
 そのエチュードを集めて、わたしが全体の構成を考えました。

2011年3月3日〜6日
『ものみな歌でおわる』
原作:花田清輝
演出:ヴィクトル・ニジェリスコイ
(撮影:コスガデスガ)

○俳優の想像力、観客の想像力
ニジェリスコイ   観客も想像力を持っているので、俳優の課題は舞台に存在することで観客の想像力を働かせることです。まず俳優は(演技の)正当化によって自分の想像を働かせなければならない。その正当化の内容は直接観客にわからなくても、その俳優の存在自体が大切。

宇佐美   自分の内面を身体を通してつくるとどうなるかを探ぐってくださいと言われました。たとえば大久保長安とのシーンのなかで生まれた悔しいとか痛いとか苦しいとかの様々な感情、その何を身体のどこで表現するか。たとえば「怒り」を自分の身体で表現しようとすると、全身に怒りが漲っていなければ表現できません。形から内面をつくり、内面からどう形にするかが今回の課題で、台詞から創ることが禁じられているので大変な作業でした。
 ニジェリスコイさんに言われたのは役「で」演じるということで、役のつくり方が全然違いました。そういうものを感じようと思うと俳優自身であり、役であるというパラレルな状況が生まれます。いままでは役「を」演じていた。それだと「役」と自分がひとつになってしまうんです。
 わたしは『泥棒論語』に2回参加し、花田清輝の作品を通して「第三の道はないか」ということを考えていて、『ものみな歌でおわる』を読んだときも第三の道についての話だと考えました。『泥棒論語』の最後の「傀儡(くぐつ)たちのような最下層の人間が支配階級にならなければ」ということと「かぶきの誕生に関する一考察」ということとは似ていると思います。
 今回、最初にヴィクトルさんが持ってきた「人々に演劇的なものを、演劇に人間的なものを」という大課題を聞いた時、考えている「第三の道」と嵌まったと感じました。自分では「貧乏から金持ちになるのではなく、貧乏からどんな貧乏になれるか」ということをテーマとしてやりたいと考えながら取り組んだ伴作という役の僕は、佐渡からも出られず、役者にもなれず……という葛藤。山三郎に「ともに歌舞伎役者となろう」と言われた手を振り払う僕自身は、悲しいんです。

○かぶきの誕生に関する一考察
川光   今回は稽古が毎回10時〜21時で、朝早く稽古に来るのがつらかったです。それは体力的なこともあるのですが、毎朝通勤に通う方々と一緒に電車に乗るんです。仕事に行くひとたちに囲まれていると「俺はこれから創造的な場所に行くんだ」という誇りと同時に「彼らは安定した生活でお金をもらえてうらやましいな」という葛藤があって心身ともに二重につらかったことを告白したいです。
 それから、「かぶきの誕生」についてですが、歌舞伎は禁制とか抑圧に対抗して形をかえていったものだと思っています。最初は踊り念仏で「女はダメだぞ」と言われ、若衆歌舞伎になり、それもダメだぞ、と言われて野郎歌舞伎になって……どんどん制限されて、物理的にも当時の劇場の空間は暗かったはずで、ローソクの明かりではよく見えない。そういう制約と戦っていく過程で、遠くからでもわかる隈取とか見得のような身体表現とかが生まれたとも考えられると思います。
 今回の『ものみな歌でおわる』は、台詞を使えばいいのになぜ使わないのかと思いますし、舞台装置があればもっと観客の想像力を掻き立てられるのではないかと思うのに使わないし、そういう制限をつけて自分たちの想像力を試す、というマゾヒスティックなことをやっている。そういう制限のなかでこそ すごいものが生まれてくるというのは、大西巨人の超大作を演劇化して日大芸術学部でやり、その短縮版をシアターXでやった『神聖喜劇』のときにも実感しているので、外的な制限があるときが一番人間頭を使うと思うので、これこそ「かぶき」だと思います。

○タヌキについて
上田   タヌキの存在が大きいのはなぜですか。
ニジェリスコイ   タヌキは『ものみな歌でおわる』の戯曲中に何回も登場していて、もちろん長安を化かすのが一番大きいですが、それ以外にもいろんな人を化かしたりしています。また、たびたびタヌキやキツネ、ムジナが登場し、いろいろな化かし方をしているので、今回もいろんな化かし方をやってみました。花田清輝は「いろんな化かし方があるけど、一番ただしい化かし方は芸術における化かし方」と いっています。

2011年3月3日〜6日
『ものみな歌でおわる』
原作:花田清輝
演出:ヴィクトル・ニジェリスコイ
(撮影:コスガデスガ)

花田清輝の祝祭的想像力
白石 征(演出家)
「勝ち誇っている死にたいして挑戦するためなら、失敗、転落し、奈落の底にあって呻吟することもまた本望ではないか。
 生涯を賭けて、ただ一つの歌を──それは、はたして愚劣なことであろうか」
 『復興期の精神』において、こう問うた花田清輝の烈々だる不退転の精神は、無論、この『ものみな歌でおわる』においても、みなぎり沸騰している。花田歿して、三十六年になるが、依然として彼のカーニバル的想像力の世界は、ダイナミックな活力にあふれ、さまざまな問題提起と可能性にみちているのである。
 『ものみな歌でおわる』は、戦国の世から徳川幕府体制へと移行する転形期をとらえ、その熾烈にして無垢なる<かぶく>という生態の時代精神を描く、死と再生の物語だ。
 名古屋山三郎の死は、彼の、日常の己れ自身の幸せを捨て去り、未来永劫、民衆の幸福を願う希求(生贄)そのものであって、その死を通して彼は、おくにの舞台に甦るのである。ここでの山三の台詞は、単なるメッセージというようなものではなく、その背後にはもっと鋭く深い、あるいは信仰心にも似た、孤独な決意が潜んでいる。
 この時点で、日常の幸せをも同時に追い求めようとするおくにの人生は死に、山三と共に目ざすかぶきの実践者としてのおくにが誕生するのである。巫女おどり、稚児おどり、念仏おどりと模索を重ねたおくには、まさに転形期の時代精神のシンボルともいうべき<異装かぶき>への扉をひらくことになるのである。
 日常の酬われない愛は、長安の正室はなも同様である。はなが、おくにのパロディであるのは、不破伴作における山三との位相にも重なる。伴作は、山三の影であり、もう一人の山三でもある。だから山三の消滅とともに、姿を消すのである。この鮮やかな遁走曲的作劇術は見事だ。
 それにしても、「思い出すとは忘るるか、思い出さずや忘れねば」と、おくにの口から語られる「閑吟集」の小唄は、われわれに、作者花田清輝の存在を強く喚起させる。
 瓢箪を腰に、一本の槍をかついだ天下の牢人、名古屋山三郎は、槍をペンに置き換えれば、なんと花田清輝を彷彿とさせることだろう。

 「この孤独な詩人は、ついに一度も孤独をうたおうとはしなかった。ただつねに、孤独な他者──もしくは他者の孤独──に想いを馳せつづけるばかりなのである」(安部公房)

 演劇に時代精神の発露を夢みつづけた、この孤独な作者は、今もなお、その鋭く気迫にみちた視線で、われわれを脅かし、鼓舞し続けている。 



一をもってこれを貫く
山本健翔(演出家)
 戦争か。平和か。泥棒をするか。乞食をするか。ああ!しかし、それ以外に、第三の道はないか!
 花田清輝氏は『泥棒論語』をこうはじめます。かわらもの世界インターナショナルな一座と名付けられたわれらがプロダクションはウードというアラブの楽器を持ち、ピアノを四分の一音が鳴るよう調律してしまったユダヤ人音楽家ロネン・シャピラ氏との協働。オクターヴを黒白十二分割してしまった西洋音楽に対し、白黒つけないその間こそ第三の道と、まあ、ことはそう簡単ではありませんが、しかし音の世界を彷徨える、アラブをかかえたユダヤの民ロネンのむこうにその道は見えないか、そんな『泥棒論語』でありました。
 ところで死体ぎりぎりの場所で、生きる、さまよえる芸能者である─まさにこれこそ花田清輝氏描く芸術家のありよう─クグツと呼ばれる遊芸人たちをさして「彼らが、支配階級になるような時代がこなければ、所詮、われわれの浮かぶ瀬はありませんよ」と『泥棒論語』は終わり、そんな芸能者の姿はこの『ものみな歌でおわる』にも現れます。『泥棒論語』の紀貫之さんではありませんが、花田清輝氏の一をもって之を貫く姿勢、それを追うシアターXも、その担い手の一人と自負するわれもまたそうでありたいものと考える次第であります。

2011年3月3日〜6日
『ものみな歌でおわる』
原作:花田清輝
演出:ヴィクトル・ニジェリスコイ
(撮影:コスガデスガ)

マイナス掛けるマイナス
谷口秀一(放送作家・劇作家) 
 私は正直に申しますが、花田清輝さんのお芝居がよく分かりません。一昨年、『泥棒論語』を演出させていただきましたが、普通、芝居書きは、自分が主張したいことを、観る側、演じる側を考慮して一つの芝居に書きあげていきます。ところが、彼の戯曲にはそのような気遣いが一切ありません。絵に描いたような傲慢さと作劇的な稚拙さ、それも、きっと何か他に意図があるに違いないと思わせる臭いがプンプンする類のものです。おそらく、ここが(私くし的にはマイナス掛けるマイナスが)花田清輝ファンにはたまらなくprofundities(深遠)を感じさせるのでしょう。ところが、これを渡された演出家も演者もたまったものではありません。それなりの評価のある方の作品ですから大いに悩みます。読み方も分からない、いわんや、耳からではとても理解出来ない単語を山のように使った超長台詞…これをどのように表現したものか…。
 しかし、今回は面白いことに、演出のヴィクトル・ニジェルスコイは、『ものみな歌で終わる』を演者が読み、受け止め、考え、演者自身の言葉と身体で体現化していき、それを一つの作品にまとめていくと言っておりました。作家を本業とする者としては、「じゃあ、何のために芝居書きは、血を吐くような思いで台詞を紡ぐのだ!」と絶叫したくなりますが、こういう私のような凡庸な芝居書きを嘲笑うようなところにヴィクトルの
 強かさと芸術性、そして、花田清輝の清輝的なダイナミズムがあるのでしょう。観る側を顧みない脚本と観る側を意識しない演出…今回、(私くし的にはマイナス掛けるマイナス)、その錬金術を楽しみたいと思っております。

2011年3月3日〜6日
『ものみな歌でおわる』
原作:花田清輝
演出:ヴィクトル・ニジェリスコイ
(撮影:コスガデスガ)

一人相撲は八百長か神への抵抗か
西田敬一(国際サーカス学校校長) 
 神事としての一人相撲は、見えない農耕の神さまと相撲をとり、その年の豊作を約束してもらうために、一勝二敗で神さまに勝ちを譲るという、元祖八百長相撲だが、さて。
 花田清輝作『小説平家』"大秘事"を題材に、『勝ってたまるか剣振丸』の制作に参加したのは、安徳天皇の孫といわれる剣振丸が、大道でひたすら負けつづけて、観客を魅了していた一人相撲を見ているうちに、必勝でもなく必敗の精神でない、抵抗の精神を学んだ姿を舞台の上で表現したかったからだ。剣振丸の役を演じたのはクラウンのふくろこうじ氏で、彼は、見えないボールを客席とやりとりしている内に、ボールが次第に大きくなり、それを転がし、舞台の上にいた他の登場人物を追い払い、最後はそのボールと一緒になって転がっていき、そこになにもない空間を作りだしてくれた。
 『ものみな歌でおわる』は、いかなる精神を、舞台の上に見せてくれるのだろうか。

2011年3月3日〜6日
『ものみな歌でおわる』
原作:花田清輝
演出:ヴィクトル・ニジェリスコイ
(撮影:コスガデスガ)

シアターΧ名作劇場100本シリーズ(1994年より継続中)

シアターX名作劇場は日本の名作・秀作一幕劇を一作家一作品を基本として、100本を目指して継続上演しています。
すでに何度も上演されてきた作品もあれば、発表されてはいても上演の機会に恵まれず初演を迎える作品もあります。


毎日新聞の掲載記事より抜粋 2007年8月2日

折り返し点通過し 51、52本目「人生の幸福」「新魔王」7日から

 日本の近・現代の優れた短編劇を紹介する「シアターΧ名作劇場」が、7日から12日まで東京・両国のシアターΧで上演される。25回目の今回は、1924年発表の正宗白鳥作「人生の幸福」と藤井眞澄作「新魔王」。小説家として高名な白鳥に対して藤井は当時、たくさんの戯曲を発表したのに、今はほとんど忘れ去られている。
 「シアターΧ名作劇場」の戯曲選定から演出まで一手に引き受けているのが、演出の川和孝だ。1994年、日本の近・現代劇で優秀な一幕劇100本をシリーズとして公演していこうとスタート。年2回で、1回に2作品を紹介するというペースで、今年ようやく50本の折り返しに達し、今回が51、52本目となる。
 川和は75歳。戦後間もないころの俳優座、青年座の演出部を経て、64年フルブライト留学生として渡米、エール大学大学院で3年間、演劇学を学んだ。帰国後、フリーの演出家としてセリフ劇からオペラ、ミュージカルまで幅広く活躍してきた。
 「米国留学中に、自国の言葉で書かれた創作劇の重要性、大切さを感じました。私は青山杉作、千田是也ら新劇第1世代の次の第2世代に当たりますが、日本の近・現代の創作劇を検証する役割があると思っています。本来なら新国立劇場など国がやるべきことかもしれないけれど、だれもやらないから、一幕劇のベスト100本を上演してみせると取り組んできました。1作家から1作品の原則で、100人の劇作家の戯曲を紹介することになります。折り返しを過ぎても、あと10年以上かかります。ぜひ、一幕劇を見てほしい」
(高橋豊)



【シアターΧ名作劇場・上演記録】

第1回(1994年11月)小山内薫『息子』
第2回(1995年9月)長谷川時雨『ある日の午後』
岡田八千代『黄楊の櫛』
第3回(1996年3月)菊池寛『父歸る』
久米正雄『地藏教由來』
第4回(1997年1月)関口次郎『乞食と夢』
長谷川伸『掏摸の家』
第5回(1997年5月)横光利一『男と女と男』
里見『嫉妬』(「知欲煩悩」・改題)
中村吉蔵『檻の中』
第6回(1998年1月)阪中正夫『傾家の人』
岸田國士『可兒君の面會日』
秋田雨雀『アスパラガス』
第7回(1998年5月)長田秀雄『歡楽の鬼』
岩野泡鳴『閻魔の眼玉』
第8回(1999年1月)眞山青果『玄朴と長英』
岡田禎子『クラス會』
第9回(1999年7月)山本有三『父おや』
武者小路実篤『ある画室の主』
第10回(2000年1月)郡虎彦『父と母』
木下杢太郎『和泉屋染物店』
第11回(2000年7月)飯沢匡『藤原閣下の燕尾服』
水木京太『殉死』
第12回(2001年1月)田郷虎雄『猪之吉』
眞船豊『寒鴨』
第13回(2001年7月)鈴木泉三郎『火あぶり』
川口一郎『二人の家』
第14回(2002年1月)森本薫『みごとな女』
久保田万太郎『釣堀にて』
第15回(2002年7月)小山祐士『夕凪』
邦枝完二『盗賊戯談』
第16回(2003年1月)円地文子『ふるさと』
田中千禾夫『おふくろ』
第17回(2003年7月)吉田絃次郎『丈草庵の秋』
岡本綺堂『筑摩の湯』
第18回(2004年1月)金子洋文『牝鶏』
吉井勇『俳諧亭句楽の死』
第19回(2004年7月)伊藤貞助『日本の河童』
北條秀司『波止場の風』
第20回(2005年1月)田島淳『能祗』
高田保『人魂黄表紙』
第21回(2005年7月)田中澄江『遺族達』
三宅由岐子『母の席』
第22回(2006年1月)水守亀之助『救い』
田村秋子『雪ごもり』
第23回(2006年7月)前田河廣一郎『ダンブロ』
谷崎潤一郎『或る男の半日』
第24回(2007年1月)内村直也『お世辞』
木村富子『河豚』
永井龍男『出産』
第25回(2007年8月)正宗白鳥『人生の幸福』
藤井眞澄『新魔王』
第26回(2008年1月)宇野信夫『俥』
太宰治『春の枯葉』
第27回(2008年7月)小寺融吉『久米の仙人』
豊島与志雄『夫婦』
第28回(2009年2月)水上瀧太郎『地下室』
額田六福『月光の下に』
第29回(2009年9月)島村民蔵『城』
池田大伍『根岸の一夜』
第30回(2010年3月)室井犀星『茶の間』
田口竹男『圍まれた女』
第31回(2010年8月)久生十蘭『喪服』
灰野庄平『芭蕉と遊女』

第1回シアターX名作劇場
1994年1月3日〜6日
小山内薫『息子』」(撮影:中川忠満)

第14回名作劇場
2002年1月8日〜13日
森本薫『みごとな女』(撮影:中川忠満)

第27回名作劇場
2008年7月1日〜6日
小寺融吉『久米の仙人』
(撮影:中川忠満)

シアターΧカイ 国際舞台芸術祭の記録(1994年から継続中)
International Dance + Theater Festival[IDTF]の記録

第1回シアターΧカイ インターナショナル・ダンスフェスティバル'94
 International Dance Festival '94 to Hit Theater X(cai)
(1994年8月24日〜9月11日)

  メインテーマ:「スペース」

 いまはダンスの時代だと言われますが、むしろコレオグラファー(振付家)の時代だと言えるでしょう。社会が形式の変化を求めるとき、優れたコレオグラファーが要求されます。虚無から有を創り出す振付師は、真に魔術師の働きをします。振付師が創造するときには、からだを使ったテクニックの限界を越えるからでしょう。
 シアターΧは、コレオグラファーが踊りへの新しい扉をひらくキー概念として、今回は「スペース」の問題を提示します。シアターΧの劇場自体のボックスと、ステージの分割形式。これらをどのように使って自分の創造力を発揮できるかです。
(綜合ディレクター 及川廣信)

ためらわず、無限に自由に!
オーディションで選ばれたアーティストと招待公演の内外の先鋭アーティストによるダンスフェスティバルの19日間


【参加アーティスト・団体】
8月24日 寥英昭「A matter of time〜すべてを時は包みこむ」
8月25・26日 岡登志子(アンサンブル・ゾネ)
「MOMENT IN DROPPING:おちていく瞬」
「GRUNE INSEL:緑の島」
8月27日 角正之「月のオペラ」
8月28日 イトー ターリ
「フェイス[FACE] 〜表皮の記憶〜」
「インスタレーション・動き」
8月29日 仲野恵子
「生命潮流(ライフ・タイド)シリーズ 黎明編(夜明け)
…闇夜のゆりかご〜月からの風…」
8月30・31日 有科珠々
「極東舞踏(ファーイーストダンス)『たまほこの』
〜桃源郷への道〜」
9月1日 Abe Maria「protoplasm」
9月2日 神蔵香芳
「MAM DAD GOD そして無条件にいとおしいもの」
9月3日 矢上恵子
「矢上恵子のAbstractな世界
─緻密に構成されたダンスに炸裂する魂─」
9月4・5日 Via au Japon(フランス)
「日仏ミクスト・メディア・アート・コミュニケーション」
9月6・7日 岩名雅紀「ジゼル傳──紫の朱奪ふことを悪む」
9月8・9日 居上紗笈「ジャンヌ・ダルクとジル・ド・レー」
9月10・11日 ケイタケイ'S ムービングアース・オリエンツスフィーア公演
代表作「LIGHTシリーズ」より上演

【ギャラリーΧ(カイ)】
8月24日〜30日 「谷口雅彦 写真展」
9月1日〜5日 「Via au Japon─日仏MMAC─」
9月6日〜11日 「加藤英弘 写真展 ─岩名雅記、居上紗笈、ケイ タケイ3人展」

【劇場ホワイエ】
8月24日〜9月11日 「前田哲彦 舞台美術展」



第1回シアターΧインターナショナル・ダンスフェスティバル[IDF]ポスター

1994年8月24日〜9月11日
第1回シアターΧインターナショナル・ダンスフェスティバル
劇場前の広場で踊るケイタケイ’Sムービングアース・オリエンツスフィーア公演
(撮影:加藤英弘)

第2回シアターΧカイ インターナショナル・ダンスフェスティバル'96
(1996年9月1日〜16日)
 International Dance Festival '94 in Theater X(cai)
 主催:シアターΧカイ /Scorpio Patronage

  メインテーマ:「身体とイメージ」

 驚嘆する技術、圧倒するパワー、優れた芸術性。陶酔と興奮が反復する16日間がやって来ます。
 フェスティバルのテーマは「身体とイメージ」です。それはこれまでの頭の中に描くイメージとは違って、リアルな感性的な動きと大脳または細胞記憶の呼び起こしから生じるイメージです。現実空間と仮想空間とが連合するサイバースペースはその影響を多分に受けており、現在アートの最先端を走りつつあるダンスムーブメントもまた、この〈現実と記憶とイメージ〉の関連を追っているからです。
(綜合ディレクター 及川廣信)


【参加アーティスト・団体】
9月1・2日 大野一雄・大野慶人 音楽:三宅榛名「花火の家の入り口で」(吉増剛造詩集より)
9月4日 ヒョンオク・キム(韓国)「イサン・ユンに捧ぐ」
9月5日 竹の内淳「じねん(自然)」
9月5日 D.D.D土井教義/井上摂「準宝石の沈黙のためのオブリガード3」
9月6日 矢上恵子/K★chamber company
Abstractな世界II「緻密に構成されたダンスに炸裂する魂」
9月7日 世界のダンス映像エキシビジョン ──身体とイメージ──
第1部「日本のダンス・舞踏の先駆者たち」
第2部「ポスト・モダンダンスの先駆者たち」
9月8・9日 「PANのアーティストたち」
9月11日 佐藤緑(ニューヨーク)「秋・風・動・舞」
9月12日 二見一幸「Dance Compagnie Kaleidoscope公演」
9月13日 ハンク・ブル(カナダ)&武井よしみち
「Distance」「欠伸─akubi'96─呼吸する言葉にかえて」
9月15・16日 イドー・タドモル・アンド・カンパニー(イスラエル)「TA(タア)」
(“TA”はヘブライ語で「細胞」ないしは「かご」を表す)

【ギャラリーΧ(カイ)】
9月1日〜16日 ダンスとイメージ展

【ワークショップ】
9月12日〜15日 佐藤緑アメリカン・モダンダンス・テクニック・ワークショップ
9月16日 イドー・タドモル スペシャル・ワークショップ


第2回シアターΧインターナショナル・ダンスフェスティバル[IDF]ポスター

1996年9月15〜16日
第2回シアターΧインターナショナル・ダンスフェスティバル
『TA』 イドー・タドモル・アンド・カンパニー(イスラエル)

第3回シアターΧカイ インターナショナル・ダンスフェスティバル'98
(1998年8月5日〜23日)
 International Dance Festival '98 in Theater X(cai)

主催:シアターΧカイ  第3回インターナショナル・ダンスフェスティバル'98実行委員会

  メインテーマ:「考える人と踊る人」

 各分野における第一人者の先駆的な思想や発想を核とし、自分の形式をもちつつも、なお常に変貌することを望んでいる舞踊家や舞踏家たちが、共に、作品創りの模索に挑む。
 21世紀を目前にひかえ、「今のまま」を少しでもズラし、変えてみることとなる新しいものを創る──試み。
 この企画はそんな思いから生まれました。

今、
このままの 地球で いいとは
このままの 社会で いいとは
このままの 人間で いいとは
誰も 考えられないでしょう。
── この 世界の現実を 直視したい、
直視した 芸術を 創出してみよう。


 肉体は本当に「表現」ということをすることができるのかどうか。
(郡司正勝)


【参加アーティスト×考える人】
8月5日〜7日 岩下徹×中村桂子(生命誌研究者)「そして生命(いのち)は…」
ラズ郎・ブレザー(カナダ)×西田敬一(国際サーカス村村長)「縄」
ヒョンオク・キム(韓国)×林美樹「裏庭」
8月14日〜16日 ズザンネ・キルヒナー(ドイツ)×三宅榛名(作曲家)「ペルガモン」
大野慶人×故郡司正勝(歌舞伎研究)「ドリアン・グレイの最後の肖像」
ケイ・タケイ×林昭男(建築家)「木」
8月21日〜23日 ラインヒルト・ホフマン(ドイツ)×及川廣信(舞台制作者)「ニーベルングの指輪」
折田克子×ダニエル・ネーグリン(アメリカ・振付、舞踊評論家)「誰か」
8月23日 シンポジウム  石井達朗×七字英輔×公演参加者

【ワークショップ】8月8・9日
ズザンネ・キルヒナー(ドイツ) 10:00〜12:00
ヒョンオク・キム(韓国) 13:00〜15:00
ダニエル・ネーグリン(アメリカ) 16:00〜18:00
ラインヒルト・ホフマン(ドイツ) 19:00〜21:00



第3回シアターΧインターナショナル・ダンスフェスティバル98[IDF]ポスター

1998年8月14日〜16日
シアターΧ第3回インターナショナル・ダンスフェスティバル98 
『ペルガモン』
出演:ズザンネ・キルヒナー×三宅榛名
(撮影:宮内勝)

第4回シアターΧカイ インターナショナル・ダンスフェスティバル2000
 The 4th International Dance Festival 2000 in Theater X(cai)
(2000年9月7日〜24日)
 主催:第4回シアターΧカイ インターナショナルダンス・フェスティバル2000(IDF)実行委員会

   そそのかす、培養す、踊鬼のDNA。

 〜シアトリカルなダンス〜
 メインテーマ:「中国の不思議な役人」
 メニヘルト・レンジェル原作 ベラ・バルトーク音楽


 20世紀のはじめ、ハンガリーのレンジェルという作家がパントマイムのために書いた小さな作品は、『ミラクル・マンダリン』『中国の不思議なマンダリン』『不思議な宦官』『中国の不思議な役人』……と世界中に大きな不思議を連鎖波及。ハンガリーの作曲家、バルトークの好奇心も加わり、過激なイメージへと。深まる謎のインスピレーションを花火とし、時代の転形期ゆえにこそ噴き出そうという試み。

 ダンス芸術にとって 最近のダンスの賑わいは、
 よろこばしいことばかりなのだろうか。
 芸術家にとっては どういうものだろうか。
 はやらないことを 憂れいていた 正気の実エネルギーが、
 脚光をあびるにしたがい反比例、虚してきてはいないだろうか。
 みてくれの、異色さ多様さ いっぱいは、
 商売の繁盛にしかつながりはしないものなのだから。


【参加アーティスト】
9月7日 1.ベッツィ・フィッシャー(アメリカ)「情動の踊り」
2.ケイ・タケイ(日本)「ライト・パート8」
3.張春祥(中国)「走辺」
4.ルイジア・リヴァ(フランス)「故障」
9月8日 1.南 貞鎬(韓国)「新婦」
2.イラナ・コーエン(イスラエル)「シャロームの祀り」
3.ラズ・ブレザー(カナダ)「ジグメスイーツ」(連作)
4.ヴィルピ・パハキネン(スウェーデン)「化石」
9月13日〜15日 1.ZERO TONE(公募作品)「無題」
2.茂山あきら+ケイ・タケイ「無題」
3.土取利行+イラナ・コーエン(イスラエル)「Yani Yana」
9月16・17日 1.佐藤健司[Atelier C.N.](公募作品)「3つの顔」
2.田村登留+有近真澄“www.SILVIE CRYSTAL.com”
3.西川箕乃助+ベッツィ・フィッシャー(アメリカ)「2 Emerge」
9月20日〜22日 1.櫻井郁也(公募作品)
 『「ザヴァイヴァ」あるいは、安息の戸を叩く愚者の踊り』
2.DANCE GROUP 86B210「かたよった頭部」
3.公募選抜出演者(大野慶人:基調指導+西田敬一:演出)「宴」
4.ホン・シンジャ+カンパニー(韓国)「無題」
9月23・24日 1.山田浩子(公募作品)「心と身体の分裂と統一、そして解体」
2.康本雅子+山崎美千代(公募作品)
 「その欲望、触れて詠んでみて食べて。」
3.公募選抜出演者(大野慶人:基調指導+西田敬一:演出)「宴」
4.張春祥(中国)+新潮劇院「宦官」

【ワークショップ】9月9・10日
ベッツィ・フィッシャー(アメリカ) 10:00〜11:45
ヴィルピ・パハキネン(スウェーデン) 12:00〜13:45
張春祥(中国) 14:00〜15:45
南 貞鎬(韓国) 16:00〜17:45
イラナ・コーエン(イスラエル) 18:00〜19:45
ルイジア・リヴァ(フランス) 14:00〜15:45

シアターΧ ワールド・シアトリカルダンス・セレブレーション 2000 in Kyoto
9月2日 京都府立府民ホール・アルティ
Aプロ 5ヵ国5人のソリストによる独舞
Bプロ 考える劇的舞踊(異分野コラボレーション)



第4回シアターΧインターナショナル・ダンスフェスティバル2000[IDF]ポスター

2000年9月7日
第4回シアターΧインターナショナル・ダンスフェスティバル2000
張春祥『走辺』
(撮影:宮内勝)

第5回シアターΧカイ 国際舞台芸術祭[IDTF2002]
(2002年9月3日〜20日)
 The 5th International Dance+Theater Festival 2002 at Theater X(cai)
 主催:第5回シアターΧ国際舞台芸術祭実行委員会

メインテーマ:「現実を抱きしめて」

今、美に起こっていること、
知に起こっていること、
世界に起こっていること、
友だちに起こっていること……
それらを私たち自身が
生きている現場から、
直視しましょう! 逃げないで、
非情に かついとおしみ、
抱きしめる。


【参加アーティストもしくは団体】
9月3日 1.大阪芸術大学舞踊コース「HAND IN HAND」
2.タカハシ カスミ「Temperature Palm」
1.ミチコ・ヤノ モダンバレエカンパニー
 「アクアの世界 ─生命(いのち)の旅人─」
9月4日 1.藤田祐美(DANCE PLACE)「カノン」
2.86B210「シンキロウ」
3.大岩としこ「空/Koo」
9月5・6日 1.シアターΧ芸術創造塾「宴・死・日常」
2.primate「ジョーの百科事典」
9月8日 1.古澤侑峯「葵上」
2.much in little DANCE「The One What We Want(part II)」
3.SUB ROSA「NONENAL」
4.The Ash Dance「ためらいのワルツ」
5.ラバンの庭「ever Forever」
9月10・11日 イスラエル現代実験演劇「野ねずみエイモス」(原題:“AMOS”)
9月13日 1.高間 彩「望生」
2.TOMOKO「JUNGLE HEARTS」
3.すまこ・こせき「Mme FUGUの回想」
9月14日 1.灰原明彦「この命抱きしめて」
2.佐々木満&ジェニファー・ブロス「森の中から」
9月16・17日 1.エレン・スチュアートのピープルシアター「People Theater」
9月18・19日 1.リナ・シェンフェルド「SWANS」
2.ラズ・ブレザー「『百の道』その六本目〈類は友を呼ぶ〉」
3.ケイ タケイ「根という名の鳥」
9月20日 大野一雄・大野慶人舞踏研究所
「わたしの舞踏“命”『かたちと心』」

第2回シアターΧカイ 国際舞台芸術祭 in Kyoto
9月14・15日 京都府立府民ホール・アルティ
イスラエル現代実験演劇「野ねずみエイモス」(原題:“AMOS”)


第5回シアターΧ国際舞台芸術祭[IDTF]ポスター

2002年9月16〜17日
第5回シアターΧ国際舞台芸術祭
エレン・スチュアートの『People Theater』
演出・総指揮:エレン・スチュアート(ニューヨーク・ラママ劇場)

第6回シアターΧカイ 国際舞台芸術祭2004
(2004年8月10日〜29日)
 The 6th International Dance+Theater Festival 2004 at Theater X
 主催:第6回シアターΧ国際舞台芸術祭実行委員会

メインテーマ:「仮面と身体」

 今年のテーマは「仮面と身体」。現代の対話を主としたリアリズムの演劇は、近代以後生まれてきたものです。では本来、演劇、ダンスも含めた舞台芸術において行われていたものはなんであったか、そしていま、なにを表現するべきなのか。その追求のひとつとして、今回は「仮面」を取り上げます。
 仮面劇はアジアの伝統的なものはよく知られていますし、ヨーロッパにもコメディア・デラルテのような伝統があります。京劇における派手な化粧も仮面の一種と考えることができるでしょう。仮面をつけることで言語や顔の表情による表現にたよらず、身体をより自由に使って、なにを、どのようにして表現できるのか。それを皆で創造していく中で、考えていきたいと思います。



『ファーレンハイム』(イスラエルから招聘 2004年8月10日・11日)

『ファーレンハイム』のプログラムより抜粋
第6回シアターΧカイ 国際舞台芸術祭[IDTF]2004参加作品
原作:シュムエル・ヨセフ・アグノン 脚色・舞台美術:エリット・ヴェベル
出演:エリアナ・シェフテル、オフェル・アムラム

 この『ファーレンハイム』を初めて観劇し、第6回シアターΧ国際舞台芸術祭(IDTF)の参加作品として招聘を決定した瞬間、すなわち2002年春、12月16日のテルアビブの夜の、その時同時に、今回のIDTFのメイン・テーマも「仮面と身体」と決まったといえる。
 原作の小説から上演テキストを思考しつつ、さらに、仮面を付加した演劇的言語への昇華作業を経て舞台に生きづかせて観せる────この『ファーレンハイム』は、小品ながらも形や枠にとらわれない斬新さを持っているという評価以上に、若いイスラエルの芸術家たちによる、人間というものの真実への鋭い、呵責なき探求の姿勢にこそ興味ぶかく心ひかれる作品なのである。

ファーレンハイムとは?

 両大戦のはざま、戦争から捕虜暮らし、という非人間的な数年を経て故郷の駅に降り立ったファーレンハイムを出迎える者はなかった。到着予定を知らせたのに妻の姿はなく、かつて馴染んでいたすべてが彼の思いを裏切ってよそよそしい。門番が、幼子は亡くなり、妻は義兄の別荘にいると教えてくれる・・。だが、義兄夫婦は妻に会わせたがらない。あげくに、山崩れの下敷きになった妻の元恋人が生還したと知らされる。
 そんなこと、あり得るだろうか? このすげない応対は何だろう? 相応しくなかった結婚とは? いったい、元恋人は存在するのか? かつての薔薇色の日々は幻想だったのか? それとも過酷な戦争で、彼自身が変わってしまったのか? 外界と内的世界のギャップが生じているのか?
 古代・中世の宗教文学的ミシュナー・ヘブライ語で語られる浦島太郎のような物語に込められた寓意とは? 難しいのです、これが。

 この夏、イスラエルからの招待公演が決まった仮面劇「ファーレンハイム」は多様な解釈が可能です。たぶん、原作者のアグノンが考えていた以上に。 アグノンは1888年、オーストリア・ハンガリー帝国のガリツィア(現在はポーランド領)に生まれました。ラビの家系ながら毛皮を商っていた父からはユダヤ教の寓話を聞き、家庭教師にはドイツ語とタルムードを、ブルジョワ育ちの母からはドイツ文学を、そして知らず知らずに啓蒙主義の文学やスカンジナビア文学を受け入れて育ちました。母語はイディッシュ。長じて、そのイディッシュの文才が認められてジャーナリストになりました。
 20世紀初頭の沸きたつような民族主義の気運に突き動かされて、アグノンは20歳でパレスチナに渡り、それまで彼の文学的基盤だったイディッシュを捨てて、ヘブライ語のみの創作に移ります。
 神秘主義的で幻想的な伝説や民話。カフカ的不条理の世界を描いた短編。パレスチナの新天地に夢を抱く者たちの誤解や挫折をリアリズムに徹して問いかけた作品。アグノンは、かなり幅広いジャンルの作品をつぎつぎ世に問いました。彼の作品には、ユダヤ民族に限定されない、人間の持つ本質的な懐疑や憧憬、葛藤や不安がリアルに表出されています。
 1966年にはノーベル賞受賞。受賞スピーチをアグノンは、ドイツ語を流暢に話し、英語もかなりの程度に話せたにもかかわらず、自らの文学の拠ってたつヘブライ語でおこないました。アグノンの真骨頂でした。
母袋夏生(ヘブライ文学翻訳家)


【参加アーティストもしくは団体】
8月10・11日 イスラエルの仮面劇「ファーレンハイム」
8月12・13日 井田邦明(イタリア)「人間喜劇」
8月14・15日 劇団ウバック(フランス)「ラバ ─向こう側─」
8月16日 イトー・ターリ「虹色の人々」
8月18日 1.浮雲四人衆「恋歌共響」
2.Idumi Dance Theater「一千一本のナイフ」
3.TRASH「if we listen well,the dead will speak No.4」
4.高間グループ「嬉神」
8月20日 1.the CRAZY ANGEL COMPANY「the body」
2.武藤容子「Sooner or later」
3.C-Pickorange「Ritual」
4.谷よう子「Body Mask ─仮姿─」
8月21・22日 デフ・パペット シアターひとみ「わんぱくスサノオの大蛇退治」
8月26日〜29日 シアターΧ IDTF実行委員会制作 「へいせいのIEMON」

【シンポジウム】
9月2日 京都府立府民ホール・アルティ
8月11日 遠藤啄郎×宇野小四郎×エリット・ヴェベル(シアターX)

【同時開催展覧会】
8月10日〜29日 片岡昌『mask mask』 シアターΧ劇場ロビー



第6回シアターΧ国際舞台芸術祭[IDTF]ポスター

2004年8月10日・11日
第6回シアターΧ国際舞台芸術祭
『ファーレンハイム』(イスラエルの仮面劇)
(撮影:コスガデスガ)

第7回シアターΧカイ 国際舞台芸術祭
(2006年8月25日〜9月18日)
 The 7th International Dance+Theater Festival[IDTF] 2006
 主催:シアターΧ IDTF実行委員会

メインテーマ:「幽色霊気(ゆうしょくれいき)
       ─ Phantom Love Energy Spirit」

【参加アーティストもしくは団体】
8月25日 能楽座+回向院+シアターΧ 能「原爆忌」
8月26日 1.サラ・ロドヴィッチ他(ポーランド) 演劇「エリザベート」
2.武藤容子(公募・東京) 舞踊「コ・ン・セ・キ」
3.松浦昭洋(公募・さいたま) アートジャグリング「宙舞」
8月28・29日 人形劇団ひとみ座+横浜ボートシアター(神奈川)
 人形+仮面劇「水と砂それぞれの物語」
8月31日 1.リゾーム・プロダクション(カナダ)
 パフォーマンス「コマチ・バリエーション」
2.野々村明子DANCE SPACE GYMNASIUM(愛知)
 舞踊「ユメ見るオモイ」
3.幸内未帆(公募・東京) 舞踊「ふわふわLADYBUG」
9月2日 1.く☆す芝居(松山) 演劇「この道はいつか来た道」
2.ミチコ・ヤノモダン バレエ カンパニー(東京)
 舞踊「命の交叉点」
9月3日 1.花柳輔礼乃(東京) 日本舞踊「ねこ」
2.ミチコ・ヤノモダン バレエ カンパニー(東京)
 舞踊「命の交叉点」
9月6日〜9日 IDTF実行委員会
演劇舞踊「へいせいの田楽──平家女護島──をかぶく」
9月10日 1.カムパニーSUMAKO(フランス)
 舞踏「ジョウドウテキフクゴウタイ」
2.佐々木満(ドイツ) 舞踊「フリーダ・カーロ」
9月12日 1.倉知外子+オクダ モダンダンス クラスター(名古屋)
「相聞(そうもん)」
2.神雄二DANCE MISSION(公募) 演劇舞踊「昇華」
9月14日 1.武井よしみち+ブルーボウルカンパニー(東京)
 パフォーマンス「I wish you were here'06」
2.ダメじゃん小出(東京) 時事コント「?!」
3.山田いづみ(大阪) 舞踊「片むすび─幽色の気配─」
9月16日〜18日 IDTF実行委員会 舞踊「踊る妖精 黒塚伝説の姥(おんな)たち」
作舞・ソロ:アキコ・カンダ、折田克子、石黒節子、竹屋啓子、ケイタケイ



第7回シアターΧ国際舞台芸術祭[IDTF]ポスター

2006年9月6日〜9日
第7回シアターΧ国際舞台芸術祭
演劇舞踊『へいせいの田楽─平家女護島─をかぶく』
原作:近松門左衛門
演出・台本:西田敬一
出演:若松美黄、エムザブロウ ケイタケイ 他
(撮影:コスガデスガ)

第8回シアターΧカイ 国際舞台芸術祭IDTF08
(2008年8月22日〜9月23日)
 International Dance+Theater Festival[IDTF] 08
 主催:シアターΧ IDTF実行委員会

 虚実皮膜の ゆめの思いか うつつの思いか
 を「見世物」とする。そんな ド偏向なパッションで
 「かぶく」族が集うIDTF8年目。

 今年メイン・テーマは「宙吊りの彷徨」
(注釈=日和見と逃避への自己確認)

 「世の今の、このバランスに危機を感じ、変じてみよう! そんな狂気な舞台に命をかけることこそ本来のプロ」…とは、かつて第3回(IDTF)に『遺稿/ドリアン・グレイの最後の肖像』で参加された郡司正勝先生(1998.4.15没)が、演じた大野慶人さんはじめ舞台のプロフェッショナルたちにむけられた告別の辞。


【参加アーティストもしくは団体】
8月22日〜24日 子供と一緒に おとなも愉しめる本格オペラ(日・独共同)
 オペラ「あえて、小さな『魔笛』」
8月25日 入野智江ターラ(インド)
 演劇 南インドに古くから伝わるひとり芝居「ナンギャールクートゥ」
8月28日 1.ココ●テン(東京) 舞踊「flower moving」
2.AMM(岩国) 舞踊「Rose of Jericho」
3.工藤丈輝(東京) 舞踏「白蚕妃傳」
8月30日 ミチコ・ヤノモダン バレエ カンパニー(東京)
 舞踊「続・アクアの世界」
8月31日 1.ふくろこうじ(東京) クラウン「七転ばった」
2.新城彰ひとり芝居(東京)
 演劇「深川あたり〜毒婦伝 夜嵐お絹異聞〜」
3.武井よしみち+ブルーボウル・カンパニー(東京)
 パフォーマンス「都市の振動情報」
9月1・2日 劇団らせん舘(ドイツ)
 演劇「出島〜日本の中のヨーロッパ都市〜」
9月4日 1.竹之下亮(熊本) 舞踊「PUー」
2.山本裕(東京) 舞踊「VERY SWEET ! 〜孤独な肉〜」
3.横田百合子+佳奈子(仙台)
 舞踊「いのち ─communication─ 生あるものとの対話」
4.仲野恵子+藤間宗園(千葉) 舞踊「偶然待ち」
9月6日 及川廣信〔アートは症状である〕(東京)
 舞踊「“花と紛争”の二元対立からはじまるパラノイア的構想」
9月7日 タマンドゥア・シアターダンス・カンパニー(ブラジル)
 舞踏「『白昼夢』天使が飛んでゆく」
9月9日 1.河合拓始+紙田昇(東京)
 パフォーマンス「ピアノシアター 狂気への十番勝負」
2.金魚(鈴木ユキオ)(神奈川) コンテンポラリー「言葉の先」
3.山路瑠美子(東京)
 バレエ「魔法にかけられた湖 湖の底には何が眠っている…」
9月13〜15日 シアターΧプロデュース(東京)
 演劇「小栗判官・照手姫」その一
9月16日 クロード・シルサルチック(ポーランド)
 演劇「モリエール作『ドン・ジュアン』より 4つの愛の章」
9月17・18日 バリ芸能研究所(インドネシア)
 舞踊「ジョゲッ・ピンギタン Joged Pingitan」
9月21日〜23日 シアターΧプロデュース
 舞踊「五つ葉の 踊る妖精 阿国のメタモルフォーゼ」
 作舞・ソロ:ケイタケイ、ヨネヤマママコ、美加里、竹屋啓子、折田克子


【はみ出し企画】
7月31日〜8月8日 イスラエルの演出家 ルティ・カネルの
「俳優のためのマスタークラス'08」(テーマ:夢)
8月8日 「マスタークラス'08」公開発表

第8回シアターΧ国際舞台芸術祭[IDTF]ポスター

2008年9月1日
第8回シアターΧ国際舞台芸術祭
劇団らせん舘(ドイツ)『出島』
作:多和田葉子 演出:嶋田三朗
(撮影:コスガデスガ)

第9回シアターΧカイ国際舞台芸術祭IDTF2010
チェーホフ生誕150年記念

(2010年6月1日〜7月4日)
 the 9th International Dance&Theater Festival 2010 at TheaterX
 主催:IDTF2010実行委員会+シアターΧ

 A.チェーホフさん と いっしょに
 世界同時のいま、を超える

 メイン・テーマは「チェーホフの鍵」

■6月1日から7月4日にかけ1ヵ月以上にわたる第9回シアターΧカイ国際舞台芸術祭IDTF2010が、チェーホフ生誕150年記念、メインテーマ「チェーホフの鍵」とし開催され、6月1日から10日まではロシア・サンクトペテルブルクからB.D.T(ボリショイドラマ劇場)『小犬を連れた奥さん』、モスクワからエトセトラ劇場の名優カリャーギンらによる『人物たち』、韓国・仁川からMIRレパートリーシアター『アンクル・ワーニャ』、アメリカ・シアトルから『プロポーズ』などの海外参加を中心に、6日と10日には各国の芸術家、研究者、舞台関係者によるアートコンファレンス(詳細は別冊)も行われた。
6月13日から29日までは演劇、ダンス、パフォーマンスなどの公募作品(毎回2〜4作品を同時上演)による舞台が続いた。公募作品上演後は、毎回多数の聴衆が参加してのアフタートークそして最後は、恒例のIDTF実行委員会自主企画、ベテランのダンサーたちによって競われる『踊る妖精2010 六羽のソロ』 テーマ『かもめ』がフェスティバルの掉尾を飾った。

【参加アーティストもしくは団体】
《ロシア・韓国・アメリカなどから参加えての10日間》

6月1日 オープン・ガラ・パフォーマンス アメリカ・シアトル・ノーヴイ・シアター『プロポーズ』演劇
『四人舞』ソロダンス
6月2日 だるま座『かもめ』
6月3日 MIR レパートリー シアター[韓国・仁川]『アンクル・ワーニャ』
6月5日 B.D.T [ロシア・サンクトペテルブルク]『小犬を連れた奥さん』
6月6日 プラスティカ(舞台動作)による『箱に入った男』
+IDTF アートコンファレンス1
6月7日 東京ノーヴイ・レパートリーシアター『三人姉妹』
6月8日 ちぇほふ寄席
6月9日 エトセトラ劇場[ロシア・モスクワ]『人物たち』
6月10日 エトセトラ劇場[ロシア・モスクワ]『人物たち』
+IDTF アートコンファレンス2


《公募作品とアフタートークの17日間》
6月13日 1.COLONCH『嗚呼、すばらしき日々』
2.佐藤雅惠『かもめのニーナ』
3.AMM『幻日』
4.グループf『少し南へ』
6月15日 1.かもめマシーン『かもめ/マシーン』
2.杉田丈作&すまこ・こせき『MC,MC(マイ・チェホフ&マイ・コメデアン)』
6月17日 1.レゾナンツ・ドラーマ・コレクティーフ『ムッシーナ.イ.ジェンシナ』
2.ミライノイズミ『六号室の鍵』
3.un-pa『箱に入った男』
6月20日 1.上野紗来、竹江みゆき、藤澤由佳、蒲原渚『三人姉妹』
2.渡辺雅子フラメンコスタジオラコンチャ『恋文』
4.4RUDE『桜禍論』
6月22日 1.劇団TAG『結婚申しこみ ── 三河弁版』
2.そとそ『桜の園 最終章より抜粋〜フィールスの心象〜』
3.遊&弓大郎『想い出の迷宮 〜チェーホフ短編小説「たわむれ」より〜』
6月24日 1.劇団ING進行形『かもめ〜断章〜』
2.石川弘美『白鳥の歌』
3.旗野由記子『翔─マイ・チェーホフへの手紙』
6月25日 IDTFセミナー ラテンアメリカの演劇について 里見実
6月27日 1.ミチコ・ヤノ・モダンバレエカンパニー『かもめに託されたチェーホフの遺言』
2.武井よしみち+ブルーボウルカンパニー『チェホフの足』
6月29日 1.ManamIdumi Dance Theater『鏡から鏡へ』
2.ダメじゃん小出『さかな』
3.chairoiPURIN×バベルの塔『熊』
4.短編喜劇映画『ドラマ』上映


《シアターΧIDTF実行委員会自主企画》
7月2日・3日・4日 踊る妖精2010 六羽のソロ『かもめ』

第9回シアターΧ国際舞台芸術祭2010ポスター

2010年6月9・10日
第9回シアターΧ国際舞台芸術祭
エトセトラ劇場[モスクワ]『人物たち』のアレクサンドル・カリャーギン

2010年6月17日
第9回シアターΧ国際舞台芸術祭
ミライノイズミ『六号室の鍵』

高瀬アキ+多和田葉子パフォーマンス

朝日新聞夕刊の掲載記事より抜粋 2001年8月16日
『ピアノのかもめ/声のかもめ』

Around the World ことばの垣根越える詩とピアノ

 耳慣れた言葉がピアノの音色に乗って非日常性を帯びて踊り出す。ドイツで活躍する小説家、多和田葉子とジャズピアニスト、高瀬アキによる「朗読とピアノのパフォーマンス」。ことばの垣根を越えた音と言葉の刺激が聴衆を魅了する。ドイツ各地の公演は好評で、9月には日本公演(2001年9月1日 シアターΧ)も予定されている。
 「まくらするならだれもいないで/夜泣きするまくら/知らないスリッパ/朝起きるのがつらいんで/犬の遠ぼえがまねしてるのが/やかん/熱湯」
 多和田の朗読する時に、高瀬のピアノが韻をふむようにからむ。ドイツ語の詩を中心に日本語の詩も。日常的な言葉と比ゆ、言葉遊びが、高瀬の甲高く叫ぶようなピアノの音に乗って、さらに透明感を増す。
 2年ほど前、多和田の朗読を聴いた高瀬がひらめいた。「詩も面白いが、感情移入しない平坦な読み方がいい。ピアノに融合できる」
 時には2人で板をたたいたり、乾燥したパンをリズミカルに削ったりしながらの朗読も。日本語を話さないドイツ人もジャズを聴くようにスイングしながら耳を傾けていた。
(ベルリン=古山順一)



朝日新聞の掲載記事より抜粋 2004年9月30日
高瀬アキ+多和田葉子パフォーマンス『ピアノのかもめ/声のかもめ』

自分なりの答えを探し 死後100年 様々なチェーホフ

 作家の多和田葉子さんはチェーホフの言葉と遊んだ。21日に東京・両国のシアターΧカイ でピアニストの高瀬アキさんと上演した「ピアノのかもめ/声のかもめ」。ピアノと言葉のジャムセッションか、掛け合い漫才にも似た応酬に客席から笑い声が絶えない。戯曲をあえて直訳し、語順も変える。ラップの語り口で意味を解体する。日独両国語で小説を書く作家らしい軽やかな言葉パフォーマンス。チェーホフずらしの「アイデア集」(多和田さん)だ。企画した同劇場の上田美佐子さんは「チェーホフが今生きていたら、きっと喜ぶ」と笑った。



読売新聞「緩話急題」の掲載記事より抜粋 2007年11月13日
高瀬アキ+多和田葉子パフォーマンス『飛魂 I』(2007年11月3日)

女性たちの反時代的発想 電子時代に活きた言葉を

 ドイツ批評家レコード賞を5回も受賞したジャズピアニスト、高瀬アキ。芥川賞、谷崎賞ばかりかドイツのゲーテ賞まで獲得した作家の多和田葉子。
 ベルリンを拠点に国際的な活躍を続けるふたりは、1999年以来、音楽と朗読のパフォーマンスを毎年日本で重ねる。今秋も東京・両国のシアターΧカイ などで公演を行った。
 …図鑑と時間の間に入っていく…語って砕けろ! …未来の実はこんな音…
 意味を手放すギリギリ、なのに豊かにイメージが立ちのぼる詩や小説の断片が発せられるや、ピアノと鬼ごっこを始める。変幻するライトの中で言葉と音がしばし戯れ、乱舞する。電子の時代と競合する鋭い響きも、やがて悠久の余韻に変わる。
 忘れかけていた何かがそこにあった。全体を支えるイメージは、多和田作の小説『飛魂』(1998年刊)による。東洋の森の奥深くで書を読解する、いにしえの女たちの修業の日々を幻想的に描いた同作は、前世紀末の隠れた傑作である。
 高瀬氏が「音を生み出す力を持つ」と絶賛するこの小説を、多和田氏は「表意文字の漢字文化がなまなましく蘇る瞬間をつかまえようと、2Bの鉛筆で一文字ずつ書く快感から出発した」という。これこそ私たちが思い出すべき感触かも知れない。
(文化部 尾崎真理子)

チェーホフ演劇祭40日間番外編
2001年9月1日
多和田葉子+高瀬アキ『ピアノのかもめ/声のかもめ』(毎年、晩秋のカバレットシリーズとして継続上演)

第10回シアターΧ 晩秋のカバレット2011 Special
『菌じられた遊び』 多和田葉子〔朗読〕+高瀬アキ〔ピアノ〕
(2011年11月20日)

 作家の多和田葉子が自作の詩を朗読し、高瀬アキが即興のピアノ演奏で対話する。ベルリン在住の二人が飛来、年に1日のたった1ステージのみのパフォーマンス。シアターΧ恒例「晩秋のカバレットシリーズ」は今回で10回目。パフォーマンス後の劇場内でのトークセッションでは、今回のタイトルの「菌」(=放射性物質)をめぐり出演者二人に対して、満員の観客から率直な意見や問いが投げかけられた。以下、トークセッションの模様を抜粋して掲載する。

日本を無視できない思い

ポーランド人女性 今年は震災や福島の原発事故がありました。こういう年であるからこそ、日本に対する気持ち、例えば愛国心だとか、今まで気づかなかったこととか、新たな思いを発見したということはありませんか?
多和田葉子 私は愛国心なんてあまり好きじゃなくて、本心ではあの震災の日まではどの国も同じくらい好きだったんです。あの日以降日本に関して「これでいいんだ」と思っていたことはかなり間違っていたことが解った。日本に対する一種の責任というか、ほっておけない感じというか。日本はたくさんある国のひとつという感じではなくなった。自分の中に日本を無視できない気持ちが湧いてきて、自分自身でも驚いたんです。私は本当に愛国心を持っていないんですけど、それでもそういう気持ちが湧いたんです。
男性A 3月11日の地震の時、お二人は共にドイツにいらしてあの揺れを体験されていません。あの地震をどう引き受けられているのですか?
多和田 今回の地震は長く揺れたということで、その揺れの中で意識変革が起こった人もいるんじゃないのかと思います。ただ、東京の人も津波は体験していないわけで、関西では地震もなかった。それに比べてドイツの人たちは遠いからというか、遠いにもかかわらずものすごくショックを受けました。ドイツの人たちは関西の人たちよりショックを受けて、3ヵ月後にはドイツの政治が脱原発を決めるほど変わったわけですよね。実際に体験した人たちとは違う質だったんじゃないのかと思います。
高瀬アキ 遠くに住んでいるということはより心配になるんですよ。それからドイツという国は日本が大好きなんだと思いますね。私はベルリンにいて揺れを経験していないけれど、多分日本にいる人たちよりももっと大きな心配を持っていたような気がします。

東北と関東に引かれた線

女性A 私は福島に身内のいる者です。私の中には疑問があります。それは福島の原発事故による汚染の危険性について地域によって日本人は線を引くんですね。例えば、原発事故を経験している福島の中でも会津の人が「私たちは浜通りとは違う」と線を引いたりする。関東でも「東京は大丈夫」と線を引く。私は自分たちを守ろうとする自己防衛機能をすごく感じます。そうやって線を引くことで T他人事Uにしている気がするんですね。
 それで質問なんですが、昔の日本人なら災害が起こって被害を受ければ、互いに分け合うことで引き受けていたと想像するのですが?
多和田 それはすごく複雑な問題ですが、ここでは二つのことだけ話します。一つは、このパフォーマンスで私が朗読した「不死の島」の中にも書いたように、世界中の人たちも線を引く考え方を持っているかもしれない。もしかしたら福島の人たちだけじゃなくて、日本からの入国を認めなくなるかもしれない。そういう視点で書いたなら、日本の中で福島だけ排除したって仕様がないというメッセージにならないかなという気持ちがありました。
 もう一つは、本当に昔の日本では線を引くようなことをしていなくて、この災害が起きてから線を引くようになったんでしょうか。福島での原子力発電所の事故が起こるまで私たちは意識をしていなかったけれども、もしかしたらある意味で東北が犠牲になって、東北と関東という線が引かれているかもしれない。なぜなら東北にある原発の発電する電気で東京の明かりが点いているっておかしいじゃないですか。
 でも、原発が壊れて機能しなくなった途端に「穢れ」という形で線を引くんですけど、事故が起こる前から線は引かれていたんじゃないのか。そういう構造があったんじゃないのか。初めてそう考えるようになったんです。私だけでなくて、今東北や関東の歴史を考えるという視点がたくさん出てきたのはそういうことだと思います。

『菌じられた遊び』 多和田葉子(左)と高瀬アキ

本来日本語は曖昧ではない

男性B 日本人の中には放射能がちょっとでもあると怖いという人もいれば、全然怖くないという人もいます。メディアも意見が分かれていますが、ドイツではどう報道されて、市民の人たちはどう考えているのですか?
多和田 ドイツでも専門家の意見が分かれていないわけではありません。ドイツのマスコミも原発の危険ばかりを強調して報道していたわけではなくて、いろいろな情報が流れていた。それでも一目瞭然で「原発は危ないから止めた方がいい」ということになった。
 今回、私はこのパフォーマンスのテキストを書きながら考えたことがいくつかありました。一つは、日本人はそもそも「死」や「病」と共に生きているんだ。生きるということは、そこに死があって病があって、だから日本人はあまり死が怖くないんです。だから死を呼び寄せるものがあってもいいじゃないかと思ってしまうところがある。それにはいい面もある。死は絶対に逃れられることができないし、排除すべきものではないから。日本人のように生きていた方が長生きできるかもしれないという面がある。
 でも、放射性物質に関しては、それは現にそこにあるわけですよね。日本人の場合は、そこにあるにも関わらず「量は少ないじゃないか」「放射性物質があっても長生きできるんじゃないのか」とかなんとなく建前という感じで、それほど不安にならずに生きていくことができてしまう。そういうことが、日本の文化の中にも言語の中にも含まれていると思うんです。
 ドイツ語で放射性物質の話をすると「それは危険だから原発は止めなければいけない」ということがハッキリするような気がする。文化と言語からみて、日本とドイツで全然違う結論が出てくるというのはどういうことなのだろうか。そのことを今も考え続けているんです。
高瀬 ドイツ人は白黒つけたいというところがあるんじゃないですか?
多和田 それから、ドイツでは普通の人の考えていることが、すぐに政治に届くということがある。普通の人の原発を止めようという考えが3ヵ月後には政治の場に届いて、原発を止めることになった。ドイツ人たちはそれを知っているから大声で言う。日本の場合は絶対にそうならないから、そこも違う。日本人一人一人が曖昧なわけじゃないけど……。
高瀬 でも、日本人は言葉で伝えると曖昧になりやすいでしょ。
多和田 日本ではどういう言葉で言えばいいのか分からないし、だから日本人は曖昧に思えるけど、私は決して日本語が曖昧な言語だとは思っていないし、日本人が曖昧だとも思っていないんです。それは一種の文化の構造です。
高瀬 日本語の曖昧さのよさってあるじゃないですか。
多和田 でも、私が言いたいことは日本語でもハッキリ言えると思います。ドイツ語と同じくらい。ドイツ語で言えて日本語でハッキリ言えないことなんてない。

人文的、精神的な文化の欠如

女性C 日本人は見えないものを大切にするところがあると思います。相手との関係をよくするために見えないものを内面に持つことは日本人のいいところだと思います。今回白黒つけなければいけないというイメージのあるドイツ人が、事故を体験したわけでもないのに目に見えない放射能を怖れて原発を止めることにしたのは、逆に不思議な矛盾を感じます。
多和田 ドイツ人にとっては放射能が見えないことが問題なんじゃなくて、ドイツで盛んである物理学として考えたなら、原発は危険なことは明らかだから止めることを決めたわけです。同情という人間的な面だけで原発を止めることを決めたわけじゃなくて、ドイツ人の根底に物理学が解らなくても、原発は危ないものだと誰にでも理解できる形で浸透していったんだと思います。
 日本のいいところと言われましたが、今日本は鎖国をしているわけじゃなくて、ずっと昔に鎖国は止めている。その時に自然科学やいろいろなものを外から受け入れているわけですよね。日本が昔の日本のままでいいんなら、自然科学のようなものは全部受け入れない。そうして江戸時代のままやっていくのならそれはいいと思うんです。でも、今の日本は世界中のものが混じり合ってできているわけじゃないですか。その中で原子炉も造ったわけじゃないですか。けれども、そういうものを持つために必要なディスカッションの伝統とか、疑問の持ち方とか、批判精神とか、そういう人文的なものを入れないで原子炉だけ、技術だけ入れてしまったら危ないじゃないですか。
 日本人のいいところだけで原子炉が運営できますか? 私の提案として、原子炉のようなものを入れるのを止めて江戸時代に還るのが第一案。私はそれがいいなと思うんです。そうじゃなくて原子炉のようなものを入れてしまうなら、それを運営していく上で必要な人文的な、精神的な文化が必要だと思うんですね。その中には自分の考えを論理的に発言するとか、相手に質問するとか、目上の人を批判するとか。いろいろな要素がないまま原子炉を造る技術だけ持ってしまうと危ないと思う。そういうことなんですね。

多和田葉子:作家、ベルリンに在住し世界中で活躍、ドイツ語と日本語で執筆。自作朗読の会は世界中で800回を越える。シアターΧでは2010年11 月書き下ろし戯曲『さくら の その にっぽん』など公演多数。

高瀬アキ:ピアニスト、作曲家。ベルリン在住。ドイツ批評家レコード賞8回。ベルリン新聞文化批評家賞など。日本でもダンスカンパニーのアンサンブル・ゾネ(神戸)の音楽を担当。

『菌じられた遊び』トークセッション風景(劇場内にて)

このページのトップへ