シンポジウム・対談の記録

示唆にとみ、多くの発見の場としての芸術家たちによるシンポジウム。芸術家たちの声に、もう一度耳を傾けてみたい。時代の羅針盤を模索しつづける姿勢に共振。
(掲載記事についてのお問い合せはシアターΧまで)

イエジ・グロトフスキ氏を偲ぶ集い
(1999年4月16日)

ポーランド共和国大使館+シアターΧ共催

 先駆的な業績で世界の現代演劇に画期的な役割をはたしたポーランドの演出家・演劇研究家イエジ・グロトフスキが、99年1月14日、イタリアのポンテデラの自宅で亡くなった。シアターΧでは、この偉大な演劇家が生涯かけて追求してきたことを忘れず、継承していくためにも緊急にこの偲ぶ会を開催した。出席者は、実際にグロトフスキの演劇実験室で演劇指導を受けたり、グロトフスキ本人と演劇について語り合ったという非常に貴重な体験をした方々である。グロトフスキは何を目指していたかのか、自らの体験をふまえて真摯な語り合いが交わされた。その発言の一部を紹介する。


故・観世榮夫(能楽師。70年代グロトフスキに招かれて、ポーランドのシンポジウムに参加。)
 70年代、ワルシャワでシンポジウムがあった時、「なぜ、グロトフスキは宗教の司祭みたいになってきたのか、もっと演劇の世界で仕事をしてもらわなきゃ困るじゃないか」と誰かが彼(グロトフスキ)に言ったら、グロトフスキは「これが私の演劇です」と言われた。そのことは非常にはっきり覚えています。
 だからグロトフスキの中ではそれが中心の問題になっていて、そうしなければ先の演劇に行けなかったんじゃないのかということを、傍にいて私は強く感じました。その時彼は「私はいま東へ向かって旅立つというお芝居を考えているんだ」とも言われた。グロトフスキの中では非常に具体的に次ぎへの動き出しとして、何かがあったんじゃないのかと思いますね。


ヤドヴィガ・ロドヴィッチ(ポーランド共和国駐日大使/元ガルジェニツェ演劇実験センター女優。学生時代にグロトフスキと出会い、その演劇に衝撃を受ける。)
 俳優たちに彼が求めていたのは偽りの演技ではなくて人間としての真実。人間の表面を剥き出して、まるで生け贄みたいにお客さんに捧げるという感じがあったんです。
 俳優たちがよく話しをしていた彼の言葉が二つあります。一つは「信じなさい」、もう一つは「信じます」。何度も同じ場面の稽古をしても、彼はただ座って見ている。そしてひとこと「信じません」と言ったら、何時間でも半日でも徹夜してでも同じ場面を繰り返しました。やがてみんなが疲れ果ててしまうと、真実が見えてくるんです。それはもう奇跡的です。ほかの演劇の姿に、彼は一切興味がありませんでした。自分を面白く見せるとか、そういうことは本当の演劇ではないですね。演劇そのものは人間関係ですから。


霜田千代磨(武道家/北海道ポーランド文化協会会長、グロトフスキの演劇実験室で指導を受ける。)
 (グロトフスキは)人間として生きることの意味を追求したと思います。それは単なる哲学的な思索の上だけでなくて、役者という肉体を通して演じるものと観客、つまり演劇というものと人びと、そういう境界が外れてひとつの生命としての人間が生きている。命の本源といいますか、それを内向的に追求してゆくような方向で70年代をずっとやって来たんじゃないかと思います。


土取利行(パーカショニスト/ピーター・ブルック国際劇団音楽監督、グロトフスキの演劇実験室で指導を受ける。)
 グロトフスキとピーター・ブルックは僕の中で結ばれていて、両者に共通しているのは人間の探求者ということです。人間の可能性をどこまで未来に向かって追求できるかということを、彼らは演劇を通して提示してくれたんです。それを一人ひとりが理解して自分の中で、真剣に分析して、まさに自分の中に実験室をもちながら、演劇とは何かという問い掛けをしないかぎり、日本の演劇はないだろうし、世界の演劇もその問い掛けがないかぎり駄目だと思うんです。


ロジャー・パルバース(作家/劇作家/演出家/東京工業大学教授、66年、ポーランドで「不屈の王子」を観て以来、グロトフスキに大きな影響を受けている。)
 グロトフスキが最初に探していたのは形ですね。西洋でいうジェスチャー。ただ、だんだんそれだけでは不十分だと考えた。人間に戻らないと、人間のジェスチャーの根源的な動きとか、動機、そしてリズムはどこにあるのかということを理解してから、形を作らないとだめだと。

イエジ・グロトフスキ
1933年8月〜1999年1月、ポーランド生まれ。先駆的な業績で世界の現代演劇に画期的な役割を果たした演出家・演劇研究家。主な舞台として『不屈の王子』『姿態をもった黙示』など。主な著作に『実験演劇──持たざる演劇をめざして』など。

会場風景
右からヤドヴィガ・ロドヴィッチ、霜田千代麿、土取利行、故・観世榮夫、ロジャー・パルバース(司会)。

「カリャーギンの演劇セミナー」の記録
(2001年12月2日)

「シアターΧ(カイ)チェーホフ演劇祭40日間2001」参加作品
モスクワ・エト セトラ劇場『人物たち』
脚色・演出・出演のアレクサンドル・カリャーギンによるセミナー

「ロシアにおける俳優教育」

 わたしは、いままで二つのクラスを持ちました。経験ある俳優は、必ず教えなければなりません。まず第一に、それは若い頃を思い出す、ということであり、また自分自身の欠点に気づく、ということでもあり、それに単純にいっても、それは若い人たちと接する機会である、ということでもあるのです。人生に対する感覚というものを忘れない、ということです。それはどういうことかというと、若い人たちがもっている、世間ずれしていない感覚、羽目を外そうとする感覚を、年を重ねても忘れない、ということです。

 わたしが思いますに、教育の現場においては、先生が生徒を教えるのではなく、むしろ生徒の方が先生たちを教えているのです。オストロフスキーやゴーゴリの時代の俳優たちには、教育というものはありませんでした。彼らは、若い頃には、舞台裏から芝居を見ながら、勉強したのです。彼らは、人間の持っている感覚のすべて、5つか、6つか、いまではそれは10も20もあるといわれていますが、それらをすべて用いて学んだのです。

 俳優術は、つきつめていえば、どんな人でも修得することができます。しかし、人間の人格、個性、芸術に対する特別な見方というものを教えるのは、困難なことです。ロシアの演劇学校においてはいうならば、この芸術家としてのアイデンティティー、芸術家としての主体性というものが、最も大切なものと考えられてきました。俳優が舞台の上で台詞をきれいに話す、というだけではなくて、一社会人としても舞台の上で役の人物を生きながら台詞を話す。表面的にだけ演ずるということではなくて、内面から演ずる。私たちの学校においては、主体性を育てる、ということが最も重要です。もっとも、最近では多くの時間を技術的なものに費やしています。ダンスや、舞台上での様々な所作の訓練などです。これらはすべて大切なことです。しかし最も重要なことは、あくまで芸術家としての主体性を育てる、ということなのです。

 もう一度強調したいのですが、ロシアの演劇学校の考えでは、いまお話しした技術的なことを修得しただけでは、一人前の俳優とは見なされません。一人前になるのには、授業で取り組んでいる役に向かっての辛く苦しい経験を経てからなのです。教師はそれをそばで見守りながら、その苦しい経験を方向づけていくのです。生徒は教師からの様々な質問について考えます。その質問については、ご説明しますが、生徒はそれらの質問について考えたことは忘れてしまうかもしれませんが、しかし、それは自分の血の中で生き続けるのです。俳優にとっての戒律というものがあって、はじめはそれを頭で理解し、年月を経て、それがだんだん自分の血となるのです。教師は、それらの戒律、というものを、口に出しては言わないかもしれません。しかし、生徒に対して質問します。それは宇宙のような、最も大きなことからはじめて、そして最も細かくて具体的なことで終わります。俳優というものは、これらの質問を、生涯自分に対して、問い続けなければなりません。
 その質問とは、どんなものかといいますと、「一体、あなたは何のために生きているのか? あなたは何のために、今日という日を生きているのか? 何のためにその役を演ずるのか? 何のために舞台に上がるのか? 今日、何を言いたいのか? その台詞で何を言いたいのか? そのミザンスツェーナで、何を言いたいのか?」

 いまわたしは、大きなものからはじめて、細かい具体的なことで終わりました。これらの質問は、俳優は生涯、自分に問い続けなければなりません。宇宙のような事からはじめて、あるいは「何のために生きているのか?」ということからはじめて、「何のためにその言葉を発するのか?」ということで終わるのです。
 わたしたち教師というのは、それを口に出して言わない場合でも、実際にはこのようにして教えているのです。「自分に対してどのように質問すべきか?」ということをです。よい教師というのは、生徒に対して、「何のために生きているのか?」という問いを発しながら、実はそれを自分自身に対して発しています。
  ──以下略──

『人物たち』の舞台。アレクアンドル・カリャーギン(左)とウラジーミル・シーモノフ。

『人物たち』の舞台

劇場という名の文明(2007年)

Join58号より抜粋 2007年
シアターΧプロデューサー 上田美佐子/聞き手 黒テント 宗重博之

実験的な作品の上演──
演じる側の興奮と観る側との興奮が結実する劇場空間

●上田  今度9月にギリシャ劇やるのですけど、シアターXは補助席を置けば400ぐらい入るのですけど、それをわざわざ101席にしたんです。満席になっても赤字なのにね。でも、こういうのでやってみたい演劇だから仕方ないですよね。小さい劇場の中に、さらに小さな劇場空間をつくり、演る側も観る側もヒヤヒヤ、ばちばちと互に昇華し合ってね、それで創出される演劇の弁証法をよむ。観客とはすなわち客席に座っている創造者でもあるのだと、考えてみるのですが。さまざまな意味で、このミニマムな劇場空間は刺激的でしょう。

●宗重  そうですね、息遣いまで聞こえてきますね。

●上田  ショパンが、新しく作曲するでしょ、その演奏会には、多くても20人くらいにしか聴かせなかったということです。その20人は、全部自分が顔を知ってる人なんですって。彼の演奏は毎回違ったそうです。インプロビゼーションみたいな、一回きりの勝負なのですよね。演劇も同じでしょ。1回きりじゃないですか。だったら今みたいに、資本の論理がどんどんどんどん社会主義の中国にまで貫徹してくると、まんまの思想・哲学では演劇芸術なんていうものはなくなっちゃうかもしれませんね。

●宗重  劇団もそうですけど、演劇は資本主義の流れに逆行するところがありますからね。

●上田  私は、ショパン的ショパンが大好きなんですけれども、あの人は命削って作曲してましたよ。肺病ということもあったのですけど、チェーホフと同じように喀血しながらやってたわけです。ショパンの場合は敵は20人だったのですけど、聴いてもらって、そこではじめて音楽が成立したと思うのです。生きてる芸術、芸術に生きるっていうのはそんなものだと思うのですよ。肉体的には赤ちゃんを産むけど、精神的には芸術を生むんだって、それが人間なんだと思うのです。そういう意味で、人間の証しみたいな、魂の証しみたいなものが芸術だとしたら、音楽もそういう風に、聴いてもらう人と一緒になってできたものが音楽で、楽譜が音楽ではない。演劇もね、観てくれる人はお金を払ってくれる消費者なのではなくて、一緒に、その人たちがいないと演劇は成立しないのですよね。やってる側の興奮と一緒になって興奮し生まれる世界が……。そういうものを私はポーランドで感じたんでしょうか。だから、今度イスラエルの演出家がこういう風にしたいって言った時に、経済的には赤字ですけど、やりましょうということに。それで、客席は101にして、「101スピリット in シアターΧ」っていう名前をつけました。

●宗重  とても実験的で面白そうな試みですね。

●上田  お客さんの方も、戸惑うと思うのですよ、目の前でやられると、イヤダっていう人がいるかもしれないし、そういう人はもう、このシリーズには来ないようになるかもしれません。でも好奇心にかられ受けて立って、客席側にいる自分も、自律し興奮できるような人は喜んで来るんじゃないかなぁと思います。「劇場は、演劇芸術を創造する現場」で演る側の人は当然創造者ですけど、劇場で客席に座ってる人も創造者なのですよ。一緒につくるっていうのは拍手してくださいっていうことでもなくて一緒に興奮してくれる──といっても熱狂したり熱演してくれたりすることではさらさらありませんが。ポーランドへ行くと、お客さんの質が良いですから、狂言の茂山千作さんがポーランドで公演なされましたとき「客が良いのでね、日本ではやったことのないようないい舞台ができたよ」とおっしゃってました。

●宗重  いい客だなぁと思った舞台にはなかなか出会えないです。

●上田  新劇の黎明期には多々、みんなそういう気持ちでやってたんじゃないのでしょうか? ほんとに芝居を観て自分の生き方を考えたとか、何かの本に書いてありますよね。築地小劇場はお巡りさんがいつも立合ってたらしいですよね。それで、ちょっとでもわかりきった反戦的なことを言ったり、反社会的なことを言うと、「舞台中止!」ってやられるらしいのですけども。でもそのくらいエキサイトしてたんだと思うのですよね。でも今はだら〜っと茶の間でひっくり返って「楽しませてください」「笑わせてください」っていうのと同じような気分で観に来られてて、お金払ってるんだからお金の分くらいは笑わせてくれとかね。

●宗重  お客さんとリアルタイムでつくり上げていくという、そういうところに演劇の可能性っていうのがありますね。

●上田  そうですね。

●宗重  魂の交換とかね、そういうのができる瞬間がある。

●上田  昔は歌舞伎なんかも、俺が行って今日はいい芝居にしてやるとかいう客がいらっしゃったらしいですよね。

●宗重  かけ声も自然にかけたくなる芝居に出会いたいですね。

●上田  その人が自惚れてるんじゃなくてね。スポーツではよく言いますよね、お客さんの声援がよかったから助けられましたと。あれは社交辞令ではなくて本当にそうなんだと思います。人間が人間を励ますからいいのだろうと。

議論とはいわば葛藤である──
芸術家を信頼してこそ希望がある

●宗重  自主企画のほとんどは、時間をかけ温め育てて公演までもっていかれているんですね、ヴィトカッツイに始まり、名作劇場、IDTF、ブレヒト的ブレヒト演劇祭もそうですし、研究会のチェーホフ研、中国研、中東研etc……

●上田  安易に文化交流とか、芸術交流なんて言うけども、お互いの違いを知ることの方が、まず大事だと思うんです。対立しているところを明確にして、それを、どうすればいいのだろうっていうことを対等にディスカッションしていくことだと思っているのです。仲良くなりましょうと言っても、絶対仲良くなりませんよ。金持ちの方が強くなるし、才能持ってる方が強くなるし、経験持ってる方が強くなったりするのだけれど。一つの問題をほんとの意味でディスカッションする以外に真の交流はないと思いますね。だから、共同でやればやるほど、私はお互いの相違点を明確にしつつ、それをディスカッションしていくことだと思っているのですよ。当然、違って当たり前なんですから、そのなかで共通認識をどうやってつくっていくのかの弁証法です。9月の『エウメニデス』も、もう2年近く対立したまま、対立がだんだん深まるような創造過程なんですけれど、イスラエルと日本ではギリシャ悲劇一つをどうとらえるかっていう点すら、すごく違うのかもしれません。だいたいにおいてヨーロッパから来る演出家は、ヨーロッパが本物で日本は真似してるとしか思ってませんからね。「日本人にしてはいいチェーホフね」とか平気で思ってます。だからこそ、そのプロセスでの交流、ディスカッションが大事だと思うのです。

●宗重  最後になりますが、芸術活動への助成制度はどう思われていますか?

●上田  それに関してはね、今からもう5、6年前になるのですけど、ベルリンのフォルクスビューネとか、シャウビューネとか、ベルリナー・アンサンブルとかの支配人や芸術監督に会うことができたんです。公立なんですけどね。ベルリンとか、ドイツ連邦とかの助成を合わせて一劇場年間20億円ほどですよ。かなり小さいようなところでさえ、4億とか5億とかもらってるんですよ。それこそ「拠点」の支援でしょ。丸投げです。その代わり、発表する作品が悪かったら恥でしょ。だからみんな必死で競ってアクチュアルなものをやる。だから言ってました。「我々は毎日12時間は、なにをやるべきかを命がけで考えてます」って。それで、どんなこと考えてるのですかって質問したら、その当時ベルリンは、年金生活者を含むと50%が失業者だという。トルコ人はほとんど失業してますからね。

●宗重  経済成長期の西ドイツはトルコからの出稼ぎが多かったですからね。

●上田  そういうベルリンの状況にある人たちに、何をどう観せるかっていうことを毎日、文字通り懸命に考えていますって。

●宗重  日本の場合の助成制度はどうしても赤字補填という考え方があるので、アマチュアへの助成の色合いが強いですね。

●上田  好きな人がやってるのだ、という考え方がありますよね。ヨーロッパだと、自分たちに代わって芸術家が命削って、魂がどうあるべきかということを一生涯かけて追求してくれていると。芸術家とはそういう人たちなんだという尊敬の念が根底にあるのだとポーランドの外交官の口から聞きました。ポーランドでは第一に芸術家、第二に学者という評価がなされてますしね。芸術家は10年先を、チェーホフは200年先だったけど、ずっと先のことを今に感じて、創ってるような人間なんだからって言うのですよ。私がポーランドに行って、見聞きして、そういう見方をする一般の人がいっぱいいる国なんだなぁと思いました。だからあの拠点支援事業もね、本当は、芸術家たちを信用し、かつ尊重してほしい。事務的能力やセンスには欠けているにしても、魂と向き合っている人たちを信用すべきですね、多少トロくても、鷹揚に構えて賢い官吏として丸投げするべきだと思うんですよ。領収証集めろだとか、請求書をきちっと書けとか従わせるよりも、そんな時間があったら少しでもよりよい芸術についてのディスカッションの時間に当ててくださいと頼むべきでしょう。少しでも今日的な作品を一般人に代って生涯かける気概で熟考し創出して勝負しなさいと。

2007年9月14日〜23日
第1回 101スピリット in シアターΧ
ギリシャ悲劇『エウメニデス』
演出:ルティ・カネル 
出演:平栗あつみ 他 
(撮影:コスガデスガ)

2007年6月21日〜7月1日
『新・母アンナ フィアリングとその子供たち』
演出:ルティ・カネル
出演:大浦みずき 他(東京再演後、奈良・京都・金沢へ旅公演)
(撮影:コスガデスガ)

「アンソロジー」公演 アートトークの記録
(2009年3月3日)

THE ANTHOLOGY『アンソロジー』(イスラエル アッコ・シアターセンター)
出演:スマダル・ヤーロン、モニ・ヨセフ 
(2009年3月2日〜4日)


みんなで語るアート・トーク
「いまを 語る 新しい演劇言語とは?」
  ──『アンソロジー』公演と併催

3月3日 13:30〜16:00 シアターΧ劇場にて (無料)
パネラー:スマダル・ヤーロン(イスラエル アッコ・シアター女優/芸術監督)、モニ・ヨセフ(イスラエル アッコ・シアター主宰者/俳優)、中村桂子(生命誌研究館長)、横山通乃(女優)、加藤邦英(NHKエンタープライズ・プロデューサー)、水沢勉(神奈川県立近代美術館葉山副館長 兼企画課長)、司会:西田敬一(国際サーカス村協会代表)

 2000年の来日公演以来、再演が待ち望まれたイスラエルのアッコ・シアターセンター『アンソロジー』を、この度シアターΧが招聘。2009年3月2日〜4日の3日間で3回上演された。このアートトーク『いまを 語る 新しい演劇言語とは?』は、公演2日目の夜公演を前に劇場にて2時間30分に限って開催した。すでに3ヵ月間、劇団銅鑼の『ハンナのかばん』の演出で日本に滞在したモニ・ヨセフ氏より、「ぜひ日本のみなさんと いまの 芸術についてのお話をしたい」という希望を実現しようということで開催することになったもの。参加者パネラーのみなさんをはじめ、劇場スタッフや俳優やダンサー、演出家、制作者、ジャーナリスト、批評家等の方々など50名余。京都、岐阜、名古屋などからの参加も。


みんなで語るアート・トーク
「いまを 語る 新しい演劇言語とは?」の記録より抜粋


●スマダル  「芸術が現実を変えることができるか?」。それはとても大切な問いだと思います。それは私が活動する中でずっと考えてきたことでもあるのですが、その問いとともに私は生き、創造し続けています。なぜならそれが私の道であるからです。芸術家それぞれがそれぞれのやり方で、世界に何か良いものをもたらす努力をするのです。時にはフラストレーションが溜まることもあります。みなさんもニュースでご覧でしょうけれど、今イスラエルとパレスチナの現状を考える時、私は芸術家としてそういう感覚が湧いてくるのです。この状況に変化をもたらしたいという高い理想から、個々の具体的な部分を見ていくと、私の中に葛藤が生まれます。
 「バタフライ効果」という言葉があります。世界のどこかで蝶が起こした羽ばたきの波動が、世界の反対側まで伝わり変化を起こす。つまり、小さなエネルギーの伝播は予想もつかない場所まで到達することができるとういうわけです。そういう考え方で私は活動しています。私たちは常に少人数の観客に対して公演していますので、私たちの作品が観客に与える影響にも、ある種の波動があって伝わっていくのだと信じています。天に限りはないのです。

●モニ  ちょっと付け加えることがあります。私自身は日本とのつながりが強いと思っています。私は日本に滞在することが大好きです。イスラエル社会を団結させていることとして、私たちはイスラエル第二世代(第二次世界大戦後イスラエルで出生した世代)といわれる世代です。第二次世界大戦の時代はイスラエル人にとって暗黒の時代といいますか、非常に辛い時代でした。
 私たちはブラックホールのようなものを抱えているわけです。私たちはイスラエルでの芸術活動を通して常にこのことを問い直しています。この心の中のブラックホールを私とみなさんは共有しているわけです。それは同じ時代、世代に起因するブラックホールです。
 これは私個人の考えですが、逆に伺いたいことは、日本人は心のブラックホールに対して正面から立ち向かっていないように感じます。あの時代は世界中の社会に多大なる影響を与えている時代です。私たちにとってより良い未来を作るためには、私たちの過去、私たちの辿った歴史と向き合う必要があります。これに関して私は日本のみなさんにたずねてみたいと思います。大変重い課題だと思いますが、日本人や日本の文化人がこのブラックホールに対してどのように立ち向かっているのか、たずねてみたいと考えています。

2009年3月2日〜4日
『アンソロジー』(イスラエル アッコ・シアター)
出演:スマダル・ヤーロン、モニ・ヨセフ 
(撮影:コスガデスガ)

2009年3月3日 イスラエルのアッコ・シアター『アンソロジー』 2日目開演前のアートトーク

第9回シアターΧカイ国際舞台芸術祭2010
The9th TheaterX International Dance+Theater Festival [IDTF] 2010
プレ・シンポジウム
(2009年12月7日)


チェーホフの「鍵」とは?


【主な参加者】
レオニード・アニシモフ(ロシア功労芸術家・演出家/劇団、東京ノーヴイ・レパートリーシアター[TNRT]芸術監督)、中本信幸(神奈川大学名誉教授・演劇評論家)、若松美黄(舞踊家)、折田克子(舞踊家)、李 哉尚(韓国/劇作家・演出家)、ケイタケイ(舞踊家)、矢野通子(舞踊家)、八木昭子(俳優・演出家/劇団 TNRT芸術部長)、田口ランディ(作家)、岡崎弘司(劇団 TNRT俳優・理事長)、上田美佐子(シアターΧ芸術監督・劇場プロデューサー)、大久保喬(シアターΧ総括)、司会・山本健翔(演出家)


 1992年に劇場オープンしたシアターΧで、1994年から隔年で継続開催されているインターナショナル ダンス+シアターフェスティバルは来年で第9回を迎える。当初はインターナショナル ダンスフェスティバルとして始まったが、演劇・オペラ・パフォーマンス・音楽・サーカスなどさまざまなジャンルの舞台芸術の境界を越えて、相互の交流により新しい舞台芸術の創出を試みる国際舞台芸術祭へと発展してきた。
 来年の第9回シアターΧ国際舞台芸術祭2010は実行委員会でテーマについて議論が重ねられ、来年のチェーホフ生誕150年にちなみ、メイン・テーマを「チェーホフの鍵」とした。そこで来年の国際舞台芸術祭の端緒として「チェーホフの『鍵』とは?」というテーマでプレ・シンポジウムがシアターΧで開催されることに。
 主な参加者はシアターΧ国際舞台芸術祭の実行委員、この舞台芸術祭へ作品公募を希望する方々、シアターΧに関係の俳優、芸術家、舞台関係者、研究者や観客など約120名が参加した。

アントン・チェーホフ
(1860年〜1904年)

プレ・シンポジウム(会場:シアターΧ劇場舞台)

上田美佐子(シアターΧ芸術監督・プロデューサー)
 シアターΧは1992年に東京のオールドタウン・下町で唯一の劇場で、そこで現代劇を公演していこうということで発足したんです。いま、みなさんがお座りになっているところが舞台で客席と非常にインチメイトな劇場です。ダンスの方たちがそれを狙って、シアターΧを使いたいという申し出があり、演劇の方たちは劇場を最低でも1週間は使いますが、ダンスの方たちはそうじゃないので、ダンサーのみなさんを集めてお団子の串刺しのようにしてやろうとしたのが、1994年の最初のシアターΧダンスフェスティバルでした。それとシアターΧは開場時から海外の芸術家の胸を借りて、足腰を鍛えるため、共同創造あるいは招聘公演をしていた関係で、ダンス関係にも外国の方が多かった。それじゃあと「インターナショナル・ダンスフェスティバル」と名付けたんですね。
 また、そのうちダンスの方と演劇の方とが一緒になって刺激し合おうということで、「シアターΧインターナショナル ダンス+シアター フェスティバル[IDTF]」と改めて、しかもメイン・テーマを、たとえば「考える人 踊る人」「現実を抱きしめて」「中国の不思議な役人」「幽色霊気」…など、いわばインスピレーションで決めてました。が、私はそのいい加減なところが逆にいいんじゃないかなと思っています。そういうことで、ダンスの境界も演劇の境界もなくなって、コラボレーションもあってまったく突然変異の作品が生まれたりもしました。そうやって2年に1回必ず継続開催しています。
 シアターΧの記録などをホームページなどで見ていただければ分かると思います。そこで2010年は東京ノーヴイ・レパートリーシアターの芸術監督をされていますレオニード・アニシモフさんの提案で、チェーホフにちなんだコンセプトを基に行うこととなり、来年の6月1日〜7月4日の長期に渡って行います。いま100パーセント決まっていませんが、ロシアからサンクトペテルブルグのボリショイ・ドラマ・テアトル(BDT)と、モスクワからはロシアの名優であるA・カリャーギンさんのエト・セトラ劇場が予定できそうで、かねがねいい加減なところでやっている私としては、とても素晴らしい参加団体を得られそうです。
 期間中には国際的なアート・コンファレンスということでシンポジウムをも行う予定ですが、そのプレ・シンポジウムが今日の集まりなんです。

上田美佐子(左から2人目)

レオニード・アニシモフ(ロシア功労芸術家・演出家/東京ノーヴイ・レパートリーシアター芸術監督)
 将来のシンポジウムのテーマであり、本日のプレ・シンポジウムのテーマである「チェーホフの鍵」というテーマを私はとても気に入っています。というのは、いろいろな国で芸術活動をする人たちの心を探す基になっているからです。私はいろいろな国でチェーホフの戯曲を上演してきました。場合によってはひとつの戯曲を3〜4回上演しています。いたるところで私は同じ問題にぶち当たったんです。チェーホフの戯曲の繊細さゆえに彼の作品を上演することは非常に難しいのです。
 ヨーロッパの作家はチェーホフの作品を音楽だといいました。ロシア語ではチェーホフ作品はとても音楽的・詩的な響きを持っています。いろいろな国の言葉に翻訳されても彼の言葉の美しさは感じられます。そして、チェーホフ作品の主要なテーマは人間の魂、人間の感情に関係しています。もちろんチェーホフだけではなくて、多くの作家が感情の問題を扱っていますけれど、私が考えるところでは、チェーホフは人間の魂や感情というものに非常に繊細にアプローチしていると思います。彼ははじめて演劇の気分、あるいは予感というような問題を取り上げています。そしてこのような微妙な概念を表現することはとても複雑です。
 チェーホフが生きていたあの時代のロシアのことを話したいと思います。ロシアではまだ資本主義が始まったばかりのころでした。そこで新しい問題が生まれてきました。それは分別の問題、お金の問題、そして人間関係の問題です。この分別と人間の心が衝突するそこにチェーホフ作品の基本的なテーマがあるのです。ですから、彼のすべての作品にお金が絡んできます。この銭勘定の問題は、今日さらにその傾向を増していて、現代人の心を騒がせているわけです。我々一人ひとりの中でその闘いが進行しています。非常に多くの芸術家たちがそのことを直感的に感じています。そしてここにいらっしゃる多くの人たちが、この問題を今日的な問題として感じていると思います。
 人間の感情や気分に従って生きていきたいとみんな思っていますが、今日の現実はお金を要求しているんですね。そのことが人間の内部でさまざまな喜劇的なものを生み出してきます。チェーホフの戯曲では必ずその問題にぶち当たりますね。
  ──中略──
 アメリカで『桜の園』『かもめ』のリハーサルをしている時に私は気が付きました。お金に関する問題については、アメリカ人たちは非常に簡単にやってのけてしまうんです。ところが、人間的な感情、気分について試みようとするとできないですね。それと同じ問題が今日のロシアの劇場でも起こっています。以前はロシアの俳優たちは、感受性の豊かさを非常に評価されていました。分別臭さということはありませんでした。20〜30年前には、ロシアの俳優たちの感受性に富んだ芝居を観ることができました。
 私は日本でも約10年の経験を積んでいますけれど、日本人はチェーホフ作品の繊細さをとてもたやすく感じることができます。とても簡単に、自然に受け止めているんです。日本人のその特徴は日本文化の繊細さ、微妙さから来ていると私は思います。しかし、それを日本の俳優が表現できるのかということは別の問題です。表現することは非常に難しいですから、日本人の俳優はいまのところ表現できていないですね。私が日本において劇団やワークショップで試みていることは、知性や分別や感情の世界を通り抜けてチェーホフ的な魂の世界へ行くことですね。

レオニード・アニシモフ(中央)

中本信幸(神奈川大学名誉教授・演劇批評家)
 今日の集まりの主旨は来年のシアターΧ国際舞台芸術祭の準備ということですね。すでに来年がチェーホフ生誕150年という発言がありましたね。私はここで考えてみたいことがあります。私自身はチェーホフが大好きで、執念深く「チェーホフ」「チェーホフ」といっているわけなんですね。今年はロシア文学の作家たちが随分脚光を浴びていますよね。特にドストエフスキーが大変に人気を集めています。それから来年はトルストイの没後100年なんですよね。それについては実行委員会がもたれて、いろいろな催しが準備されています。
 私はなぜかチェーホフという作家はそういうことにそぐわないんじゃないのかと思っているんですよ。
  ──中略──
 日本でもチェーホフをどう受け取っているのかといいますと、ここにいらっしゃるみなさんもそうだと思いますけど、例えば、今日アニシモフさんやいろんな方のお話を聞いたとしても、「でも私は違う」と。チェーホフを読むと「私だったらこう思う」と思わせてしまうところがチェーホフ作品にはあると思うんですね。やはり、チェーホフの舞台を観ても作品を読んでも「自分はこう思う」と思わせていくのが、チェーホフの特徴じゃないのかと思います。
 チェーホフ劇でも『かもめ』は、一般的にはあの当時の演劇のシステムそのものを変えたんだといわれているわけじゃないですか。そうだと思うんですよ。それ以前のお芝居は主人公がいて、主人公を中心に芝居が展開するし、またお客さんも主人公だけを観ていくわけですけど、でもチェーホフの作品はそうはいかないわけですね。『かもめ』にしても誰が本当の主人公なのか分からない。シンボルとしての「かもめ」というのは何なのかというと、ニーナの台詞に「かもめは何かのシンボルらしいけど、あたしには何なのかわからない」といっているじゃないですか。そのようにですね「かもめ」というシンボル自体もそんなに単純じゃないんです。そのように書かれている。

中本信幸(中央)

若松美黄(舞踊家)
 ロシアのボリショイだとか、ロシアのバレエ団は大半がチェーホフの作品を舞台にしていて、その中にはダンスのテクニックを見せることを中心にしているものもあります。それはパントマイムでストーリーを展開して、ダンスのテクニックを次々と見せるわけです。ただし、いまや時代は変わりまして、インスタレーションということで「あれはどこがダンスなんだ」と思えるんですが、でもダンスだということになるんです。
 それからサーカスですかね。シルク・ドゥ・ソレイユなんか観ていると、大きな意味でそこにはダンス的な要素があります。つまりあらゆる芸術が入り混じってきたということです。大きな芸術の中でダンスは変わってきました。舞踊の「舞」は中国語では“nothing”「無」という意味です。発音は「ブ」で、それは武士の「武」も、舞いの「舞」も、夢の「夢(ぶ)」も全部同じ内容、同じように使われていました。中国の武術の「大武伝」は漢の時代以前は「大舞伝」となっていたり、動態的なもの、混沌としたものを中国では「舞」といっていました。日本人はそれを翻訳して「舞う」といったわけです。この舞うということは、混沌としたものが循環する、廻るということでしょう。ただ「無」という言葉だけでなくて「空」という言葉があるんです。これは仏教が入ってからで、仏教的には「空」といいますが、老子の場合は「無」を中心に使っています。「空」と「無」ということで、例えば箱の中身を全部外に出せば、それが無なのか空なのかということで、そのことはダンサーたちもよく議論していることです。
 とにかく、舞踊の「舞」は空でなくちゃいけないし、ある種混沌ですからチェーホフのテーマで出発していても、完全に舞いの世界に入っちゃうと一種の中心核が壊れちゃって、動態的な状態がそこに紡がれて、パッと舞いが終わった時に観客が再びチェーホフの世界の印象を持っているのか? それともそうではないのか? そういうところがダンスの勝負です。
 もうひとつ別の視点から話すと、僕もいろいろなダンスの公演を観に行きますが「これってダンスだな」と思える作品は5年に1本くらいです。大体の舞踊公演を観ても舞踊に観えない。演劇を観ていて、演劇に観えますか? 本当のコアになるダンスはどうか? みんな稽古をして努力しているんですよ。ダンスのテクニックをすべて並べてダンスをつくっても、それがダンス公演だとはいえない。演劇でも同じで、チェーホフをいくらやっても「それがチェーホフなの?」という、中核の部分では絶えず「恐れ」というのがあります。
 ダンスの場合は常に「恐れ」が身体に関わってきていて、結局身体に頭はくっついているんですが、身体が中心で、頭の領域よりも手足の領域の方が少し大きいかなということです。ダンスは演ずるにしても、いつも身体を通していますから身体を意識せざるを得ないです。結局、観客はチェーホフを観るのかな? そうじゃなくて人間がしゃべったり、人間が動いたりを観るんだろうというコンセンサスなのか? それとも観念的にチェーホフの台詞に純粋にいってしまうのか? ダンスの場合は身体というものが厳然としてあり、それに何かがのっかってくる。そこで大切なのは、ダンスの場合だと重心。当然のことですよね。大地にしっかりと立っているということです。身体がまっすぐに立つということ。天と大地の接点に自分がいるということ。
 先ほど、踊るということは無だといいました。無は混沌なんだけど、一生懸命に踊れば踊るほどものを考えられなくなってしまう。「俺はあんたを憎んでいる」ということを1万回も稽古すると記号化していく。頭は無に近い状態です。一種の動態的な混沌の状態になる。それは逆にいえばコップにいっぱいの水が入っていれば、他のものは何も入らなくなるだろうと。踊る人がコップを空にすればお客さんもそこに入ってくれるだろうということを意味しているんだと思います。
 ということで、チェーホフを文学としてではない捉え方で舞踊の方々が参加してくれれば、この企画に携わっている者としては面白いと思います。何か分からないものを絶えず取り込める要素をつくっておけば、自分自身が全部をギュッと埋めちゃわずに、いかに空にしちゃって読み込めるかということがいいところかなと。

若松美黄(中央右)

第9回シアターΧカイ国際舞台芸術祭2010
The9th TheaterX International Dance+Theater Festival [IDTF] 2010
IDTFアートコンファレンス1
テーマ『倫理』=エチカ(Ethics)
(2010年6月6日)

<基調発言>:中村桂子(生命誌学・生命誌研究館館長)

中村桂子   よろしくお願いいたします。いま上田さんからもお話がありましたが、上田さんの周りにいる人の中で、一番悩んでいそうな人として話すようにいわれました。ですから、先ほどからお話が出ているように悩みをそのままという形でお話をしたいと思います。
 「エチカ(倫理)」というテーマなんですが、これはいったい何であるかということは大変に難しい。私は、これは「生きること」、「人間そのものについて問い続けること」、「何だろう? わからない、わからないと問い続けること」、このことを私なりのエチカといたしました。それについては予め骨子を書きましたのでお読みいただいていると思います。それを踏まえてお話します。
 「生きること」「人間について」というのは私のテーマでもありますが、今日はいろいろな国の方々がいらっしゃいますし、とても複雑ですので、最初に私の結論を申し上げます。
 私の場合、この生きることや人間を問うことには、「生きものとして」という形容詞がついています。いま、そのことが大事だと思います。

■「わたしは かもめ」

 今回は主としてチェーホフの『かもめ』という作品を私なりに読み、それをテーマにして考えるという課題を与えられました。私はロシア語を知りませんけれど「ヤー・チャイカ(私は かもめ)」という言葉が心に残っています。この言葉は地球という束縛から離れて、チェーホフもいっているひとつである広い宇宙へ飛んでいった女性のテレシコワさん(1963年6月にソ連のボストーク6号に搭乗した初の女性宇宙飛行士)が語った言葉です。この言葉は20世紀後半に発せられたものであり、21世紀を生きる私たちの象徴でもあると思うのです。一言でいうなら進歩を合言葉に科学技術がそれを支える生き方です。一方でチェーホフの『かもめ』は19世紀終りに書かれています。それはおそらく、ロシアという国が近代化していく、都市化していく際、古くからの人間関係の中で思い通りにならない人生を語り合う、嘆く、考えるというテーマがあって、それはある種の絶望から出発するようなところがあった。そこから20世紀の生き方への願いも見られます。
 テレシコワさんの「ヤー・チャイカ」から受け止めることと、チェーホフの『かもめ』から受け止めることの間には、一見何か大変な開きがあるように見えます。けれども、20世紀という100年を挟んで、その間に私たちは本当に自由になり、生きやすくなったんだろうか。本当に飛び出したんだろうかという問いが私の中にあります。そして、私自身はいまチェーホフの中にある生きにくさと同じものを強く感じています。そこで先ほど申しました生きものとしての人間を見ている立場から、生きにくさに対する問題を一つ提示してみたいと思います。

■自然の中の 生きものとしての人間

 20世紀の100年間、私たちは自由になりたい、生きやすくなりたい、幸せになりたいために何をしてきたかというと、お金で豊かになるということと科学技術で便利になること。これで人間は幸せで自由になれると思ったのです。この2つが20世紀に私たちがやってきた大きなことだと思います。昨年末のプレ・シンポジウム(2009年12月7日「チェーホフの『鍵』とは?」をテーマにシアターΧで開催)でアニシモフさんは「分別」と「お金」と「人間関係」という言葉が、この問題を考えるキーワードだといってらっしゃるのですが、「分別」というのは科学技術とある意味では似ていると思います。アニシモフさんのおっしゃった「分別」「お金」「人間関係」と、私はほぼ同じことを考えていると思いました。
 では、それで私たちが幸せになったかというと、先ほど私が申しましたように、なんだか生きにくい。その理由を実は私たち人間は自然の中の命をもった生きもののひとつであることを忘れて(図1を示しながら)この「金融市場原理・科学技術──人間」という枠組の中だけで、人間は生きられると考えていたからだと思っています。

中村桂子さん(中央)


■いま、問い続けなければならない

 いま社会で大きな問題になっていることに、地球環境問題と自殺の増加に象徴される人間の生きにくさがあります。通常人々は、環境問題は技術で解決すればいい、人間の生きにくさは道徳で解決しようといいますが、私はそうは考えません。両方に共通する問題は、私たちは命を持っている生きものだということを忘れていることだと思います。図1に描きましたように上の矢印が地球環境の破壊です。そして下の矢印が私たちの身体の中にある内なる自然の破壊です。同じ破壊が起きていると思っています。
 この生命誌絵巻は私の研究する生命誌を表しています。人間が生きものであるということはどういう意味なのかということを示した図です。扇の要が38億年前の生命の起源、扇の縁が現在です。一番左側に人間が描いてあり、一番右側にはバクテリアが描いてあり、あらゆる生きものが描かれているのです。これは地球上のあらゆる生きものが38億年の歴史をもっていて、その歴史の上で生きなければ生きられない。その中に人間もいるということを現代科学は明らかにしたという図です。
 実は、チェーホフの『かもめ』の中の最初の劇中劇は皆さんご存知だと思いますが、ここでトレープレフは「人も、ライオンも、鷲も、雷鳥も、角を生やした鹿も、鵞鳥も、蜘蛛も、水に住む無言の魚も、海に住むヒトデも、そして人の目に見えなかった微生物も」といっているのです。
 つまり、生きとし生けるものが、ここでは何千世紀後にいなくなるという話です。私はチェーホフに会って話が聴けないのがとても残念なのですけれども、『かもめ』の中でこういうことを考えているチェーホフの中には、やはり私たち人間がその中(生きものの38億年の歴史の中)にある。それを生かさなくていいのだろうかという気持ちはなかったのだろうか。これは私の勝手な解釈ですがそう思っています。

図1

生命誌絵巻


■「生きる力」

 『かもめ』(第4幕)の中で、ニーナはトレープレフとの別れ際に、第1幕のトレープレフの芝居の台詞を何もかも残らずみんな覚えている。そして私は一つ一つの生活をまた新しく生き直しているといいます。この言葉は非常に重要だと思います。
 いま、子どもたちがコンピュータや携帯電話にほとんどの時間を使い、生きものを自覚する時があまりありません。そういう生き方でいいのだろうか。高層ビルの中で機械を使う生き方でいいのだろうか。私たちが科学技術で便利さを求め、お金を求める。実はそれは20世紀の科学技術が機械論的世界観、たとえば子どもという生きものまで機械の中に放り込んできたことに問題があるのです。私の提案は機械論的世界観から生命論的世界観に移るということがチェーホフの『かもめ』を捉える中で考えなければならないことではないかということです。
 今日は時間がありませんので、(図2を示しながら)ひとつだけ申し上げれば、一番下の「利便性」と「継続性」が機械と生きものの違いを象徴します。私たちは利便性を求めすぎたために、継続性を失っている。そのことで私たちは非常に不安をもつことになったのだと思います。利便性とはこの図で示したように、生きものにはまったく合わないものです。
 人間は自分が自然の中にいるはずなのに、機械の世界に入りこみ、都市化、科学技術化で自然と離れてきました。そうすることが暮らしやすくて、引いては幸せにつながると思ってきたのです。私は人工を否定しませんが、人間が自然の一部であるということを前提に人工を作っていくという、これからの生き方を提案したい。これが私が『かもめ』から読み取ったことです。「経済」と「(科学)技術」は必要ですが、経済ありき、技術ありきですと、生きものが、生命が、非常に圧迫される。この力を私は「権力」と呼びたいと思います。それに対して命をもつものとして生きていくということを基盤にして、そこから新しい経済を考え技術を考える、その基盤(図3)は「生きる力」です。

図2

図3


■複雑さに耐える

 『かもめ』の第4幕で女優となったニーナが帰ってきて、大事なことは名声やお金ではなくて耐える力だといっています。私はそのことがわかったといいます。ここが最も重要です。この「耐える力」は、単に辛いことを我慢するということではなく、生きるという複雑さに耐えること、そしてじっくり考えることだと思うのです。この忍耐力を「生きる力」といっていい。ニーナは生き、トレープレフは自殺をするという違いがそれを示しています。
 つまりこれは、機械論から生命論へという提案なのです。現在私たちは忍耐力をもたず、すぐに答えを求めます。特に科学は答えを与えるものとされている。しかし、私たちはいま問い続けなければならないし、生き続けなければならないんだと思います。『ワーニャ伯父さん』の中に、生き続けるのが辛いという言葉がありますが、でも、私たちは生き続けなければならない。問い続けて、生き続けなければならないということが、いまとても大事なのではないかと思っています。
 具体的には、自然の複雑さと向き合うということです。自然はとても複雑なのです。そしてその複雑さに向き合ったときに初めてその中にある豊かさがわかってくる。本当の意味の豊かさを知りたいと思ったら、それを手にしたいと思ったら、私たちはこの複雑さに向き合わなければならないのではないかと思います。
 これ(図4を示しながら)は、私が生きものを見つめることによって得た世界観を絵に表したものです。これは20世紀が作ってきた現代社会です。私たちは洋服を着ていますが、鏡に映っている私たちは、生きものとしてのヒトであり、その後ろには生きものの38億年の長い長い歴史がある。この中で生きていきたいと思っています。

図4


■日本文化の中にある「愛づる」気持ち

 自然に向き合う時、日本人として、大和言葉の「愛づる」(図5を示しながら)に注目しています。ギリシャ語で「フィリア」。「フィロソフィ」、つまり愛知の時の愛、ここではHaving compassion for othersと書きました。
 これ(図6)は1000年前に京都に暮らしていたお姫さまが小さな虫を可愛がる話です。その虫は汚い虫です。ただ、成長すると綺麗な蝶になります。蝶になると皆が「綺麗、可愛い」といいます。しかしこのお姫様はそうではありません。この小さな虫、皆が汚いという虫の中にこそ本当の生きる力がある。それをよく見ることで本当の愛が生まれるのです。1000年も前の日本の話です。
 私は日本文化の中にある「愛づる」という気持ちを生命論的世界観の中心において21世紀を考えていくこと。これが私がチェーホフの『かもめ』によって教えられ、考えたことです。『かもめ』についてこんなことを考えましたというご報告です。

図5

図6

第9回シアターΧカイ国際舞台芸術祭2010
The9th TheaterX International Dance+Theater Festival [IDTF] 2010
IDTFアートコンファレンス2
テーマ『倫理』=エチカ(Ethics)
(2010年6月10日)

【主な発言者】
アレクサンドル・カリャーギン(俳優・モスクワ エトセトラ劇場芸術監督・ロシア共和国演劇人同盟議長/ロシア)
レオニード・アニシモフ(演出家・東京ノーヴイ・レパートリーシアター芸術監督/ロシア)
イ・ジェサン(俳優・演出家/韓国)
鎌田東二(宗教学者・京都大学こころの未来研究所)
安達紀子(エッセイスト・ロシア語翻訳)
若松美黄(舞踊学・筑波大学名誉教授・現代舞踊協会理事長)
中本信幸(演劇評論家・神奈川大学名誉教授 ロシア文学)
ヴィクトル・ニジェリスコイ(俳優・立教大学助教/ロシア)
里見実(教育社会学・国学院大学名誉教授)
上田美佐子(IDTF実行委員長)
【司会】山本健翔(演出家)

第9回シアターΧカイ国際舞台芸術祭2010[IDTF]はメインテーマを「チェーホフの鍵」とし、このIDTFに集う各国の芸術家、研究者、舞台関係者によるアートコンファレンスを2度開催した。6月6日の第1回目は中村桂子さん(生命誌学・生命誌研究館館長)の基調発言(詳細はアートコンファレンス1の記録に収録)に基づいて議論が交わされた。
 6月10日の第2回目は、エトセトラ劇場『人物たち』の公演を終えたアレクサンドル・カリャーギン氏(俳優・エトセトラ劇場芸術監督)に、チェーホフについて語っていただいた。その後アートコンファレンス1を引き継ぐ形で活発な意見交換が行われた。アートコンファレンスAは約70余名の参加があった。このアートコンファレンスAに先立ち、A・カリャーギン氏が主演した映画『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』(ニキータ・ミハルコフ監督)が劇場内で上映された。

左より、山本健翔氏(司会)、A・カリャーギン氏、安達紀子さん(通訳)

上田美佐子(シアターΧ芸術監督・プロデューサー)   本日はエトセトラ劇場のカリャーギンさんやシーモノフさんによる『人物たち』のすばらしい舞台の感動がまだ消えません。それゆえ、カリャーギンさんにチェーホフについての話を聴きたいと思って残っておられる観客の方もおいでですし、このアートコンファレンスの意図を受け止めていただいた上で、最初にカリャーギンさんにチェーホフについてのお話をしていただくことをご承諾いただきました。その後にアートコンファレンス2を行いたいと思います。進行は司会の山本健翔さんにお願いいたします。

アレクサンドル・カリャーギン(俳優・モスクワ エトセトラ劇場芸術監督・ロシア共和国演劇人同盟議長/ロシア)   皆さん集まってくださってありがとうございます。上田さんありがとうございます。このようなコンファレンスを組織してくださってありがとうございます。
 今日はちょっと早めに劇場入りしたので、先ほど上映されている映画を見たのですけれど映像が暗いものでしたね。とても残念です。と言いますのは、この映画はとても瑞々しい色彩の映画なんですよ。カメラマンの中でも最も優れたカメラマンのひとりがこの映画を撮影したのです。パーデル・レベシェフという人です。『愛の奴隷』とかその他の映画も撮ってくださった方なんですけれど、今日皆さんにご覧いただいた暗い映像に、私は本当に心臓がぐさっときて、残念です。それでも見ていただくのはいいことかなとは思いますが。
 上田さんがチェーホフを基にこういうコンファレンスを開いてくださったのですけれど、どういう意図で開いてくださっているのでしょうか。チェーホフというのはこれは宇宙ですね。もしよろしかったら、私が俳優として、演出家としてどうチェーホフを見ているのか、観察しているのかというようなことをお話したいと思います。チェーホフは何日もかかって、やっとチェーホフのある一面だけを話すことができるくらいです。ですから私も皆様もチェーホフのことを完全に理解するということはできないのですね。

■チェーホフには解き明かされない謎がある
 それぞれの世代でそれぞれの人たちが自分のチェーホフというものを発見します。世代によってチェーホフを上から下に見る人。下から上に見る人といろいろいます。それは文化によって、教育によって異なってくるものです。今年はチェーホフ生誕150年です。モスクワでも大きな国際コンファレンスがありまして、それぞれの国でチェーホフ劇の演出をした偉大な演出家がそのコンファレンスに招待されました。私もそのコンファレンスで報告しました。その中のいくつかの部分を少し話させていただきたいと思います。いいでしょうか?
 私の報告は、チェーホフは誰によっても解き明かされていない謎があるというものです。私は俳優として、演出家として、そして演劇の教師としてその謎を実際に目にしてきたということです。世界のさまざまな国で、さまざまな舞台でチェーホフの芝居が百年以上にも渡って上演されているにもかかわらず謎があるということです。
 私はかつて感激しながらボリス・ジンゲルマン(ロシア人・1928年〜2002年 演劇研究者。『テアトロ』誌に「チェーホフ戯曲の時間」「チェーホフ戯曲の空間」を掲載。他の著書に『チェーホフ演劇』など)という人の本を読みました。彼の本が日本で翻訳されているかどうかはわかりませんけれども、ジンゲルマンは本当に素晴らしい研究者です。ジンゲルマンはチェーホフだけについて書いたわけではありません。彼はチェーホフのことも書いているということです。トゥニャーノフ(ロシア人・1894年〜1943年 構造主義や記号論に影響を与えた文芸理論家、作家)という偉大な人もチェーホフについて書きました。ロートマン(ロシア人・文化研究者 『文学理論と構造主義─テキストへの記号論的アプローチ』など著者多数)も。ロートマンというのは哲学者です。単純なチェーホフのテキスト、そうですね、単純と感じるだけかもしれませんがチェーホフのテキストにはある種の謎があります。その謎の中にチェーホフの天才的な才能のコードが隠されているのです。

■舞台の上では人生と同じように単純であり複雑でなければならない
 チェーホフの劇作品を一見しますと、ありふれたものを寄せ集めています。皆さんわかりますか? わからないでしょうか? ありふれたものを集めたもの、そこから平凡な生活は成り立っているのです。このことはとても大事なので強調します。そして平凡な人々がいます。平凡な状況の中にいる平凡な人々がいるわけです。偉大なものというのは何もありません。理想もありませんし、ヒーローもいません。本当に欠伸が出るほど退屈です。何か果てしなく間延びしたように続いて行く生活です。まるで最初と終わりがないような生活です。人々がやってきます。そして去っていきます。そして恋の真似事をします。時としてピストルを撃ち合うことすらあります。でも、結果としてその人たちのやっていることは浅はかで俗っぽいようなこととして結局は終わってしまいますね。
 私はいつも聴きたくなります。「これは、いったい人間の生活でしょうか?」と。これは人間の生活でしょうか? ええ、他でもない人間の生活です。そうすると恐ろしくなってしまいます。チェーホフが誕生するまで誰もこのように書いたことがありませんでした。平凡な状況における平凡な人々の平凡な生活というのは、チェーホフ以前に書いた人はいませんでした。そういったものを才能豊かに見せてくれたとき、その場合は驚くことができます。泣くこともできます。この悲劇的なほどの閉塞、出口のない状態に対して涙を流すことができます。
 この退屈な日常生活の中における悲劇ですね。この退屈な日常生活。そこにある悲劇的な出口のなさですね。ありふれた、そして退屈な日常。そういうものは至る所にあります。アメリカにも日本にもロシアにもどんな所にもあります。それはわかりますね。これは恐ろしいことです。
 チェーホフが書いたものを読むと恐ろしくなります。「舞台の上では人生におけるのと同じように単純であり複雑でなければならない」とチェーホフは言っています。人生そのもののように単純かつ複雑でなければならない。例えば、人々がただ食事をしているとします。そのときに彼らの幸せが形作られ、また同時に彼らの生活が破壊されるということがあるのです。しかもこれを演じるわけですね。おわかりになりますか? 俳優がそれを演じるわけです。これを俳優が演じるのはとても難しいです。

■日常生活の恐ろしいほどの残酷な真実
 俳優というのは自分の姿を演じる人物によって覆ってしまいたいという人たちなのです。俳優というのは演じる人物の中に入り込んでいきますけれども、それでも自分をその中に隠しているわけですね。ところがチェーホフは、俳優が何も考えを加えず、何も色付けせず、他の人間の考えで何かを誤魔化したりせずに自分を見せろという作家なのです。チェーホフは本当に偉大で宇宙のような大きな規模をもっているのですけれども、日常生活におけるこの恐ろしいほどの残酷さの真実というものを描いています。
 私はよく自分自身に問いかけます。俳優が役を創っていく場合にコンセプトが必要であるかどうかということを問いかけます。皆さんに思い出してほしいのですが、ゴルドーニとかシェークスピアといったいろいろな作家の場合には、瑞々しく鮮やかに、非常に強力な演劇的な色彩を表現することもできます。でもチェーホフの場合は艶やかな色彩を使う必要はないと思います。演劇の艶やかな色彩という表現を皆さんはわかりますよね。
 それぞれの人物のことを物語っているチェーホフの単純な話は、単純な方法で見せなければならないのです。これはものすごく難しいことですし、そういうふうに演じるのは不可能であるとさえ思います。チェーホフの戯曲のテーマはどれでもほとんど同じようなものです。上手くいかなかった人生というものです。どの戯曲においてもそうです。
 私はすぐに問いかけたくなります。ここにいらっしゃる皆さんに問いかけたくなります。いったい誰の人生が上手くいったというのでしょうか? ここにいらっしゃる皆さん一人一人に話しかけています。どなたの人生が上手くいったというのでしょうか。私は確信しています。こういう問いかけを一度として自分にしなかった人間、自分の人生はもしかして無駄だったのではないかということを一度も考えなかった人を見付けることはできない。もっとも成功をおさめた人物の中にさえ、そういう問いかけをしなかった人間を見出すことは不可能だと思います。ワーニャ伯父さんの人生は上手くいきませんでした。セレブリャーコフの人生も上手くいきませんでした。ラネフスカヤも、トロフィーモフの人生も上手くいきませんでした。たくさんの登場人物の名前を挙げていくことができます。
 チェーホフの主人公というのは、偉大な人たちではありません。彼らの中にはいろいろなものが混ざり合っています。少しだけヒロイズムがあります。少しですよ。ちょっとばかりセンチメンタルもあります。少しの無関心、少しばかり野心があります。少しの情熱があります。こういったものが混じっているのです。これらの人たちは退屈しています。欠伸をしています。必要に応じて哲学談義をします。よりよい生活にあこがれています。結果的には何ひとつとして成し遂げることはないのです。何も成し遂げていないのです。でも、いろいろなことを話したり、討論をしたりしています。哲学談義をしています。そしていろんなものが彼らの中で交じり合っています。

■第3幕は抵抗という爆発
 私は、チェーホフは聖書とさえ論争している気がします。聖書は私たちに選択しろと呼びかけています。自分を世界の中に位置づけろと、自分の罪と戦えと聖書は呼びかけています。チェーホフは生活がよりよくなるということを信じる心さえも打ち砕いてしまいます。チェーホフは恐ろしい宣告を人間にくだしました。その宣告というのは、人間の意識をひっくり返してしまうようなものです。
 チェーホフはいつもこのことを書いているのですが、天才とかヒーローというのは一握りの人間たちだ。その他の人たちは何も変えることができない人生というものを運命付けられている。チェーホフは革命を起こしました。そして人間存在が本当に宇宙規模に匹敵するくらい恐ろしいものだという発見をしました。チェーホフが発見したことは、人間はよりよくなるということはあり得ないのに、それにもかかわらずより良いものを目指さなければならないということです。そういうことを知りながらも私たちはみんな生き続けなければならないのです。人間は反抗し、閉塞空間から抜け出ようとしますけれど、すべての努力が空しいのです。
 チェーホフの戯曲を読みますと登場人物たちは第3幕において積極的に行動しはじめます。第3幕目というのは反抗、抵抗ということですね。何かを決める、何か自分を邪魔するものを打ち砕いて何かを決めていく。そして第3幕において人生を見直すということがあります。一瞬の爆発というものが起こります。緊張が高まっていままで溜まっていたものが爆発するわけです。自分の人生は上手くいかなかったという認識、それを短い間に認識するのです。夢は実現しなかったと。日常生活、平凡さ、ありふれたことに対して抵抗しようとする試みがあります。でも何も変えることはできないのです。そして誰もが同じ所をクルクルと回る人生を送らざるを得ないと悟ってしまうのです。
 第3幕というものは第1幕と第2幕の文脈でとらえていかなければなりません。第1幕と第2幕は、非常に退屈で間延びして単調なものですけれど、第3幕に急に爆発が起こるわけです。第4幕になりますと、それを受け入れるということが起こります。知恵のある、しかしながら悲しい悟りです。ほとんどエクレジアスト(旧約聖書の登場人物)のように。あったことはあったことだし、これから起こることはこれから起こることだという悟りです。もう変えることはできない。すべての試みは意味がなかった。何かを変えることなどできない。もう出来上がってしまった世界秩序の中で何ものも変えることはできない。
 古代から20世紀に至るまでの劇作品においては善と悪の葛藤の上に戯曲が成り立っています。すべての古典的な作品の中では主人公たちは正義の名において、愛の名において、弱いものを守るという目的のために戦うわけです。彼らは悪と戦います。
 ところがチェーホフの主人公たちというのは自分の平凡で退屈な人生に抵抗するのです。俳優は自分の人生に内から完全にそういうものをもち込んで演じなければなりません。俳優の内面に自分自身の十字架がなければなりません。俳優は自分自身を、自分の人生を理解しなければならないのです。自分自身の最終目標を理解するというところにきて初めてチェーホフを演じることができるわけです。人生が空しいということ、また死は避けがたいという重苦しい考え方なしにチェーホフを理解することは不可能だと思います。

■本番には、毎回その時の自分自身をそのまま持ち込む
 チェーホフ劇を上演しなければならないというたったそれだけの理由で、様々な劇場でチェーホフが上演されているとしたら、それは歪曲であると私は確信します。退屈以外の何ものをも観客は期待することはできません。チェーホフ劇が上手く演じられるのは俳優たちが同じようにエネルギーを持っているときであり、俳優同士の心が触れ合っているというレベルに達するくらいハッキリとお互いを感じ合っているときのみ、チェーホフ劇を上手く上演することができます。
 チェーホフの世界というのは幻想の世界です。チェーホフの登場人物たちは良い人だとか悪い人だとか、ハッキリと定義づけてしまうことはできません。彼らを憎むことができます。でも愛することだってできます。チェーホフ劇は俳優の紋切り型の演技で演ずることはできません。例えば、俳優がいつもやっているようなやり方は、考えついて役を組み立てて、そして客の前で演じてみせて、少し緊張するけれどその後はもう落ちついて演じることができるというものです。
 チェーホフ劇の場合はこういうことをしてはいけません。いつもやっているようなやり方でチェーホフを演じることはできません。ジンゲルマンはこのチェーホフの登場人物たちの揺れ動く状態を非常に的確に描写しました。すべてが不安定、輪郭を捉えることはできない。いつも変化している。悲劇的なものが喜劇的なものになる。逆に厳しいものが何か同情を誘うようなものに変わる。高尚なものと低俗なものが混じり合って境界線がぼやけてしまう。こういった不安定な幻のような雰囲気を正しく捉えない限りはチェーホフを本当の意味で演じることはできません。
 最近、私はたくさんのチェーホフ劇を見ました。とにかく酷いものでした。その演出家の鉄のような厳しい鍵や俳優のあつかましい鍵によってチェーホフをこじ開けるとか、非常にはっきりとした厳しい形式の中にチェーホフをはめ込むのは困りものです。チェーホフの主人公たちは、俳優たちのそういった形式ばった演技とかとは相容れないものです。
 俳優が、チェーホフ劇の本番の中に入っていくときには、毎回毎回自分自身をそのまま持ち込まなければなりません。もし気分が悪かったらそれを持ち込みますし、妻と喧嘩した場合はそのままチェーホフ劇の中に入っていきます。例えば病気であるとか、痛みがある場合はそのままそれを持ったままチェーホフ劇の中に入っていきましょう。
 例えば俳優が、悲劇喜劇を演じるときはその気分にふさわしいものに自分を変えるということをします。例えばよい気分を壊して悲劇の中に入っていく。あるいは悪い気分はそこにおいて喜劇の中に入るということをしますけれども、チェーホフの場合はそういう演じ方をしてはいけません。今朝起きた気分のままにチェーホフ劇の中に入らなければなりませんし、また劇場に来たときの自分の気分を、そのまま持ち込まなければなりません。そうすることで、チェーホフ風にチェーホフのテキストの中に入っていくことができるわけです。
 チェーホフの登場人物というものは不安定ですので、いま自分の気分を壊してしまうことではなくて、例えば妻と喧嘩をしたとか、兄弟と喧嘩をしたとか、友達が自分をわかってくれなかったとか、もしそういうことが起こったならば、その気分を持ったままチェーホフ劇の中に入るべきなのです。

■医者チェーホフなくして、作家チェーホフは生まれなかった
 それからチェーホフ劇は俳優の技術のみで演じてはいけません。そういうことをしますと、チェーホフの作品は私たちに抵抗してきますし、チェーホフの作品が壊れてしまいます。いつもの演出家のやり方、俳優のやり方というのはチェーホフ劇を演じる際には適していません。他の言い方をしますと、チェーホフの戯曲の難しいところは、平凡な人間を平凡に、そして才能豊かに演じなければならないということです。
 ロシアではモリエールやゴルドーニも勉強するのですけれど、チェーホフを演じることに比べれば、モリエールやゴルドーニを演じるほうがずっと簡単です。シェークスピアでさえチェーホフを演じるよりは簡単なのです。私たち俳優には長い時間をかけてつくってきた演じる際の道具がありますけれど、その道具をもってチェーホフを演じることはできません。チェーホフを演じる際にはもっと繊細で精巧な道具を持って演じなければなりません。その道具というものは人から見えるものであってはなりません。
 チェーホフはいかに生きるべきかということを私たちに教えたりはしません。チェーホフはただ単に人生というものを刻み付けるわけです。私は確信しているのですけれども、医者チェーホフなくして作家チェーホフは生まれなかったと。医者としてチェーホフは人間のことをすべて知っていました。医者としてチェーホフは神が不完全な人間を創造したということを知っていましたし、そういう人間のすべてを感傷的にならずに見つめていました。チェーホフは世界というものを知っていましたので、チェーホフは厳しくなり、そして勇敢になるという資格を持っていました。それ故にチェーホフはシニシズム、ニヒリズムというものを持っていましたけれど、それと同時にチェーホフは人生の価値を認め、その人生の価値というものに喜びを見出すことができたのです。
 この辺で終わりにしたいと思います。私は1時間でも2時間でも話し続けることができるのですけれど、この辺で私の話を止めたほうが賢いかと思います。そうしないと私は夜中まで話し続けてしまいますから。












会場からの質問に応えるA・カリャーギン氏

観客・女優A   チェーホフ劇を演じるときにその日の気分をそのまま持ってきて演じなければいけないとのお話でしたけれど、そうしたときに、いろいろな役者さんがやるわけですから、それを相手役が受けたときに芝居がどこにいくのかわからないということは起きないのでしょうか?

A・カリャーギン   私はチェーホフを演じるときは、心が触れ合っている俳優同士が心が触れ合っている状態で演じなければならないとお話しました。チェーホフを演じる俳優たちというのは結婚して長い間経っているような夫婦のような関係です。年齢を重ねた両親を想像してみてください。彼らは自分たちの関係がどうであるのかということを確かめる必要はありませんね。心が触れ合っているわけですから。年配の女性は自分の年配の夫が何を望んでいるのか、逆に年配の男性は自分の妻である年配の女性が何を望んでいるのかということがわかりますね。そして彼らはとても自然に生活しています。自分の人生のドラマ性というものを変えずに生活していくことができます。わかりますか?

観客・女優A   わかるような気がしますけれども、例えば役者と演出家の関係は、役者同士のそのときの気分とかでテキストをやってしまうということで、チェーホフ劇というものはそういうものだと考えていらっしゃるんでしょうか?

A・カリャーギン   あまりよくわからないのですが。

観客・女優A   たとえば演出家が、テキストをこのように演じてほしいというような演出をしたときに、役者の気分がそうでないときに演出家の意図と違ってしまうというようなことが起きないのかなと思ったのですが。

A・カリャーギン   もう一度説明します。例えば俳優と演出家ということにしましょう。俳優と演出家が仮に夫婦であるとしましょう、わかりますか? この俳優と演出家の夫婦がシェークスピアやモリエールを演じることは簡単だと思います。そのシェークスピアやモリエールだと、俳優の技術というのが必要かもしれません。ところが心ということになるとたくさんたくさん演じなければなりませんし、たくさんたくさん練習しなければならないということです。
 ただ単に上手くいく芝居ということであれば、そういう芝居もあるかもしれません。仮にいま何をやっても拍手してもらえるという状況があったとしても、本当の意味で上手くいった芝居を演出するのならば、演出家が俳優に、これをしなさいというようなことで芝居をつくったらチェーホフ劇は上手くいきません。ちゃんと練習していかなければなりません、稽古をしていかなければなりません。しかも、何年もしなければなりませんし、ロシアでよくいうようにお互いの臭いを感じ合うくらいにお互い解り合っていないとチェーホフ劇を演じることができません。チェーホフをやるからやるんだということでチェーホフ劇をやるとしたら、とても不条理なことになってしまいます。例えば、厳しい形式の中にチェーホフを入れ込むとか、構成主義のようなやり方でチェーホフを演出するというのがありますけれど、私はそういうものには賛成しません。
 お分かりいただけたかわかりませんが、もしかしたら日本語に通訳した場合にどこか伝わり切らないところがあるのかも知れませんし、私にはこれ以上ご説明するのは難しいです。
 モスクワ芸術座は最初にチェーホフ劇を演じたわけではなくて、『皇帝ピョートル』という芝居から自分たちの演劇活動を始めました。『皇帝ピョートル』だけではなくいろいろな芝居を試みた後に、チェーホフの芝居『かもめ』を上演したわけです。これはモスクワ芸術座の話です。
 モスクワ芸術座には、モスクワ芸術座の神様がいました。つまりそれはスタニスラフスキーですね。もうスタニスラフスキーの場合は心で理解することができました。モスクワ芸術座の劇団員らはスタニスラフスキーという神様の言葉を聴くことができたし、スタニスラフスキーが何を欲しているのかということを理解することができたわけです。そういう場合にはチェーホフの戯曲について、わざわざ説明するまでもないということになりました。
 もう一度強調しますけれど、平凡な状況、平凡な人間、平凡な人生を演じるのは最も難しいことです。例えば、あなたがはっきりと自分の人生を変えようと思って、自分の人生と戦うとしますね。ところがあなたを取り巻く状況のほうがあなたよりも強いということがよくあります。それを受け入れるということはとても難しいです。あなたが平凡であること、平凡な人間であるということを受け入れるのは難しいことです。でも、そうなんですよ。

観客・女優A   わかりました。とても難しいことだと思いますけれど、興味深いと思いました。

A・カリャーギン   例えば、よい俳優、名優、スター、大スターというものに、平凡な人間を演じてみろと言いますとそれはもうできないことなのです。彼はもう筋肉隆々ですし、ものすごく俳優の技能を持っています。そういうものは全部いらないから、俳優の技術、演技力、形式というものを捨てなさい、そして心で演じなさいということを言われるととても難しい。スターというのはチェーホフの役を演じることができないわけです。

* * *


鎌田東二 (宗教学者・京都大学こころの未来研究所)   2つの体験だけ話たいと思います。1995年、いまから15年前に、私は埼玉県大宮市に住んでいました。大宮の家の近くのゴミ捨て場にビニール袋に入れられた猫が捨てられていました。ビニール袋の中に入った猫は4匹。そのゴミ捨て場に捨てられていたその猫たちを私の妻が拾ってきて飼い始めました。いま15歳になります。
 4匹いた内の2匹のオス猫は死んでしまいました。メス猫の2匹が生きています。1匹は貰われていきました。もう1匹は我が家で飼っています。その4匹すべての猫が障害を持っていました。貰われていった猫は三毛猫なんですが、身体半分が真っ白、我が家の猫は眼球そのものがありません。眼の玉そのものがありませんから、生まれつき盲目です。
 しかし一緒に15年住んでいて、家の中でぶつかることはありません。私たちは猫をいじめたことが一度もありませんから、その猫は威嚇するというようなことがありません。動物や他の猫が入ってきたら普通の猫は威嚇します、ウーとかオーとか。ところがココという名前の我が家の猫はそういうことがまったくなく、すりすりと近寄っていきます。相手は威嚇しています。でもすりすり寄っていって最後はバスケットの中で寝てしまう。どの猫が来ても同じ態度です。
 その眼球のない猫と15年間住んでいますが、私のグル(師匠)はその猫ちゃんだとずっと思ってきました。この猫から学ぶことが僕にとっては生きるということの一番シンプルな倫理のようなものです。自分の中に攻撃心を本当に持たなかったときに相手と仲良くなることができるということを身をもって彼は教えてくれました。向こうの方が攻撃したときにうっとなって脅えたり、噛まれるということに対して抵抗したとすれば、そこからひとつの殺意というか戦いみたいなものがおこります。
 しかし、我が家の猫はそういう仕草をしない。これはいったいなぜなのか僕にはわかりませんけれど、普通の動物としての本能、戦うということが生きる姿のひとつだとすれば、そういう生きるということの何かが欠けているのか、あるいは超えているのか。私はその猫ちゃんからいろいろなことを考えさせられる。僕にとって日常の中で倫理ということを考えるときの一番の基本はその猫とともにあることです。
 もうひとつの体験です。私はいま京都に住んでいます。京都で一週間に一回、比叡山を850メートルくらい登り下りします、自分の家からですね。そして毎週一回ずつ比叡山の中に入ります。夜森に入ることもありますけれど、そのときに懐中電灯は持ちません。なぜ私が懐中電灯を持たないで夜の森の中に入ったりするのかというと、極小の道具さえ持たないとしたならば人間はどういう存在であるのか。そのとき人間は生きることができるのかということを、自分の身をもって知りたいという気持ちがあるからです。靴をはかないと私たちは山へ行けません。パンツや服を着ないと山へ行けません。懐中電灯を持たなければ本当に夜の山の中を転びまわるような状態です。道具がないと何ひとつ人間らしいことができない。あるいは普通に行動することができない人間の姿というものを身をもって知るということが僕にとって倫理ということを考えるもうひとつの手がかりです。
 猫ちゃんは身ひとつで生きています。何も着物とか着ているわけではない。とてもシンプルだけれどもデリケートです。私はたくさんのものを身に着けています。けれどもすごく野蛮になっているということを強く感じます。そして山の中で鹿とかサルのような動物に出会います。動物と出会ったときにどこまで敵対せずに近づくことができるのかということが私にとっての課題で、私にとって自分の中に生きる姿のシンプルな倫理が実践されているのかどうかをテストするには、動物と自分がどれだけ近づけるのかということに尽きると思っています。でもなかなかそれはできません。

山本健翔 (演出家)   生きものとしての人間のことをつなげてお話いただきましたけれど、前回面白いお話された若松先生はいまのお話を受けながら、お話を少し発展していただけますか。

若松美黄(舞踊学・筑波大学名誉教授・現代舞踊協会理事長)   私は演劇というよりも舞踊家として語っています。舞踊家の場合はいろいろなマナリズム(身体の癖)があります。身体で覚えなければならない動作を繰り返します。理由もわからずに小さい頃からお辞儀の仕方とか。そういうひとつのエチカの領域を持って育ってきます。エチカの中でも社会的な無意識の領域をかなり背負っているということです。どうしていいかわからないけれどもその社会的な無意識の領域に反するような行動はなかなか出来ない。反すると社会的に順応できなくなる。
 それと同時にもうひとつ、自分の人生の選択をするということの二面性がある。自分の人生の選択を主体的に捉える場合と、それを社会的に押し付けられる場合と両方をごっちゃにしていて、前回のアートコンファレンス1の話し合いでは自分で自分の人生を選ぶ人についての話がどんどん進んでしまいました。でも日本人は本当に自分の人生を選べるの? 自分で選んでるの? 選ぶ行為にすでに日本的な趣向があるので、チェーホフについて話し合うとき、その辺りの食い違いが少しあるのではないのかという話をさせていただきます。
 特にダンスの場合には山ほどのマナリズムがある。上位のソリストと若いデビューしたばかりのダンサーが舞台にいるときには、動作、身体の向きひとつ、厳しい風習があり、上役と下役との例では、初舞台の人は神経がスリヘル。自分が選択するという前にダンスの風習がある。おそらくは、大家族の時代にはその風習が理解される前提が残っていたのですが、いまはだんだんそれが消えてきている。しかし一方で、舞台の組織に残ってもいる。それもまたひとつの時代の進み方で、昔よりもどんどんエチカが縮小していると思います。
 素晴らしい作家が書いた作品を読むことによって、意識的に社会全体のエチカ志向を高めることは、現代求められていると思い、これに大賛成です。さっきの猫の話もそうですし、僕らが知らない領域の中に閉じ込められて、しかもそれが他人に対しての加害者の暴力にもなり得る要素を持ちながら、一方では自分がどう生きるのかという両面を持たざるを得ないので、この問題は、ある陰影があることを、少し付け加えさせてください。

レオニード・アニシモフ(演出家・東京ノーヴイ・レパートリーシアター芸術監督/ロシア)   アートコンファレンス1の会議のときに、中村先生がおっしゃった方向性がすごく気に入りました。中村さんはお見受けしたところソフトな方ですよね。でも、中村さんが伝えた問題というのは非常に厳しいものでした。人類というものがすべてのエチカを破壊しているのではないか。いま文明と人間の進化というものは退行している。まったく逆の方向に向いている。これは非常に重要な問題です。
 でも、現代文明というのは歴史的にみたら本当に短いものですね。生きものの進化は38億年の歴史があります。現代の科学文明の歴史は200年くらいです。つまり、現代科学というのが生まれたのは、ほんの最近のことです。でも現代科学がどんどん活発に働いていく。非常に多くの技術改革がありますし、戦争が激しくなっています。科学よって兵器が作られます。科学が人間の肉体の生活のためにいろいろな物を発明しています。車や建築物や飛行機などは肉体のためのものです。工場も数限りなくあります。これらは私たちの肉体を補うためにつくられています。私たちの肉体のためにだけです。肉体のための文化というのは非常に高度になっています。10万人が一同に会せる競技場があります。これは肉体的、身体的な文化を、スポーツ選手を見るためにつくられたものです。これが文明がつくってきたものです。
 ところが、この文明の進化によって人間はだんだんと内面にアンバランスを感じ始めている。チェーホフはそこに気付いているのではないかと思います。チェーホフ以前にそういうことに気付く人はあまりいなかった。例えばシェークスピアの『ハムレット』のような人です。たったひとりの人間が自分の内面を観察し始めていろいろなことに気付きはじめました。そのハムレットというたったひとりの人物について何千もの本が書かれています。チェーホフは我々一人一人が皆ハムレットのような人間であると。外見の行動とかいろいろな活動を見ているのではなくて、一人一人の内面がどう動いているのかを見ている。そこにチェーホフの倫理があるのではないかと思いました。
 しかし、そこには問題があるんですね。解決策をどう見つけるべきなのか。この不調和、アンバランスさがどんどん大きくなっている。しかもチェーホフの登場人物以上にいまの我々の方がアンバランスさが大きいのです。地球上に多くのいろいろな災害が起こっています。地震や洪水、いろいろな災害が地球上で起こっている。ヨーロッパでは大洪水が発生したり、いっきに気温が高くなったり、アメリカではハリケーンがどんどん発生しています。つまりどこにでもそういう問題がある。我々の内面にも問題がたくさんあり、自然の中にも問題がたくさんある。私はそのように中村さんのおっしゃったことを理解しました。しかも現代では財界人も政治家もその解決策を誰も提示していませんね。政治の世界にも危機があり、経済的にも危機状態。でもやはり我々は何か解決策を見付けて行かなければならないのではないかと思います。だから、エチカというテーマは我々にとって非常に今日的なテーマなのです。

イ・ジェサン(俳優・演出家/韓国)   この会場には私よりも長く人生を生きていらっしゃる方たちが多いと思いますが、私は個人的に20代が一番不幸だったと思います。いまはそのときに比べればずっと幸せだと思います。人生がどういうものなのかを認識し始めたのが20代の頃からですけれど、人間や世界がこうであってはいけないと口惜しく思っていたのが20代です。
 しかしながら、世界を変えるためには私の力では弱過ぎます。そのことを私は個人的に20代の絶望と呼んでいます。それはともかくいま世界が変わったのか、変えなければならないことが残っているのかと考えれば、変わってはいないです。20代のときになぜ私が不幸だったのかというと、人間は信じられる存在であり変化できる存在だと思っていたのに、それができないことを認識してしまったことの不幸だったと思います。
 私は10年ほど前から人間をそれほど信じなくなりました。人間を信じないというよりは、人間という存在は信じることができない存在だということですね。先ほどのワーグナーの話にもありましたけど、人間というのは完璧な存在ではないし、信じられる存在でもないということです。昔の東洋の話ですと、人間は自然の摂理の中にいなければならないという話があります。でもそれは19〜20世紀で大きく変わりましたね。
 人間はどうして傲慢なんでしょう。それは人間が他の生きものより優れた能力があるという考え方でいたからだと思います。私は個人的に人間は優れている可能性があると思います。少しだけ未来を準備することができるということです。他の生きものよりも少しだけ広い視野で未来を見ることもできます。果たして私たち人間はその優れた能力を高潔に使っているのかどうか。
 他の生きものは、自分の必要以上に理想を追い求めたりはしません。人間は求めるもののために他の生きものを破壊したりしますね。それがもし人間の欲望のためだけに他の生きものを破壊するというのであれば、それでは動物よりもさらに劣るということになります。
 私は芸術家や哲学者が優れた存在というよりはそれは職業に過ぎないと思っています。私たちがここで考えている倫理というものは芸術家の倫理というだけではなく、すべての人間の倫理だと思っています。人間というのは信じられる存在ではあり得ませんが、全体を考えることで優れた存在になり得る可能性があります。自分が理解していることを伝えて実践することが倫理だと思います。
 最初の話に戻りますと、天才的な才能があったとしても人間的に問題があるという芸術家は、やはり人間であるからこそ不安定なんですね。その人は芸術的なことだけできる人なのかもしれません。そういうことも残せずに人間的に壊れている人もいます。それはそれとして受け入れられなければいけないのではと思います。

イ・ジェサン氏

『さくら の その にっぽん』 アフタートーク
多和田葉子作 ルティ・カネル演出
(2010年11月23日)

 『さくら の その にっぽん』はシアターΧ4年がかりのプロジェクト。チェーホフ生誕150年の今年、作家多和田葉子(ベルリン在住)がチェーホフの『桜の園』から想を得て、全編ひらがなによる戯曲を書き下ろし、イスラエルの演出家ルティ・カネル(テルアビブ在住)が演出する試み。2010年11月17日〜23日に7ステージ上演。約128の客席は、舞台を中央に挟んで対面する形になっている。その舞台は客席とフラットな高さでリノリウムが敷かれているだけの何もない舞台。
 千秋楽後に企画メンバーの多和田葉子、ルティ・カネル、佐藤京子(パリ在住、翻訳家・演劇評論家)、上田美佐子(シアターΧ芸術監督・劇場プロデューサー)とアヴシャローム・アリエル(音楽・演奏)、出演者14名に通訳・演出助手の大谷賢治郎が出席してアフタートークが開催された。ほとんどの観客がアフタートークに参加し、アフタートークのために来場した人も少なからずいた。

●上田   皆さん、今日は『さくら の その にっぽん』を観ていただきまして、どうもありがとうございました。アクターとムーヴァーの出演者全14名も参加いたしますのでよろしく。中央に座っている4人は本作品の企画のメンバーですが、佐藤京子さんはパリから今朝、成田へ到着されたばかりです。
 今日は千秋楽ということで、まだ興奮が残っていますが、こうして皆さんが集まっておられますので早速一緒に話し合いを始めたいと思います。客席の皆さんの中から何か尋ねてみたいことがありましたら挙手してください。出演者のアクターやムーヴァー、演出家、作家を含めてみんなで話し合いをしていきたいと思います。
 最初には手を挙げづらいと思いますので、沼野さんがいらっしゃいますので僭越ながら指名させていただきます。ご意見を聴かせていただきたいと思いますが…。

●沼野充義 (東京大学大学院教授 ロシア・東欧文学)   実は2010冬号「文藝」でテキストは拝読していたのですが、そのテキストがこういう舞台になるということを目の前で観て、演劇というのは凄いなと思いました。そこで多和田さんに一つ質問をしたいのですが、このテキストはひらがなで書かれていますよね。ですからテキストをひらがなで読むという経験を読者に味合わせるわけです。けれどもテキストが音声化されて演劇になると、そのひらがな性というのはどうなるのか。つまりテキストをひらがなで書いているということの意味と、演劇として実際に音声化されるという関係について多和田さんの頭の中に何があったのかなと思いました。

●多和田   いろいろあるんですけれど、たとえ日本語を母語とする人でもひらがなで見ると、普段知っている言葉だとしてもそれを見た時に驚きがあると思うのですね。稽古をして最終的にどういう演技になるのかは、演出家や俳優の皆さんにお任せするにしても、最初にテキストに出会った時に漢字をパッと捉えて意味だけを喋り始めるのではなくて、ひらがなの文字に出会った驚き、文字を音にできる驚きを感じることを出発点にして芝居をつくったら面白いと思いました。
 漢字の不思議さは誰にでも分かる不思議さだと思いますけれど、ひらがなをボヤンと見ているのとは異なる不思議さだと思います。それは文字が音になり得る不思議さだと思います。ルティさんはひらがなを全部読めると教えてくれたので、それじゃあルティさんがテキストを手にした時に読めるものを書いてみたいなということもあります。
 以前、ボブ・ウィルソンがハイナー・ミュラーのテキストを演出したのをテレビで見た時に、彼がドイツ人俳優たちに対して「私はドイツ語があまり分からない。あなた方も自分はドイツ語が分からないという想定で話してみてくれないか」と言っているのを聞いて面白いなと思ったことや、いろいろなことを考えながらひらがなで書いてみました。

2010年11月23日
『さくら の その にっぽん』
アフタートーク
作:多和田葉子
演出:ルティ・カネル
(右から佐藤京子、多和田葉子、ルティ・カネル、大谷賢治郎)

●沼野   普段、我々は日本語のテキストを読む時は漢字やかな混じりに慣れていますので、全てひらがなのテキストは多くの人たちにとってとても読みづらいと思うんです。それでも読んでいる内にいろいろなことが見えてくるわけです。例えば、言葉遊びが曖昧模糊としてどういう意味を持つのか分からなくなるんです。今日の舞台を観ていると、言葉遊びがガンガン頭に入ってくるという感じです。ひらがなについて、テキストの場合と演劇の場合は効果が違うような気がしてとても面白かったです。
 それからいろいろな名前が出てきます。「はじめ」「ふたば」「みみ」。それは1、2、3ということで非常に分かりやすいのですけれど、「たなか」はやはり田中角栄のイメージなのかなと思いますが、「かめた」というのは何か意味があるのでしょうか。

●多和田   かめたさんは、ゆっくりしたイメージがある。時間の流れがこの人は違うということです。すごく単純なんですけれど亀はゆっくりなので。今日の舞台もかめたさんが話すと時間の流れが少し変わりましたが、そういうイメージで書きました。たなかについてはノーコメントです。
 それからひらがなを読む時は非常に苦労する。声に出してみてどういう意味かなと、迷いながら読んでいる感じは、例えば外国語の授業で外国語を読んでいる感じとちょっと似ています。外国語と言ってもヨーロッパ言語のロシア語だとか、ドイツ語だとか、フランス語などですね。読んでも意味が分からない言葉が、声に出してみたら分かったりする。そういう戸惑いと似ています。漢字が混じったテキストとはとても違った読書感覚です。テキストの手触りはとてもまどろっこしいけれども、私はそれが好きだったりします。そういう感じを再現してみたいなと、そういう気持ちがありました。

●佐藤   私はこの作品の企画メンバーなんですけれど、今日初めて舞台を観ましてミステリアスな部分がありましたので、俳優のみなさんかあるいはルティさんに伺いたいのですけれど、例えば多和田さんがおっしゃったように言葉遊びにしても声に出してみないと、どういう意味なのかハッキリしない部分がありますよね。今回は演出家が外国の方ということで、俳優の皆さんで声を出しながらつくっていったのか、一人一人で探していかれたのか、その舞台裏と言いますか台所を知りたいなと思います。

●谷川清美(ふたば役)   稽古が2ヵ月半もあっていろいろなことをやってきたので、稽古初期の記憶がすぐに出てきません。でも、演出助手の大谷さんが日本語についてルティさんを助けた部分もあったんじゃないでしょうか。
 私たちもテキストを手にした時、とても読みづらくて、いろいろな意味にとれますし、漢字に当てはめるにしてもいろいろな漢字が当てはまるものですから、とても自分の国の言葉とは思えない感じがありました。

●真那胡敬二(かめた役)   僕は最初にテキストを読んだ時には、いろいろな捉え方があるなと思ったんですけれど、2回目に読んだ時には、もう意味を理解しようとして最初の驚きが一度消えたんですね。そのまま稽古していると、またひらがなで書かれていることは何だろうと考え始めました。ひらがなとひらがなの間の隙間とか行間とか、その大きさとか「、」がある意味とか、そのことをみんなで話し合ったりして、テキストを読んでいる内にきっと何か意味があるに違いないと思ったり、また別の意味があることを発見したり、そのことを楽しんでみようと思ったりしました。

2010年11月23日
『さくら の その にっぽん』
アフタートーク

●ルティ   2ヵ月半稽古してきましたので、稽古を開始した頃を思い出さなければいけないです。多和田さんの言葉の使い方は非常に興味深かったのですが、私たちにとってとても大変な部分、ある意味で本質的な部分がありました。
 通常、私たちは論理を簡単に理解し過ぎてしまう傾向があります。ですが、私たちが理解するということはもっと深いものです。そういう理解に至るためには、普段しているように物事を理解する行為を壊す必要があります。ひらがなのテキストは流ちょうに読めない状態で書かれていますので、単純に読むという行為に邪魔が入る感覚です。ですから私は積極的に関わらなければなりませんでしたし、基本的なレベルのところに注意を払わなければいけませんでした。何か意味を成す前の音であったり、リズムであったり、それは私たちが普段合理的に考えている意味を超えています。ですからプロセスの中で新しい意味を発見していきました。
 俳優たちは稽古の前にテキストを読む段階で、普通なら何かを理解できるんじゃないかと思いますが、でも私の考え方ですと、理解したと思いこむことで感覚の麻痺することがないようにしてほしいと思います。
 俳優たちはもう忘れたかもしれませんが、最初の稽古では、テキストの言葉を逆さまから読んでみるということをしました。自分なりに納得したい、理解したいと欲することに対して、それと反することに挑戦してみることです。それが佐藤さんに対する応えです。

●上田   逆さまに読むってどういうことですかね。

●ルティ   例えば三幕で、みみがお皿で言葉をつくる場面がありますが、お皿の裏には「う」「ま」「れ」「ま」「し」「た」という文字が一皿ずつに書いてあります。それで「うまれました」から「まし」を抜いて「うまれた」にしたりとか、「うれた」になったり「うた」になったりとか。ただ、そのことが観客の皆さんに対する直接的なコミュニケーションになり得ないこともあると思います。今日ご覧になった皆さんにコミュニケーションとしてどこまで伝達できているかは別なんですけれど、稽古の中ではそういうやり方で言葉と関わっていきました。

●多和田   私も稽古を見ていないので質問があります。俳優さんたちの演技は素晴らしかったのですけれど、ムーヴァーたちの動きはすごく面白かったです。あの動きはルティさんが考えられたんですか。

●ルティ   まず、テキストを読んだ時にいろいろなレベルで登場人物を反映する別の人物が必要だなと考えたわけです。一行目を読んだ時に、飛行場を舞台にしていることに非常に興味を持ちました。空港は人々の出入りの激しい場所で、誰も留まることはありません。誰かが入ったら、誰かが出て行くところです。日常の生活を一度止めてしまう場所です。ですから、ある意味で自分自身と向き合える場所が空港です。ムーヴァーは往来する人々になったり、どこかへ向かう人々になります。要するに過去でも未来でもなく、現在にしか存在しない、現在を生きている存在としてムーヴァーを登場させたわけです。

2010年11月23日
『さくら の その にっぽん』
アフタートーク

●四方田犬彦(明治学院大学教授・比較文学)  私も空港という設定が素晴らしい着眼点だと思いました。失礼ながら私は多和田さんの原作を読んでいないんですけれど、原作の設定が空港なんですよね。私は原作がひらがなで書かれていることは知らなかったし、実はこの舞台を観ている時は、原作がひらがなで書かれているということを全然意識していなかったんです。私はフランス語や英語を読む時、なんで速く読めないんだろうと思います。それはみんなひらがなで書かれているからなんだと思えるんですね。つまり、日本人は漢字があるから日本語を速く読めるんです。
 私は韓国語も時々読みますが、ハングルも要するにひらがなですね。ですからこの芝居はハングルで書かれているのと同じで、韓国人はみんな同じ体験をしているんですね。逆に言えば、日本語のテキストを使って日本語の意味の分からない外国人によって芝居をつくることは、非常に意味があると思うのです。
 例えばフランスで言えば、ステファヌ・マラルメ(Stephane Mallarme1842年〜1898年、19世紀フランスの象徴派の系譜に入る、アルチュール・ランボーと並ぶ代表的詩人。代表作に『半獣神の午後』『パージュ』など)という難解ですがフランスの誇りのような詩人の詩を、ある映画作家がアルジェリア人と中国人とベトナム人だけで朗読するというドキュメンタリーを撮っていて、それは非常に政治的なものだと思いました。この作品がひらがなで書かれたということは文学作品としては非常に強い回帰力、異化効果を持っていると思いますが、それが舞台作品として話し言葉になった時に、観客にどれくらい衝撃を与えるのかはちょっと分からなかったです。私自身が鈍くて気が付かなかったのかもしれないですが、書き言葉の反作用と話し言葉の反作用とは違う次元にあるんじゃないのかと思うのです。

●多和田   多分、漢字で書いた場合に同異義語は、話し言葉にすれば抑揚によってすぐに分けられると思います。「橋」と「箸」のようにね。ひらがなで書かれている場合はどちらでもあり得るけれど、どちらでもない揺れるような抑揚で、どちらか分からないくらいの発音の仕方というか、そういう話し方は、この芝居ではみみの台詞の中に残っています。他の人たちの台詞に、そのことは表だって出てきていなかったかもしれないけれど、そういう芝居だったのかなと。ただ、私はみみの台詞を聴いていて、ひらがなで喋っている感じがしました。

●四方田   みみは面白いと思います。とても印象に残りました。だいたい役者さんの名前がキム・テイと書いてありますが、例えばキムティと発音したらヨーロッパのモデルさんみたいな感じがするわけですね。でもキム・テイと発音すれば韓国人だと分かるわけです。みみという存在は多和田さんの指摘通りだと思います。
 しかし、私の感想としてはテキストがひらがなで書かれたことよりは、空港を設定したことに非常に大きな印象を受けました。つまり、空港というのは人々が自由に入れたり出たりする場所では全くないわけですね。ある場所に行く者が選別と排除をされるところです。
 私はルティさんの出身地であるイスラエルに滞在したことがありますが、パリの空港からイスラエルのテルアビブ空港に向かう人たちは特別に遠く離れた部屋に連れていかれるんですね。つまり、ニューヨークや東京へ向かう人たちとは違う遠い場所に隔離されるわけです。そこでいきなり質問をされるわけです。「どうしてイスラエルに行くのか」と。要するにテロリストじゃないのかという疑いから何度でも質問されるわけです。やっと飛行機に乗ってイスラエルに到着したら、テルアビブ空港でまた3回くらい別々の兵隊たちに質問されるわけです。そこで少しでも答えがずれると入国できないわけですね。これはイスラエルだけなんですよね。私はパリの空港にいながらそこにイスラエル国家が存在していると思いました。
 西洋概念における国境概念はアジア側から言えば非常にバカバカしいものですが、空港はそのことが非常に露呈している場所です。この舞台の演出でも、ある人は中に入れて、ある人は進めない。ムーヴァーの人たちはコンヴァージョン(conversion)の身振りをしていて、この空間におけるアーティキュレーション(articulation)は印象に残りました。ただ、私の中ではひらがなで書かれた戯曲であることと、空港を設定したこととが、どうも上手く結びつかなかったという印象なんですけれど。それが私の感想です。

2010年11月17〜23日
『さくら の その にっぽん』
作:多和田葉子
演出:ルティ・カネル

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